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運動部の掛け声や吹奏楽部の楽器の音を聞きながら、あかりは先生との会話を反芻する。
店を続けるには就職しかないと思っていたが、家の手伝いも副業になってしまうとなると、その道は考え直さなくてはならない。
すべての会社がということではないだろうが、そもそも高卒の枠が少ないのだから、その中から探すのは厳しいだろう。
聖ちゃんに相談しなきゃだよな……。
でも大学に行ってほしいと言われそうだ。
どこか浮世離れしている叔父は、お金のことは考えていなそうだ。
そもそも今の生活費はどうやってまかなっているのだろう。
お金のことは心配しなくていいと言われているが、店の売り上げだけで聖の大学の学費はどうしているのだろう……。
これでは人のことを浮世離れしているとは言えない。
自分も十分わかっていないではないか。
何より聖のこともよくわかっていないのだ。
自分の幼い頃の記憶では、聖は天使のような風貌だった。
絵本から出てきたかのように見目麗しく、王子様というより天使のような美しさだった。
勉強のために遠くへ行ってしまってからはしばらく会っていなかったが、あかりの両親が亡くなって戻ってきた時も歳は取っっていたものの、雰囲気はそのままだった。
なのに今ではビン底メガネにボサボサ頭。
自分の身なりに無頓着なのはわかっている。
だが、春日にマッドサイエンティストと呼ばれるような格好はいかがなものか。
その上、その呼び名もあまり気にしていない。
唯一気にしたことといえば、理系ではないからサイエンティストは違うという点だけだった。
そして聖が何の勉強をしているかも、あかりは知らない。
聞けば教えてくれるだろうが、自分のことをあまり語らないので、なぜか聞いてはならないような気がしていた。
とはいえ仲が悪いわけではない。
一緒にご飯も食べるし、会話は多いほうだと思う。
だが、やはり遠慮はある。
あかりを育てるために、今までいた場所での勉強を中断して戻ってきてくれたのではないかと思うと、申し訳なくて踏み込んだことを聞けないのだ。
でも、そろそろ向き合わなくてはならないのかもしれない。
あと二年も経てばあかりは高校を卒業する。
聖も本来の場所へ戻るかもしれないのだから、今後のことを話し合わなくては。
あかりは学校から出て駅へ向かう。
徒歩十五分ほどの距離は、初めのうちは面倒だったが、友達と話しながら帰るには丁度いい時間だ。
電車は三駅、十分ほどで家の最寄駅に着く。
そこから自転車で十分ほど走ると、住宅街とは言い難い、隣の家まで程よい距離がある程度にぽつぽつと家が建つ場所にあかりの自宅兼店がある。
店の裏手に自転車を停めると、鍵を開けて少し古びたシャッターを上げた。
数年前に新しくしたが、風雨にさらされているので、軋む音を立てながら収納されていく。
店のドアを開けると、むわっとした空気と共に古書特有の香りがした。
あかりはこの店のにおいが好きだ。
においと共に幸せな記憶が蘇る。
曽祖父が存命の頃は、時々遊びに来ていた。
あれは幼稚園に入る前だっただろうか。
あかりの好きそうな絵本が入ると、曽祖父は売りに出さずに取っておいてくれた。
その当時、聖はこの家に住んでいて、あかりが来ると遊んでくれた。
曽祖父が亡くなり、聖も勉強のために家を出ることになった時、あかりの家族が移り住んだのだ。
父は会社員だったので、母が店を続けていた。
学校から帰ると店から入り、母にただいまを言う。
そんな何気ない日常の記憶がここには残っているのだ。
だからこの店は何としても存続させたい。
聖もこの店は曽祖父との思い出の場所だからということで、あかりと住むようになってからは学業と両立させて、どうにか店を開けていた。
あかりが中学に上がる頃は、店番をしてもいいという許可が出たが、ただ店を開けるだけで売り買いは聖のいる時間だけだった。
でも高校生になって、やっと販売ができるようになったのだ。
とはいえ、人通りの多い場所でもなく、昔からの常連客がいるというわけでもないので、本を買いに来る人も日に数人だ。
なので、あかりは開店の準備を終えると、レジのカウンターに入って宿題を広げた。
店番中は勉強をするか、読書、もしくはDVDなど売り物の映像チェックと称して映画を観ている。
そこまで映画に詳しくはないと思っていたが、意外とこの作業のおかげで観ている本数は多くなり、その縁もあってか映研に入ることになってしまったのだ。
活動は週に一回の上映会だけ。
しかも店の定休日だったという理由もある。
きっかけは春日が演劇部の見学に行った時、同じく部室として視聴覚室を利用している映研が上映会をするというので、付き添いだったあかりも参加し、最終的には一緒に映研に入ることになっていたのだ。
店の手伝いがあるから部活は無理だと思っていたので、良かったといえば良かったのだが。
だが、一緒に春日に付き合わされ、同じように映研に入った木内柚に対しては、最初は申し訳なく思っていた。
一年生の時、春日とクラスが同じで席が前後だった柚は高校からの友人だ。
彼女も部活に入ることを考えていなかったが、いつの間にか映研に入ることになってしまった。
それなのに、今では誰よりも映画を観るようになってしまったのだ。
そこまで夢中になれるものがあるって羨ましいな。
あかりは教科書から目を上げて、ふと考えた。
本も映画も好きだけど、柚のようにハマるというほどではない。
春日に至っては、漫画、アニメは人生そのものだ。
小学生の頃から一緒に漫画を読んでいたのに、いつの間にか春日はオタクになっていた。
同じように過ごしていたのに、こうも違うものなのか。
春日は小学生の頃から声優になることを夢見ていた。
柚は両親が薬剤師ということもあり、薬学部を目指している。
自分は家のことがなかったとしても、なりたい職業もない。
だから突然、大学進学と言われてもピンとこないのだ。
あー……聖ちゃんと話をしないといけないな……
おそらく聖は、あかりが大学進学を希望していると思っているだろう。
あかりは今まで進路について話をしていないが、高校のレベルからして大学、短大、専門学校のいずれかに行く人が大多数なので、それを想定していることは目に見えている。
それに、あかりが店のために就職をすると言ったら、あまり喜ばないような気がして言えなかったというのもある。
店のためにあかりの将来を犠牲にするなんて……と気に病みそうだ。
だが、あかりにとっては犠牲ではない。
ただ、店を存続させたい、なりたい職業もないというだけなのだ。
聖を傷つけずに納得してもらえるだろうか。
それ以前に就職したら店番ができなくなるかもしれない。
それなら進学?
それもどうなのだろう……。
もう頭がパンクしそう!
あかりが頭を抱えていると、店のドアが開く音がした。
今日初めての客だ。
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