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「いらっしゃいませ」  反射的に顔を上げてドアの方を見ると、そこには見目麗しい男性が立っていた。  こんな場所に珍しい……。  スタイルも良く、端正な顔立ちをしたモデルのような人が、都会ではない場所にいるというのも珍しいのだが、何よりもその出立ちに驚いた。  彼は今しがた飛行機から降りてきたと言わんばかりの大きなスーツケースとリュック、そして手には楽器ケースのようなものを持っている。  本を探しに遠くから来たというにしては、この店にそんな貴重な本が置いてあるわけではないし、旅の途中で時間を潰しに立ち寄るという場所でもない。  何者なんだろう。  普段は客が来ても挨拶をした後は、時々様子を見るくらいだが、場違いな人物の登場に、あかりは思わず男性を目で追ってしまう。  客はきょろきょろと周囲を見ながらスーツケースをゴロゴロ引いて店内を歩き回る。  荷物を預かりましょうか? と声をかけてみようかと思ったが、麗しい顔の眉間にシワを寄せた表情では、少々声をかけづらい。  もうそろそろ店内を一回りするのではというところで、彼はぴたりと足を止めた。  そこは漫画、しかも少女漫画のコーナーだ。  イケメンと少女漫画、なかなかお目にかかれない構図だ。  漫画なんて読まなそうな風貌なのに、さらに少女漫画。  うーん、面白い。  あかりが観察しているとも知らず、イケメンは棚の中から何かを発見したらしく、今までの近付き難い表情が嘘のように輝いた。  厳しい顔が打って変わって宝物でも見つけたかのように満面の笑みを浮かべたその表情は眩しいくらいだ。  何を見つけたのだろう。  男性が棚から取り出した本は、先日、近所のお姉さんが結婚するということで蔵書処分をした本だ。  それほど有名ではないが、なかなかの名作で、知る人ぞ知る作品だ。  それに目を付けるとは、結構な漫画好きだろう。  その本を目当てに来店?  いや、インターネットで販売をしていないのだから、それはない。  しかも、それはあかりが今度のお小遣いで買おうと思っていたのだ。  買わないでほしい。  でも売り上げに貢献してほしい。  あかりがはらはらした思いで見ていると、客は全巻を棚から取り出し、荷物と共に近づいてきた。 「これを」  負けた……。 「……はい、二千円です」  あかりはがっかりする気持ちを抑えながら、紙袋を取り出す。  荷物が多いから、手提げの方がいいだろう。  そう思いながら、カウンターの下にある、普段はあまり使わない袋を探していると「あの……」と頭上から声がかかった。 「はい?」 「ここは鳴子聖の家ですか?」  少し強張った声は、あまり話をしていなかったのだろうか。  これほどの大荷物だと、もしかしたら海外旅行帰りで長時間飛行機に乗っていたのかもしれない。 「そう……ですが、聖ちゃん……、叔父のお友達ですか?」 「そうだ。それで聖は今どこに」 「まだ学校です。今日は十九時過ぎには帰ってくるかと……」  聖の友人だったのか。  それにしては少し若くないだろうか。  見た感じは先生より少し若そうだから、二十代前半くらいだろうか。  でも大学の友人なら、若い人でも不思議ではなさそうだし。 「十九時……。あと二時間……」  あかりの背後にある掛け時計を見ながらぶつぶつとつぶやく聖の友人は、再び眉間にシワを寄せている。 「聖ちゃんを待つなら、ここで待っていてもいいですよ」  声をかけづらい表情ではあったが、あかりは勇気を出して提案してみた。  幸いにも店の中には椅子がある。  決して座り心地が良いものとは言えないが、パイプ椅子と折り畳みテーブルが店の隅に置いてあった。  きっかけは春日が遊びに来た時、ゆっくりと立ち読みしたいと言い出したからだ。  座っている段階で、すでに立ち読みではなくなっているが。  受験生の頃は、あかりが店番をしていると、春日はそこで勉強をしていた。  なので二時間くらいであれば、大丈夫なはずだ。  それなのに、こちらの提案が不服だったのか、イケメンは険しい目つきのままあかりをちらりと見た後で目を逸らした。 「近くにカフェは?」 「大通りに出ればファミレスがありますが、十分くらい歩くから、その荷物を持って行くのは……」  道は舗装されているので無理なことではないが、かなり面倒である。  どうしてもコーヒーを飲みたいのであれば別だが。 「あっ! もしよろしければ、荷物を預かっていましょうか?」  ファミレスではなくカフェと言うのだから、美味しいコーヒーが飲みたいのかもしれない。  親切心からあかりは言ったのだが、男の表情はどんどん険しくなる。 「何で警戒しないんだ!」  苦虫を噛み潰したかのような顔をして男は唸るように言う。  警戒? 何を警戒するのだろう。 「だって聖ちゃんの友達なんですよね?」  それが答えだとばかりにあかりが言うと、男ははぁーと深くため息をついた。 「さすが聖の家族だ……」  あまり褒めているような言い方ではないが、あかりはその言葉が嬉しい。  何でもできる聖と同列のような感じもするし、何よりあかりの唯一の家族なのだ。  不機嫌な態度を隠そうともしない相手に、あかりはにこにこ笑顔になる。  知らない人を居すわらせるのは危ないということで遠慮したのだろう。  だが聖の友人であるし、何より怪しい人は警戒していないと忠告しないはずだ。  ならば、ここにいることは問題ない。 「じゃあ、椅子とテーブルを用意しますね。さっき買った本でも読んで待っててください」  彼の溜息を同意と取ったあかりは、カウンターから出ると、近くに置いてあるパイプ椅子とテーブルをさっと広げた。  八巻もある漫画だ。  読んでいれば二時間なんてあっという間だろう。  あかりの態度に呆れたままのイケメンは、諦めたように椅子に座ると、もう一度ため息をついて漫画を読み始めた。  いつの間にか物語に引き込まれたのか、険しい表情はなりをひそめ、柔らかく微笑んでいる。  せっかくカッコいいのだから、そういう顔をしていればいいのに……。  またもやじっと見つめていたあかりは、ふと思った。  あー、でも、そうしていると女の人が寄ってくるのかもしれない。  もしかしたら聖も声をかけられるのが嫌で、あんな格好をしているのかも。  ふと聖のことを思い出したことで、この人の名前を聞いていなかったことに気づいた。  だが、声をかけるにはもう遅すぎる。  客人はすでに物語の中だ。  今、現実に引き戻されるのは嫌だろう。  せっかく楽しんでいるのだから、読み終わってから聞けばいい。  このペースだと聖が帰ってくる前には読了するはずだ。  自分が欲しかった本だが、これだけ楽しんでいる人の手に渡ったことは良かった。  あかりはそうやって自分を納得させると、やりかけの宿題に再び取り掛かった。  だが、人が傍で漫画を読んでいると自分も読みたくなってくる。  さっさと宿題を終わらせると、カウンターの横に置いておいた漫画を取り出す。  やるべきことを終わらせてリラックスした状態で読むのはいいなと思いながら二冊ほど読み終えて顔を上げると、時計は十八時半を指していた。  客人を放置したままだが大丈夫だろうかと視線をやると、イケメンは本を手にしたまま船を漕いでいる。  パイプ椅子で寝づらいだろうに……。  もしかしたら部屋で待っていてもらったほうが良かっただろうか。  でも、この場所でも譲歩したって感じだからなあ。  今日は暑かったからクーラーも点けているし、起こしたほうがいいかもと思ってあかりは立ち上がったが、今自分が座っていた椅子の背もたれに掛けてあるストールが手に触れた。  これを掛けておけばいいか。  ストールを手に取り男性のそばに行くと、起こさないように肩にストールを掛ける。  手に持っていた本も折れないように取ったほうが良いかもと、そっと手を伸ばすと、イケメンはゆっくりと目を開けてあかりを見た。  あ、起こしてしまった……。  反射的にあかりは一歩下がろうとしたが、いきなり手首を掴まれた。 「聖……? 違う……」  客人は寝ぼけたようにつぶやくと、再び目を閉じてしまう。  あかりの手首を掴んだまま。 「えっ? ちょっ……」  大きな手ががっしりと掴んでいて、あかりの腕は自由を取り戻せない。  何、この状況?  聖と間違えられそうになったって……。  いや、それ以前に、手を離してもらわないと! 「起きてください」  最初は小さく声をかけるだけだったが、全く反応がないので徐々に声を大きくしていった。  それでも眠ったままなので、「起きてー!」と揺さぶってみる。  だが、それもなしのつぶてだ。  何でこんなに熟睡してるのよー!  指を一本一本こじ開けようかと思い、大きな手のわりに細い指を見て、ふと思い出した。  この人は楽器のケースらしきものを持っていたはずだ。  客人の足元には黒い不思議な形をしたケースが置いてある。  あまり詳しくはないが、バイオリンだろうか。  そんなものを持って歩いているということは、音楽家なのかもしれない。  もしそうであれば、指は大切な商売道具だ。  無下に扱うことはできない……。 「もう、おーきーてー!」  指を剥がすことは諦めて、再び眠り姫ならぬ眠り王子との攻防戦をひとりで繰り広げる。  どれだけあかりが揺さぶっても起きず、どのくらい苦戦していただろうか。  店のドアが開いて、「ただいま」と聖が帰ってきた声が聞こえた時には涙目になっていた。 「聖ちゃーん!」  カウンターを挟んで入り口とは反対側にいたあかりは大声を上げる。 「あかり、どうしたの? ……凪城?」 「聖ちゃんの友達が来て、待っているうちに寝ちゃったの。それで腕を掴まれて離れないの」  焦っているあかりは説明が僅かに足りないことにも、聖が驚いていることにも気づいていない。  前髪とメガネの奥にある目を見開いて、信じられないという顔をしているというのに。 「聖ちゃん、助けて」 「あっ……」  我に返ったように聖はふたりに近づいた。  そして両手をぱんっと柏手を打つように叩く。 「凪城!」  すると先ほどまでは大声を出してもびくともしなかった体がぴくりと動き、まぶたがゆっくりと開いた。 「……聖?」 「そうだよ」  柔らかな声で聖が答えると、凪城と呼ばれた男性は、椅子を倒さんばかりに勢いよく立ち上がり、聖に抱きついた。  腕を解放されたあかりは安堵するよりも、その光景に目を見開く。 「俺を置いて行くなんてっ……」 「仕方がなかったんだよ」  背がそれほど高くない聖は凪城の背に手を回し、宥めるように軽く叩いている。  え……?  友達ではなく恋人……?  春日の好物のBL……?  頭がついていかない……。  だが、この場にあかりがいることにも気づかないこの感動の再会は、どう見たって恋人同士のシーンだ。 「えーっと……、私、夕飯の支度をしてくるね」  口に出した後で、何も言わずに退場すればよかったと気づいた。  とはいえ、こんな場面に出くわした対処法など、わかるわけがない。  ごめんねと言うように聖が見てくれただけでも救いだ。  凪城と呼ばれた人物は、あかりの存在すら忘れてしまっている。  慌てて家の中に入ると、二階にある自分の部屋に直行し、制服から部屋着に着替えた。  映画のワンシーンかのような出来事にドキドキする。  その登場人物のひとりが身内であれば尚更。  でも、聖にちゃんと恋人がいるとわかってよかった。  あかりの保護者となったことで、そういうことを疎かにしているのではないかと心配していたのだ。  たとえ相手が男性であろうが、そこは気にしていない。  多様性が求められるこの時代。  あかりは凪城を友人だと勘違いしていたから驚いたものの、聖の恋人が男性でも受け入れられた。  でも、聖よりは年下のように見える。  いつからの付き合いなのだろう。  全然気づかなかった。  反対されると思って隠していたのだろうか。  後で、聖に自分のことは気にしないように言わないとならない。  あかりは身支度を整えて、階下にあるキッチンへ直行した。  ふたりは店から移動してリビングで話をしているようだ。  少し責めるような凪城の声と、それを諭すような柔らかな聖の声が聞こえる。  でも……先程の状況を考えると、上手くいっているカップルという感じではなかったような。  別れたのに追ってきたという感じ……。  だからあの人は警戒していないと言ってきたのかも。  別れ話に納得していないから、復縁を迫りに来たのだろうか。  それなら聖を守るために一緒にいたほうがいいのかも……。  聖が大声を出したら、すぐに助けに行こう!  何より今は料理中だ。  ここには武器になるものが沢山ある。  あかりは決意を表すかのように、じゃがいもを大きな音で切った。  今日の夕飯は肉じゃがだ。  じゃがいももにんじんもいつもより音を立てて切っていく。  聖に何かしたら包丁を持って飛んでいくぞという威嚇を込めながら。 「あかり、どうしたの?」  音に驚いたのか、キッチンに聖が顔を出した。  聖の恋人が何かしでかさないかと威嚇していたとは言い難い。 「ちょっとじゃがいもが硬かったみたい。うるさかった?」 「音は気にならなかったけど、仇を打つみたいな顔をして切ってたから」  それは間違っていない。  聖に何かあれば、仇を打つ覚悟だ。 「話は終わったの?」  聖が来たということは、彼は帰ったのだろうか。  だが、聖は困り果てた顔で頭を掻いた。 「いや、夕飯を三人分に増やせるかな?」 「え? 大丈夫だけど……」  じゃがいももにんじんも玉ねぎも買い置きがあるし、肉はそれほど多くないが三人分にしても問題はない。  何より煮る前なので増やすことは可能だ。  ご飯も冷凍してあるものがあるから、それも大丈夫。 「凪城がしばらくここに住むことになったんだ」 「えっ?」  ということは復縁だろうか?  押しかけ女房?  って、どちらが女房?  じゃなくて!  あれ? 自分はお邪魔虫……? 「あかりに相談しなくてごめんね。急にこっちに来て仕事をすることになったけど、家を見つけてないらしくて」 「いや、それはいいけど……。凪城……さん? に私、まだ自己紹介もしてないんだけど……」 「え? 相変わらずだな……。凪城は昔からの友人でね。極度の人見知りなんだ」  だから、あれほど無愛想だったのか。  店で待つ提案は余計なお世話だったのかもしれない。  それより、聖は友人と言った。  まだ恋人と知られたくないのだろうか。 「聖ちゃん! 私は何があっても聖ちゃんの味方だからね!」 「えっ? うん、わかってるよ」  あかりはいつでも聖の告白を受け入れるつもりで意気込んで言ったが、何のことだかわかっていない聖は、その迫力にびっくりしつつも微笑んで答えてくれた。  やはり聖は優しい。  こういう人だから幸せになってほしい。 「じゃあ、私、ご飯を作っちゃうね。あいさつは夕飯の時に」 「あっ、あかり。凪城にはあかりに手を出さないように言っておいたから」 「心配してないよ。だって聖ちゃんの友達でしょ?」  そんなことを聖は気にしていたのか。  だが、聖の恋人であれば自分は対象外だと全く気に留めていないため、あかりはきょとんとしている。  ほっとした顔になった聖は「じゃあ、よろしくね」と凪城のいるリビングへと戻っていった。  心配性の聖のことだから、あかりがどう思うのかを気にかけてくれたのだろう。  だが、聖の恋人との同居生活が上手くいくかの不安はある。  彼からしてみたら、あかりは小姑のようなものだ。  お邪魔虫であることは疑いようがない。  この家を出ていくべきなのだろうか……。  高校生でひとり暮らしはないだろう。  家の経済状況からしても無理だ。  あと二年近く、上手くいけばいいのだが……。
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