フランツ③

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フランツ③

 王城の入り口前に止まった一台の馬車。  それは、大きなガラス窓のついた車体に、車輪にまで細かい装飾が施されるほどの豪華さだった。  王族以外にこんな馬車を所有する家門が存在することを初めて知った。  そして次の瞬間、ステップを降りてきた女性の姿に、私は息を呑んだ。  腰まで届く、緩やかに波打つ金の髪。  肌は驚くほど白く、腰は触れれば折れてしまいそうなほど華奢だ。  瞳の色までは確認できなかったが、およそこの世の者とは思えない、妖精かと見紛うほどに美しい女性だった。  私はまるで雷に打たれたように、その場から動けなくなった。  『どうした?ものすごい美人だろう。あれがローエンシュタイン公爵の愛娘、リゼル嬢だ。あれは大人になったらこの国一の美女になる。間違いない』  『……ローエンシュタイン公爵家の……リゼル嬢……』    『なんだお前?驚いて口もきけなくなっちまったのか?まあな、あれだけの美しさならそれも仕方ないか。だが……美しい花には毒があるっていうだろ。あのお嬢さんも、相当なわがまま娘だって噂だぜ』  同僚から、からかわれていることにすら気付くことができないほど、私は目の前の女性を目で追うことに夢中だった。  ただ歩いているだけなのに、彼女は凛として眩いほどの気品に満ち溢れていた。  “リゼル”  その美しい響きが頭の中で木霊して、胸の奥へゆっくりと落ちていく。  私は、彼女の姿が見えなくなっても尚、地面に縫い留められたかのように、その場から離れることができなかった。  それからも、私の頭の中はあの日見たリゼル嬢のことでいっぱいだった。  稽古中も、まるで白昼夢のように、彼女の姿が目の前に現れる。  どうにかしてもう一度、遠目でもいい。彼女の姿を見たくて仕方なかった。  毎日城門を眺め、馬車を見ては落胆する。そんな日々を繰り返し、いつ来るかもわからない彼女を待ち続けた。  そしてひと月後、再び彼女が現れたのだ。  彼女をひと目見ようと再び人だかりができ、私は自分からその輪の中に加わった。  その中で聞いた話だが、彼女は男子しかいない王家の中で、とても可愛がられているということだった。  月に一度、ないし二度は王城を訪れて、陛下や王子殿下方とお茶をするそうなのだ。  私はいつしか指折り数えながら、彼女が来る日を待ち焦がれるようになった。  会いたくて会いたくてたまらなかった。  だってあの日から、彼女の姿が目に焼き付いて離れてくれないのだ。  やがて、遠くから見つめるだけの日々に満足できなくなった私は、王城で行われる催しの警護に志願した。  当然ながら新入りの私が会場内の警備にあたれるはずもなく、初日は会場に面する外回りの警備を命ぜられた。  彼女の姿を見ることはできなかったが、壁を隔てた先にいるのだと思うと、それだけで胸が騒いだ。  そんな些細なことにさえ喜びを感じていたのに、この時の私はまだ、この気持ちがなんなのかわからずにいた。  『ほんとに嫌な女』  それは唐突に、会場に隣接するテラスの方から聞こえてきた。    『陛下から可愛がられているからって調子に乗って、周りの態度にいちいち難癖付けるなんて……』  こういう類の話は、ニーナに付き添って参加した茶会でもよく耳にした。  地方の、あんな小さな集まりの中でも揉め事は起こるのだから、これだけ規模の大きな宴となれば、それも当たり前のことだろう。  だが、踵を返そうとした刹那、聞こえてきた言葉に足が止まる。  『なにが“ローエンシュタインの真珠”よ!ダミアン様も、あんな横暴を許すなんてどうかしてるわ!!』  “ローエンシュタインの真珠”  ──リゼル嬢のことだ  しかし横暴とはいったいなんのことだろう。  気になった私は、気配を隠しながらその令嬢たちの会話に耳を傾けた。  『ちょっと!そんなこと誰かに聞かれでもしたら大変よ!?』  『だって悔しいじゃないの!私はただちょっとダミアン様に話しかけただけよ?それを“態度を改めなさい”だなんて……いったい何様なのよ!』  ダミアン第一王子殿下。  この国に住まう者は皆、その名を聞けば目元を緩め、うっとりとした表情で称賛の言葉を口にする。  常に微笑みを絶やさず、誰に対しても慈悲深い心で接する王子を慕わない者はいない。    『なにが“お兄さまに馴れ馴れしく話しかけるのはおやめなさい”よ!本当に傲慢な女!ダミアン様も、なんであんな女の肩を持つのよ!』  なるほど。  麗しの王子殿下に近づこうとしたら、不作法をリゼル嬢に窘められて逆恨みしたと。  貴族の出である私には、この名も知らぬ令嬢の主張が馬鹿馬鹿しいものであることはすぐわかる。  だがそこで私は、リゼル嬢を初めて目にした日、隣にいた団員が言っていたことをふと思い出した。  ──相当わがままだって噂だぜ  おそらくその噂は、この令嬢のように、貴族としての品位を欠く行動を窘めるリゼル嬢を、逆恨みした者が流した噂ではないだろうか。  団員には平民出身の者が大勢いる。  貴族社会での、ある意味特殊な作法を知っていれば、噂の真偽を自分で判断することもできただろうが、知らない彼らはきっと鵜呑みにしてしまうだろう。  あの凛とした美しさは、リゼル嬢の内面そのもの。  そしてリゼル嬢を逆恨みする者たちは、その美しさを暗に認めているにすぎない。  これ以上根も葉もない悪口に聞き耳を立てる必要もないだろう。私はその場を立ち去ることにした。  『でも……従兄とはいえ、かなり距離が近いわよね、あのおふたりって……』  角を曲がる瞬間、もう一人の令嬢が呟いた言葉が、やけに耳に残った。        
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