フランツ⑩

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フランツ⑩

 翌朝、カーテンを閉め切った薄暗い室内で、私は信じられないものを目にした。  それはシーツを染める、指の先ほどの小さな血痕。  はじめから違和感はあった。  特に一度目。身体は終始強張っていて、私のすること一つ一つに驚いているようだったから。  とても、経験があるとは思えなかった。  口づけすら、どうしたらいいのか戸惑っていたようだったから。  だが愛し合い、逢瀬を重ねてきた男女の間に何もないなんてことあるのだろうか。しかも、ダミアン殿下はもう二十五歳だ。  私を脅すほど愛しい女性に、今まで何もせずにいたなんて信じられない。  もしかしたら、それだけ大事にしていたということなのかもしれないが。    リゼル嬢は、清い身体だった。    ──彼女のすべてを知っている男は私だけ  不謹慎かもしれないが、でもそう思ったら、荒んでいた心が少しだけ凪いだ気がした。    そして、長い眠りから目を覚ました彼女は、私に“リゼル”と名前で呼ぶことを許してくれた。  それからしばらくは何事もなく、平穏な日々が続いていた。  だが結婚後、リゼルが再び王城に出向いた直後、それは起こった。  騎士団にいた私に、前触れもなく、ダミアン殿下から呼び出しがあった。  慌てた様子で駆け込んできた上官の顔を見る限り、あまりいい予感はしなかった。  急いで向かったダミアン殿下の私室。  そこで私が見たのは、いつかのときよりもずっと激しい憎悪に満ちた殿下の顔だった。  『貴様……リズを抱いたのか……!!』  扉が閉まるなり突然腹を殴られ、よろめいたところを床へ引き摺り倒された。  硬い靴底が私の後頭部を踏みつけ、耳のそばでブチブチと髪の抜ける音がした。    『リズは死ぬほど辛かったと……そう言っていたよ……でも私を忘れるために仕方なくその身を捧げたともな……!!』  『ぐっ……!』  今度は足で腹を蹴られた。  おそらく、見えない場所を狙っているのだ。  『リズの身体はどうだった?美しかったか?私のために守られてきた純潔を……貴様のような奴が簡単に……くそっ!!』  ダミアン殿下の瞳はなにも見ていない。  踏みつけている私のことさえも。  その瞳に映るのはリゼルだけ。  どれくらいそうしていたかわからない。  だが、耐えるしかなかった。    『貴様のような奴には罰を与えなければな……』  『か……家族に手を出すのだけはやめてください……!』    『ほう?だが、家族のことを言っているのだろうな?』  『どちらの……?……!まさか、クルト男爵のことを言っているのですか!?』  私の問いに殿下は答えてはくれなかった。  そして黙ったままいやらしく笑い、私を解放したのだ。  クルト男爵は私が結婚したことにより、軽く病んでいたと思われる心にさらなる負荷がかかってしまったようだった。  今ではあれほど頻繁に訪れていたロイスナー子爵領からも足が遠のいているという。  私のことについて、当然調べ上げていると思っていたが、まさかクルト男爵にまで手を出すつもりだろうか。  痛む身体を引き摺り、騎士団に帰ると、周りは心配そうな顔をして私を出迎えた。  同僚が、急に王族から呼び出しを受けたのだ。  仲間意識の強い奴らだ。  待ってる間、気が気じゃなかっただろう。  けれどこんなこと、誰にも言えるわけがない。  だから私は無理矢理笑顔を作り、『大丈夫だ』と言って笑った。  一人になれるところで服を脱ぎ、蹴られた場所を確認すると、そこは広範囲で内出血を起こしていた。  油断すれば見られてしまうかもしれない場所にも。  ──こんな身体とてもリゼルに見せられない  自分のせいでダミアン殿下の心が壊れ始めたと知れば、リゼルはきっとつらい想いをする。  ──私さえ黙っていればいい  そうだ。私さえ耐えればそれでいいんだ。  私はリゼルに“しばらく戻れない”とだけ手紙を書き、傷が治るまでの間、騎士団で過ごすことにしたのだった。
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