青の落下水・ドロップス

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 腕時計を見て鳥肌が立った。  まだ一問も解いていない。  記述が苦手なのに。時間を確保しなくてはならないのに。  何が正しいか、何を求められているのか、考えるほどに混乱する。  喉が絞まる。  酸素が足りない。だめだ。  気が付きたくなかった。  僕は水の中では生きられない。  クジラは自分に耳があることを知らない。  深い深い耳の穴は、一生涯ふさがれている。  僕は気が付きたくなかった。  自分の中に深く細長い空白があることを。  そこを埋めてもらいたくても、その穴は出入り口を持たない。  僕も彼も、出入り口を持たない。  掻き出してかき回して、埋めて欲しいのだ。  隙間がないくらいにぴったりとくっつきたい。  そんなことは不可能なのに。  問題用紙から黒い文字が浮かび上がる。  怖い。  いったん浮かび上がって、ハネとハライを尖らせる。その切っ先は僕の目に落ちて来る。  息が、吸えない。  とんとん、と僕の肩を叩いたのは塾講師だった。僕は冷や汗をかいていた。 「春日くん。大丈夫ですか?」  僕は首を振った。  立ち上がる気力をかき集める。かばんを握りしめる。 「先生、寒いんです」  八月に発される言葉とは思えない。 「外に行かせてください」  講義室から出る時に、ミキの机のすぐ脇を通った。  彼の顔を見ることは出来なかった。
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