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フランツ⑧
『な……』
理解が追いつかない。
今、いったい何て言ったんだ。
私が美しいから選ばれた?それも、ダミアン殿下の代わりに?
『私たちは、生まれる前に作られた法律のせいで、公に結ばれることが叶わない。信じられるかい?私はリズが生まれた時、すぐにわかった。この子は私の半身だとね。それはリズも同じだ。同じ血を身体に宿し、髪も瞳の色も同じ。私たちはお互いを見れば愛おしさに心が震え、駄目だとわかっていても愛さずにはいられなかった。だからこの関係を誰にも悟られぬよう、毎月一度の逢瀬しかできなかったが……会えた日は思いきりリズを抱きしめて、甘やかしたよ』
リゼル嬢との逢瀬を思い出しているのか、ダミアン殿下の表情は恍惚としている。
確かにリゼル嬢は毎月王城を訪れていた。
彼女の姿を見ることのできる唯一の機会だ。
けれど、登城すればリゼル嬢は陛下方とも会っていたはずだ。
決してダミアン殿下のためだけでは──
『……月日が経つのは早いもので、私たちも結婚が避けられない年齢になってしまった。私には弟がいるから、無理に子を残す必要はないが……だからといってリズは一人娘だ。たとえ形だけでも夫を迎えなければ……そうだろう?幸い君の経歴は最高だ。貧しい貴族の次男坊が、家族や領民のために一念発起して騎士になり、そしてこの国を救った。美しく慈愛に満ち溢れるローエンシュタイン公爵令嬢は、その忠義に報いようと、身分の差など気にせず救国の騎士を夫に迎えた……素晴らしい美談じゃないか。王家の評判はこの結婚によりますます上がる。そんなことまでリズは考えてくれたんだ。すべては次代を継ぐ私のためにね』
『……そんな話、信じません。リゼル嬢はそのようなことを望んでする方ではありま──』
『軽々しくリズの名を口にするな!!』
テーブルを叩き、私の言葉を遮ったダミアン殿下の声には、激しい怒りと憎しみが滲んでいた。
『君はただ黙って、形だけでもリズの夫に収まれる栄誉を有難がっていればいいんだ』
『私はそんな関係は望みません。夫となるからには彼女を愛し、そして愛されるよう精一杯努めます。万が一今のお話が真実だとしてもです』
リゼル嬢は私の生家まで来てくれた。
そんな優しい人が、人の心を踏みにじるような、不倫の隠れ蓑のために誰かを犠牲にするような真似をするはずがない。
『リゼル嬢ときちんと向き合って話します。殿下からお聞きしたこの件についても』
『余計なことを話してリズを悩ませるというのなら、君を消してしまっても構わないんだよ?』
『私を殺すと仰るのですか』
『おや、物騒なことを言うね。なにも殺さなくたって、君をリズから遠ざける方法なんて山ほどあるさ。君をまた前線に送ったっていいし、スキャンダルを起こすのもいいね。貧しい実家が悪事に手を染めた……とかね』
まさか、言うことを聞かなければ家族をも巻き込むというのか。
悪事に手を染めた領主がどんな末路を辿るかなんて、子どもでも知っている。
だが殿下なら罪もない両親と兄を罪人に仕立て上げるくらい簡単なこと。
『私に……どうしろと……』
『簡単だよ。形だけの夫婦でいてくれればそれでいい。必要なこと以外、言葉も交わさないでもらおう。なに、リズが君に飽きるまでだ。そんなに長くはかからないさ。間違っても愛を育もうなんて考えないことだ。リズの愛は私のものなのだから』
帰り際、扉の前まで私を見送るダミアン殿下の袖口からコロンが香った。
──この匂いは
一瞬動きを止めた私にダミアン殿下は嘲笑めいた笑いを漏らす。
『幼い頃、リズと一緒に選んだ香りだよ。私たちは、何もかもが同じで、ひとつなんだ』
何もかもが同じで、ひとつ。
呪文のように繰り返されたその言葉が、いつまでも頭の中で回り続けていた。
今すぐに、ダミアン殿下の言葉をすべて信じろと言われてもそれは無理だ。
けれど、どこまでが真実なのかを知りたくても、知れば家族が……。
私一人のことならそれでいい。
しかし、家族を巻き込むことだけはどうしてもできなかった。
私は、未だ体調が悪く伏せったままだというリゼル嬢へ向けて、花束を選び、筆を執った。
よく使われる、ありふれた気遣いの言葉が白いカードを埋めていく。
けれど、今の自分に許されるのはこのくらいのことだけ。
愛を口にすることは叶わなくても、せめてこの心がほんの少しでも伝わってくれたら。
そう祈りながら。
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