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泥棒
あのあと、光輝は何一つ、陽介に文句を言ってこなかった。それが面白くなかった。給食を食べ終わったあと、光輝の机の前に行き、「昨日のこと、文句があるなら言えよ」とすごんだ。光輝は笑いながら、「あのあと片付けが大変だった」と頭を掻いた。
「ふざけんな」
大声を出し、光輝の胸倉をつかむと、その場にいた数名の男子生徒から止められた。「なにしてんだよ」と一人の男子生徒が眉を寄せ、陽介をにらむ。
「けっ」と面白くなさそうに、教室のドアを勢いよく開け、出て行った。
下校時間になると、ぽつぽつと雨が降り出していた。予報によると今日の降水確率は半々だった。そのせいか、陽介は傘を持ってきてはいなかった。しかしそんなことはどうでもよかった。
陽介は帰らず、教室の窓から、傘の花が咲くのを待っていた。赤の花柄だ。見逃さないように、じっと見守っていると、赤い傘が出てきた。
今日も咲いた――と思ったのも、つかの間だった。
目を疑った。その傘の下には美奈子と、もう一人の影――光輝がいた。陽介は慌ててランドセルを手に取ると、教室から出て、階段を二段飛びで下りた。
上履きのまま、傘もささず、雨の中を走り出す。美奈子と光輝は校門から出てばかりだった。二人の前に、滑り込むように立ちはだかる陽介。
光輝は美奈子にあげた傘をわがもの顔で差していた。
「何してんだよ」と光輝をにらみつけた。
光輝は目を丸くした。状況がよく掴めていない。
美奈子は陽介の勢いにおびえていた。
「帰ってる途中だけど」
眉一つ動かさず、光輝が言う。「ふざけんなっ」陽介は光輝を怒鳴りつけた。「ふざけてないさ」と光輝は片手を陽介の方へ出し、「まぁまぁ」となだめる。
美奈子は今にも泣きそうな顔。
やりきれず、陽介はこう言った。
「その傘、俺の傘だ。返せよ、泥棒」
光輝は驚いて、美奈子を見た。美奈子は「そうなの」と気まずそうにうなずいた。光輝はどうしたら分からといった表情を浮かべ、陽介と彼女を交互に見た。
「返すから。ごめんなさい」
美奈子は頭を下げる。陽介は唇をかんで、「そうだ返せ」ともう一度言った。彼女は光輝から傘の柄を取ると、そのまま陽介に渡した。
「濡れちゃうから、学校へ戻ろう」と、光輝は美奈子の手を取った。そして二人は校門の中へと入り、校庭を駆けだした。陽介は近くの水たまりを思いっきり蹴り上げた。白い上履きの表面が、灰色に濁った水をまとって滲んだ。
赤い傘をさしたまま呆然と帰路につく。家の前に着いても、てるてる坊主を殴る気すらなかった。力なく玄関のドアを開けた。
家の中に入ると、母親が出迎えた。「その傘どうしたの?」と赤い傘を指さされたので、陽介は「友達に返してもらったんだ」と無表情で返した。
陽介は傘立てにその傘をゆっくりと差し込む。
「あんた上履きのままじゃない」
母親の絶叫を無視して、上履きを脱ぎ、そのまま二階へと上がる陽介。彼はそのまま自室のベッドへと身を投げた。
あいつのあの目――。おびえきった美奈子の表情が目の奥に焼き付いたまま離れなかった。
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