父と息子

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ある町である。純はいつもコンビニ弁当だった。純は父親との二人暮らしで、母親がいないからである。母親は純が幼い時、死んでしまったからである。そのため、純の食事は、ずっと、コンビニ弁当だった。「あーあ。さびしいな。お母さんが欲しいな。それと、かわいい妹も」純はいつも、そんな事を呟いていた。「コンビニ弁当はもう厭きちゃった」と純が言っても、父親は、「贅沢を言うな。世の中にはもっと辛い人もいるんだぞ」と説教した。確かに尤もなことではあるが、純の父親は、スボラで、まかりまちがっても、料理の作り方を努力して身につけようとするような男ではなかった。当然、掃除もしないから、家の中は汚い。 純の父親は、ある病院に勤める医者である。が、彼は医者という仕事が嫌いで、小説家になりたくて小説を書いていた。変な話だが、世の中にはそういう変人もいるものである。純の父親はいい歳なのに、いまだに内気で、人付き合いが苦手で、そういう点でも、一人でコツコツ出来る作家に憧れていた。しかしプロ作家になるのは厳しい。プロになるにはもっと自分を殺して読者におもねらねばならないが、父親はそれが嫌だったのである。それでホームページをつくって、書いてはアップしていた。ホームページにアップした小説を純が読むと、どうだ、と感想を聞いた。純は、まあまあだね、と率直に感想を言った。幸い、純には内向的な性格までは遺伝せず、純は父親のように人見知りはしなかった。父親は純に小説家になってほしいと思っていた。自分はプロ作家にはなれなかった、という夢を息子にたくそうという魂胆である。ともかく多量に書いて世の中にその作品と名前を残すほどになってほしい、と思っていたのである。純はそんな父親が別に嫌いではなかった。普通、親の価値観を子供に押しつけた場合、子供は反発するという話が多いのだが、純はそうではなかった。父親は押しつけまではしなかったし、人生の最終選択は純に任せていたし、また純は親父の深い思考力に誤りを感じられなかった。 ・・・・・・・・・・・ そんなある日、純の家の隣に、一人の女性と、女の子が越してきた。それが親子であることは、顔が似ていることから、容易に推測された。その女性の美しいことといったら、楊貴妃やクレオパトラ以上だった。 ・・・・・・・・・・・ その週の日曜、隣に越してきた女性が挨拶回りにやってきた。ピンポーンとチャイムが鳴った。こういう時、出るのは純の方だった。 「はじめまして。隣に越してきました田中静子と申します。よろしくお願い致します」 「山本純です。こちらこそ、よろしく」 「あの。お父様は」 聞かれて、純は、おーい、おやじー、と大きな声で二階に叫んだ。だが返事がない。純は急いで階段を登った。 そしてすぐに降りてきた。 「父は今、外出しているそうです」 「そうですか。ではまた、お伺いさせていただきます」 「いえ。また来ていただいていても、多分、いない確率の方が大きいと思いますので、気を使わないで下さい。わざわざ来て下さった事を伝えておきます」 「お忙しいのですね」 「いやあ。いい歳して人見知りが強くって、御迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、勘弁してやって下さい」 その時、父親があわてて二階から降りてきた。 スーツを着てネクタイを締めて。 「あ、これは、これは、失礼しました。山本真と申します。よろしくお願い致します」 と言って頭を下げた。 夫人はニコッと笑って、「ほんのつまらない物ですが」と言って鳩サブレーを差し出した。 「これはこれは、どうも有難うございます」 と真はお礼を言って鳩サブレーを受けとった。 夫人が去ると、「バカ。変なこと言うなよ」と言って父親は純の頭をコツンと叩いた。 「すごい、きれいな人だな」 「そうだな」 「淑やかそうな人だな。親父の好みだろう」 「ま、まあな」 父親は顔を赤くした。 純か紅茶を淹れて、二人は、さっそく、もらった鳩サブレーを二人で食卓で食べた。 翌日の月曜。 ガヤガヤ生徒が話している教室に担任の先生が来た。見知らぬ女生徒を連れている。 「転校生が来たので紹介する」 そう言って女生徒を見て壇上に上がるよう目で合図した。女生徒は壇上にあがった。 「田中久美です。よろしくお願い致します」 そう言って女生徒は深く頭を下げた。 「あそこが空いているから、あそに座りたまえ」 そう言って教師は奥の方の席を指差した。教室の席は窓側が男子の席で、廊下側が女子の席になっていた。ちょうどそこは純の隣の席だった。少女は、 「はい」 と言ってその席についた。純と目が合うと少女はニコッと微笑した。 一時間目は数学だった。 数学教師が黒板に白墨で問題を書いた。そして生徒を見回した。 「誰かこの問題の解ける者はいないか」 教師に言われても生徒は黙っている。 「仕方がない。純。お前、解答を書け」 言われて純は教壇に上がり、チョークを走らせた。回答が黒板に書かれた。純は席に戻った。 「そうだ。正解だ」 そう言って教師は純が書いた解答で説明した。 二時間目は理科だった。 キーン・コーン・カーン・コーン 午前の授業が終わるチャイムが鳴った。教師が去ると生徒達は、やっと自由になったようにガヤガヤお喋りしだした。 転校してきた少女が純の方に顔を向けた。 「純君ですね。となりに越してきた田中久美です。よろしく」 そう言って少女はニコッと笑った。 「よろしく。昨日は父が失礼してすみませんでした」 「いえ。純君のお父さんてお医者さんなんですね。すごいですね」 「全然すごくなんかないですよ。ヤブもヤブ。あんな医者にかかった患者は、とてもかわいそうですね」 少女はまたニコッと笑った。 「君のお父さんは?」 純が聞いた。 「父はいません」 「あっ。これは失礼」 「いえ。私が小さい頃、飛行機事故で死んだんです」 「それじゃあ、僕と同じだ。僕の母親も飛行機事故で死んだんです」 純は好奇心に満ちた目になった。 「もしかして、それは平成×年の墜落事故ですか?」 「ええ」 「じゃあ、君のお父さんと僕の母親は同じ日に死んだことになりますね」 「そうですね」 久美は言ってニコッと笑った。 その時、一人の生徒が純の所にやってきた。 「おい。純。さっきの問題、わからないんだ。教えてくれ」 言われて純は、その生徒に問題を説明した。生徒は、うんうん、と聞いていたが、なるほど、わかった、さすが秀才、と言った。そしてチラと横の久美を見た。そして純に言った。 「おい。もう彼女か」 「ちがうよ」 生徒は首を傾げた。 「まあ、よくわかんないけど、秀才はうらやましいな」 そう言って生徒は久美を見た。 「こいつはクラス一の秀才なんだ。わからない事があったら、何でも聞きな」 そう言って生徒は自分の席に戻っていった。 今日の給食はカレーライスだった。 食事がおわると純は久美に声をかけた。 「久美ちゃん。ちょっと外に出ない」 「はい」 二人は校庭に出てベンチに座った。しばし校庭で二人が話していると上級生が四人やってきた。彼らは札つきのワルだった。 「おい。純。どきな」 「なんで」 「いいから、どけよ」 純は無視した。 「おい。純。お前、生意気なんだよ」 「ああ。生でいきてるよ」 「野郎にゃ用はねえんだよ」 「なんだ。ナンパか。それとも婦女暴行か」 「てめえ。命が惜しくねえのか」 「それはこっちのセリフよ」 純はボキボキと指の関節を鳴らした。 久美がギュッと純の手を掴んだ。 「やめて。純君」 だが純は無視して立ち上がった。 「あっち行ってな」 言われて久美は走って、近くの桜の木の裏に身を隠した。 そして木の裏から、そっと顔を出して見た。 「やっちまえ」 四人は純を取り囲んで、じりじりと詰め寄ってきた。一人が飛びかかった。 「キエー」 純はジャンプした。ブルース・リャン顔負けの飛び後ろ回し蹴りが炸裂して、相手は一撃で倒れた。純はすぐに後ろを振り返って、後ろの一人を連続回し蹴りで倒し、残りの二人も横蹴りで倒した。倒れた四人は、頭を振って起き上がると、 「おぼえてろ」 と捨てセリフを言って逃げ去っていった。それは、ちょうど「帰ってきたドラゴン」のオープニングのブルース・リャンの格闘シーンに似ていた。 「純君ステキ。純君って強いのね」 久美が純に駆け寄ってきて、純の腕をヒシッと掴んだ。 「はは。別に。そんなに強くはないよ。牛や熊には勝てないから」 そう言って純は照れ笑いした。 その時、午後の始業ベルが鳴った。 「久美ちゃん。教室にもどろう」 「はい」 二人は教室にもどった。三時間目は英語で四時間目は理科だった。 その日の帰り道。 純は久美と話しながら一緒に帰った。公園にさしかかった所で、四人の生徒が一人の女性を取り囲んでいるのが見えた。何やら生徒達は女性に文句を言っているようである。 「あっ。お母さんだ」 久美が言った。四人は今日の昼休み、純と久美にからんだ不良である。 「久美ちゃん。どっかに隠れて」 「はい」 純に言われて久美は物陰に身を潜めた。四人は女性を押して、近くの廃屋に女性を連れ込んだ。純は彼らに気づかれないよう、そっと廃屋の外から中を覗き込んだ。心配になった久美も純の所に来た。廃屋の中で四人は女性を取り囲んだ。 「おう。おばさん。このオトシマエどうつけてくれるんた」 一人がドスのきいた口調で言った。 「わ、悪い事を注意してはいけないんですか」 女性はワナワナ震えながら言った。 「おう。大いにいけねえな。相手を見て注意しな」 別の一人が言った。 「ともかくオトシマエはつけてもらうぜ」 そう言って一人が折り畳みナイフをポケットから取り出した。 「な、何をするんですか」 女性は立ち竦んでワナワナ声を震わせて言った。 「まず手始めに服を脱ぎな。嫌なら、こいつで引き裂くまでよ」 そう言って一人がナイフを女性に向けた。 「わ、わかりました」 観念したのだろう。女性はワナワナとブラウスのボタンに手をかけて脱いでいった。豊満な胸を包んで二つの大きな膨らみをなしているブラジャーが顕わになった。四人はゴクリと唾を呑み込んで目を皿のようにして眺めている。 「ほれ。次はスカートだ」 言われて静子はスカートのチャックをはずし、スカートを降ろした。ムッチリした腰部を覆うピッチリしたパンティーが顕わになった。 「お願い。もうこれ以上は許して」 静子は、もうそれ以上は出来ないといった風にブラジャーとパンティーだけのムッチリした体を手で覆った。 「ダメだ。全部脱ぐんた」 その時、純が飛び出した。 「おい。お前らどうしたんた」 純が声をかけると四人は、ハッと振り向いた。 「また、てめえか」 「あっ。純さん」 下着姿の静子は勇敢な少年が純であることに気がつくと咄嗟に声をかけた。 「何だ。知り合いか」 「そんなことはどうでもいいだろ。それより、どうしたかって聞いているんだよ」 純はドスの効いた声で言った。 「おれ達がスーパーで万引きしようとしてたらな、このおばはんが、やめなさいっ、て注意してきやがったんだよ」 「ほー。そりゃーおめえ達の方が悪いな。むしろ、その人はお前達が万引きで捕まるのを心配してくれたんじゃねえのか。そんな親切な人に婦女暴行か」 純は腕組みして余裕の口調で言った。 「うるせー。俺たちに理屈は通じねえぜ」 「おう。純。てめえにゃ、いいかげんムカついてんだよ。エエカッコばかりしやがって」 「やっちまえ」 一人がポケットからナイフを取り出して、残りの二人は廃屋にあった角材を拾って、ジリジリと純に詰め寄った。 「やれやれ。こりないやつらだ」 純は口笛を吹いて腕組みをした。 「やっちまえ」 一人が掛け声をかけて、わっと純に飛びかかった。一人が角材を振り下ろした。 「キエー」 純は足刀で角材に蹴り出した。ポキリと角材か折れた。ナイフを持った二人がジリジリと詰め寄った。二人は顔を見合わせて、それっ、と純に飛びかかった。その瞬間。 「チエー」 目にも止まらぬ電光石火の連続蹴りで、二人はあっという間もなく倒された。もう一人、角材を持ったヤツは、タジタジとして震えていた。純は相手に向かって走り出した。 「チェストー」 純はジャンプした。飛び足刀蹴りがきまって、相手は倒れた。倒された四人はしばしの脳震盪から目覚めると、頭を振ってヨロヨロと立ち上がった。 「ちくしょう。覚えてろ」 四人は立ち上がると大急ぎで小屋から逃げ出した。 静子は急いでスカートを履き、ブラウスを着た。静子は急いで純に駆け寄った。 「純君。ありがとうございました。助かりました。何とお礼を言っていいことか思いつかないほどです」 「いやあ。別にたいした事じゃないですよ」 純は照れて頭を掻いた。見ていた久美が、お母さーん、と言って飛び出してきた。 「まあ。久美ちゃん。どうしてここがわかったの」 「純君と一緒に帰る途中だったの。そしたらお母さんが四人にからまれているのが見えたの」 「そうだったの」 「あのね。純君は強いんだよ。転校した日も、私、あの四人にからまれたんだけど、純君が助けてくれたの」 「まあ。そうなの」 そう言って静子は純に振り返った。 「純君。よろしかったら家に寄っていただけないでしょうか。腕によりをかけて食事をつくりますので、どうか食べていって下さい」 「ええ。じゃあ、おじゃまします」 三人は廃屋から出て、静子の家に向かった。 三人は静子の家についた。 「純君。ありがとうございました。助かりました。何とお礼を言っていいことか思いつかないほどです」 「いやあ。別にたいした事じゃないですよ」 純は照れて頭を掻いた。 「何かお礼をさせて下さい」 「いいですよ。そんな」 「でも、私の気持ちがすまないんです」 「じゃあ、僕はいいですけど、父親が静子さんに一目見た時から惚れてしまって、手がつけられないんです。何とかしてやってもらえないでしょうか」 「ま、まあ」 静子夫人は真っ赤になった。 「あ、あの。どんな事をすればいいんでしょうか」 「親父は静子さんのビキニ姿の写真が欲しい、欲しい、と子供のようにダダをこねて仕方がないんです。何とかしてやってもらえないでしょうか」 「わかりました」 静子夫人は赤面しつつも、パソコンにフラッシュメモリを取り付けて操作して、フラッシュメモリを外して、それを純に渡した。 「あ、あの。以前、海水浴に行った時、撮った写真がありますので、こんなものでよければ」 そう言ってフラッシュメモリを純に渡した。そして、静子はその画像をパソコンで純に見せた。 「うわー。すごいセクシーだ」 そこにはビキニ姿の静子の様々なセクシーなポーズの画像があった。 「ふふ。お母さんは、海の女王コンテストで優勝しちゃったのよ」 久美は自慢げに言った。 「へー。すごいですね」 「い、いえ。友達と海水浴に行ったら、たまたまコンテストをやっていて、友達に、出ろ出ろ、としきりに言われて、出たら選ばれてしまったんです。そして写真家の人に写真を撮らせて下さい、と言われて・・・」 「親父、喜びますよ。どうもありがとうございます」 純はフラッシュメモリを貰って静子の家を出た。 その日の夕食の時。 純は静子から貰ったフラッシュメモリを父親の前に出した。 「なんだ。それは」 「静子さんのビキニ姿の写真」 「な、何で、そんな物を持ってるんだ」 「くれませんかって言ったら、くれたんだ」 「ば、ばか。何て事するんだ」 父親は顔を赤くして言った。 「なぜ、そんな事、言ったんだ」 「親父、欲しがってただろ」 「ばか。そんな恥さらしな事。我が家の恥だ。オレが明日、返しがてら謝ってくるから、よこせ」 そう言って父親はフラッシュメモリをひったくるように取った。 その夜、父親の寝室から、「ああ。静子さん。好きだ。好きだ」という声とオナニーのマラを扱くクチャクチャいう音のため、純はなかなか寝つけなかった。 翌日の朝。 ジリジリジリ。 目覚まし時計の大きな音で父と純は起きた。 二人はすぐにランニングウェアに着替えた。 「さあ。行くぞ。純」 二人はランニングシューズを履いて、早朝の街中を走った。 これは父親が決めた日課だった。 「頭がどんなに良くても知識がどんなにあっても、それだけではダメだ。何事をするにも、健康な体とタフな体力があってこそ出来る。それには子供のうちから体を鍛えておかなくてはダメだ」 というのが、父親の口癖で信念だった。 ランニングがおわって、デニーズに入ると父親はモーニングセットを注文した。父親は純に純の将来について何度も細々と注意した。純はおやじを嫌っていなかったので、黙って聞いていた。内容は大体、同じだった。 どんな事を父親が言っていたかを少し書いてみよう。 「お前は三島由紀夫以上の作家になるんだ」 「・・・・」 「お前は勉強が出来るからいいが、あまり無理しすぎるな。何も東大医学部でなくてもいい。お前なら国立の医学部なら十分、入れるからな。無理して頑張って勉強がストレスになってはよくない。一番大切なのは丈夫な体だ。無理して万一、過敏性腸症候群になったら大変だ。お前はハンサムだし性格が明るいから、女の友達には不自由しないだろう。しかし、決して女を愛そうと思ったりするな。現実の本気の恋愛ほど無意味なものは無い。この世で価値あるのはあくまで芸術だけだ」 「その点は大丈夫。俺もおやじと同じようにニヒリストだからね」 「それと思想的な本はあまり読まなくてもいい。小説をつくる上で大切な事は、くだらない事でも世の中の事は何でも知っているという事だ。ファミコンだの流行りの漫画だのも一応やったり読んでおけ。思想書を読むより花や木の名前を覚えろ。花や木にも理論があるんだ。お前ほど頭がよければ小説のストーリーは十分つくれる」 純は父親のおかしな説教を黙って聞いていた。 「お前は数学が出来るが、面白いからといって、あまり数学にのめり込むな。数学の知識は小説には全く役にたたないからな。そんな時間は社会科系の勉強にまわせ。物理も化学もそうだ。しかし生物学はしっかり勉強しろ。生物学は小説を書く上で少しは役立つし、何より医学部に入ってから大切だからな。日本史、世界史、政治、経済、地理、全部、大切だ。それと古文、漢文も満点でなくてはだめだ。特に古文は小説をつくる上で大切だ。できたら全てを読みつくす位のつもりでやれ。解らない事は全てオレが教えてやる」 「・・・・」 「学歴は小説と関係ないが、世間の人間は小説を読む時、作者のプロフィールを知りたがるものだ。国立を出ていれば、頭のいい人間と思われる。そうすると小説も、文学的に価値のあるものと思われるから読まれる可能性が強くなって有利だ。しかし、あまり家に閉じこもりきりで、勉強だけというのもよくない。友達を適度につくり、おおいに遊び、ケンカもしろ。子供の頃、色々な事を体験しておくと大人になって小説を書く上で確実に役に立つからな」 「・・・・」 「たまに小説を書きたくなったら、気を入れて書いてみろ。10枚くらいの短編がいい。10枚できちっとまとめてみろ。しかし、書く事が面白くなっても、勉強をおろそかにしてはならない。まあ、お前ならその心配もないと思うが。中学一年では、後世に残るほどの小説など書けっこない。中学、高校時代は、ともかく知識のストックの時代だ。若い時に勉強せず、小説を書く事にふけって、芥川賞をとる若者もいる。しかし、そういのはほとんど一作作家だ。時代の先端を先鋭な感性で描いているから、時代が変われば見向きもされなくなる。大切な事は死ぬまで書きつづけ、文学全集を出し、百科事典にお前の名前がのる、という事だからな。ともかく量をたくさん書くことだ。いったん、作家として認められれば、つまらない作品でも作家研究ということで、全集の中に保存されるんだ」 「・・・・」 「医学部に入ったら、もうちょっと気合を入れて50枚くらいの小説も書いてみろ。中学、高校で十分、知識のストックをつくっておけば、大学生になれば読むに耐える小説は書けるだろう。その時、お前は中学、高校でしっかり勉強しておいた事の有利さに気づくだろう。医学の勉強や知識は小説を書くのに全く役には立たない。それは極めて残念なことだ。しかも医者という肩書きは、作家になる上で非常に有利だし、医師免許を持っていれば、食うには困らないからな。まあ、作家になるための試練としてガマンすることだ。お前は根性があるから、どんな試練にも耐えられるだろう。解らない事や、どの医学書がいいか、合理的な勉強法は何か、全てオレが教えてやる」 「・・・・」 「何事にも興味を持つことだ。海外旅行も、好きな所へ行け。金は出す。オレは海外に行ったことが一度も無い。オレが学生の時は、世界中を旅行したと自慢してたヤツもいた。しかし、あいつらは自分が楽しむために、旅行するのであって、自分の思い出だけでおわってしまう。そんな旅行は無意味だ。教科書や写真で、読んだり見たりするのでは、強い実感にはならない。実物を見ることで世界を実感できる。つまらない事でも貪欲によく見ることだ。ともかく体験が大切だ。今は小説にならないと思うような事でも将来、小説に出来る材料に変わることは、いくらでもあるからな」 「・・・・」 「友達をつくることは大切だが、好きな女の子とは、決して親しくなるな。現実の女というものがわかってしまうと、幻滅して小説のモデルとならなくなる危険がある。小説家になるには、あくまで研究者のように、さめた観照者の立場で人間を観察することだ。現実の世の中には、あまり手を触れてはいけない。しかし、TPOによっては少し、触れた方がいい場合もある。お前は頭がいいから、そこらへんの判断はしっかり出来るだろう」 「・・・・」 「もし、何かお前が非常に興味をもってとりつかれた事柄があったら、それを徹底的につきつめて、その事に関しては辞書になるくらいになれ。小説家として大切な事は、世の中の事を広く知っている事も大切だが、一つの精通した分野がある方がもっと有利というのもまた事実なんだ」 「・・・・」 純の父親はだいたい、いつもそんな事を純に言い聞かせていた。 純はおやじを嫌っていなかったので、親父のこんな説教を黙って聞いていた。 モーニングセットを食べおわると二人はデニースを出て家にもどった。 服を着替え制服を着て純は家を出た。 「おい。純。今日もしっかり勉強するんだぞ」 と言って父親も純と一緒に家を出た。 あー、医者はウザってーな、この世に医者ほどウザってー仕事が他にあるだろうか、と小言を言いながら。 隣の久美の家の前を通って少し行くと、すぐに背後から、 「純君―」 という元気のいい声が聞こえた。 純が振り向くと、セーラー服姿の久美が手を振りながら笑顔で走ってきた。 純に追いつくと久美は、 「純君。一緒に行かない」 と聞いた。 「うん。行こう」 純は淡白に答えた。二人は話しながら学校に向かった。 学校に近づくにつれ生徒が増えてきた。 「よー。よー。イチャイチャくっつきやがって。もうAはやったのか」 背後から例の四人が囃し立てた。 「純君」 久美はひしっと純の腕にしがみついた。 「いや。Aだけじゃねーだろ。もうBもCいってるだろ」 一人が言うと、四人は腹を抱えて笑った。 「うるせーな。耳障りだぜ。一人にすると、お前らみたいなダニが襲いかかるだろ。うせろ」 純は振り向きもせず、うるさい蠅を追い払うように怒鳴った。 近くにいた数人の女生徒がクスクス笑った。 四人は茹で蛸のように額に青筋を立てた。 「ダニだと。純。てめえ。覚えてろよ」 四人は捨てセリフを吐いて、逃げさるように二人を追い抜いて駆け出した。 ジリジリジリ。 一時間目の始業のベルがなった。ガラリと戸が開いた。一時間目は国語だった。 「起立」 「礼」 「着席」 国語教師は教壇に立つと、おもむろに教室の生徒達を一瞥した。 「よし。今日は作文にしよう。題は、『父について』だ。何を書いてもいい。思う事を素直に書いてみろ」 原稿用紙が配られ、生徒達はカリカリと書きはじめた。 30分くらいで皆、書きおえて教室は静かになった。 教師はおもむろに教室の生徒達を見回した。 純と目がバチンと合った。 「よし。純。読んでみろ」 指名されて純は立ち上がって読み始めた。 「父について。僕の父はすごく劣等感が強い性格です。まあ、よく言えば負けん気が強いともいえるかもしれません。父は空手が出来て、硬派のように装っていますが、本当はすごく気が弱く、大人のクセに、まだ甘えが抜けきれていないのです。その証拠に父は、趣味で小説を書いていますが、小説の中で、甘えられる女性ばかり書いて、小説の中で自分の書いた女性に甘えているのです。父は少しでも自分が傷つくことを怖れて、生きた現実の女性と付き合う事が出来ないのです。大人になるには、そのハードルを越さなければならないのですが、父はそのハードルを越せない、というか、越したくないのです。つまりパンドラの箱を開けたくないのです。まあ空想的理想主義者といえるかもしれません。しかし物事には程度というものがあって、父は病的な空想的理想主義者なのです。そんな父の理想に合うような女性など、この世にいるはずがありません。しかし自分に誠実であり、世間の多くの大人のように、僕や人を欺こうとはしません。スレッカラされてもいません。良くも悪くも子供なのです。そういう点は評価しています。点数をつけるとすれば60点でギリギリ合格としています。父は自分の叶わなかった夢として僕を小説家にしようとしていますが、かわいそうな父のために僕は挑戦しようと思っています。さてはて、どうなることやら」 教師をはじめ生徒達は、この変な作文を聞いてポカンとしていたが、しばしして教師は、 「ははは。なかなか純は父親思いなんだな」 と笑って言った。 午後は音楽の授業だった。 当然のことながら、音楽は美人の女教師だった。彼女はさっそうとピアノについた。ふと顔を上げて、その中に見知らぬ転校生の久美を見つけると彼女はじっと久美を見つめた。 「あら。あなた。どこかで見たことがあるわ。えーと、どこだったかしら」 美人音楽教師は小首を傾げた。 久美は照れくさそうにしている。 「そうだわ。思い出したわ。去年、小学生ピアノコンクールで優勝した子ね。そうでしょ」 「は、はい」 久美は照れくさそうに小声で答えた。 「名前は」 「田中久美です」 教師は微笑した。 「じゃあ、今日は久美ちゃんに何か演奏してもらいましょうか」 「はい」 久美はピアノの前に座った。鍵盤の上に手を乗せたが何を演奏していいのか、迷っているといった顔つきだった。 「何を演奏してもいいわよ」 教師は躊躇している久美を気遣って言った。久美は純をチラッと一瞥してから、ピアノを演奏しだした。曲はアルビノーニのアダージオ。実に寂しく哀調的である。あたかも十字架を背負ったキリストがゴルゴタの丘に向かう光景を彷彿させる暗く重厚なメロディーが教室に重く垂れ籠めた。 パチパチパチパチ。 生徒達が拍手すると久美は照れくさそうにお辞儀して、そそくさと自分の椅子に戻った。 あとは美人音楽教師の演奏するピアノに合わせて生徒達は唱和した。 その放課後。 音楽部の女子生徒達がやってきた。 「田中さん。ぜひ音楽部に入って」 久美は照れくさそうに微笑みながら、純の方をチラッと見た。 「純君は何部?」 「僕は空手部だよ」 「じゃあ、私も・・・」 「久美ちゃんには無理だよ。音楽部に入りなよ」 純は否定して、促すような仕草で手を振った。 「わかったわ。私、音楽部に入る」 「ヤッター。じゃあ、さっそく部室に来て」 音楽部の女生徒達は小躍りして喜んだ。 手を曳かれるようにして久美は音楽部の部室に行った。 久美の姿が見えなくなると、純も教室を出た。 グラウンドでは野球部の生徒達が意気のいい掛け声を出して練習していた。 校庭の隅にあるバラックが空手部の部室だった。 純は一年だが空手部主将だった。戸を開けると部員のラオがいた。 「押忍」 拳を握りしめラオは挨拶した。 「押忍」 純も同様に軽く頭を下げた。 純は空手着に着替えた。 「よーし。ラオ。じゃあ、練習を始めるぞ」 「はい」 純はラオの前で構えた。 「蹴る。蹴るんだ」 重い厳かな口調で純は言った。言われてラオは勢いよくシュパッと横蹴りを放ってピタリと宙で止めた。ラオは得意げな顔つきである。だが純は黙って得意げな顔のラオに近づいた。 「何だ。それは。蹴る真似か。大切な事はここを使うことなのだ」 そう言って純は自分の頭を指差した。誉められると思っていたラオは厳しく叱られて、真剣な顔つきになって構えた。 シュパッ。 ラオの足刀が空を切った。純は黙って再び、おもむろにラオに近づいた。無言のうちにも、また小莫迦にされそうな気配を感じてラオはしり込みした。 「頭を使え、と言ったはずだぞ。カーとなれとは言っていない。ちゃんと狙って蹴ろ」 二度も厳しく叱られてラオは真剣な顔つきになった。 シュパッ。シュパッ。 ラオは横蹴りをつづけて蹴り出した。今度の蹴りは無駄な力みの無い軽やかな蹴りだった。今度は純はにこやかに笑って近づいた。 「よーし。ラオ。それでいい。どうだった」 純は嬉しそうな顔で誉めた。 「えっとー」 ラオは今の感触が、どうだったか言葉で説明しようと眉を寄せた。すると途端に純はラオの頭をペシッと叩いた。 「考えるな。感じるんだ。言わば指で月を指差すようなものなのだ」 そう言って純は人差し指で虚空を指差した。 ラオは純の指先を凝視した。 すると純は、また小莫迦にしたようにペシッとラオの頭を叩いた。そして説教した。 「指にこだわっていては、その先にある美しい物を見ることは出来ない」 純は力説した。 「じゃあ、今日の練習はこれでおわりだ」 ラオは礼儀正しく深々と頭を下げた。するとまたまたラオは純にペシッと頭を叩かれた。 「相手から目をそらすな。たとえ挨拶をする時でもだ」 ラオは言われたように上目がちに純を見ながら軽く頭を下げた。 これで部活の練習はおわりだった。何が何だかわけがわからないといった顔つきのラオを残して純は部室を去って行った。練習時間は五分もない。ひどく一方的で生意気で短時間の指導である。勿論、純は、自分なりの深遠な武道哲学に基づいて指導しているのだが、相手にわかるように教えようという配慮がないとしか言いようがない。 部員は他に、エスクリマというフィリピン武術を身につけているダニー・イノサントという生徒と、バスケットボール部と兼部しているカリーム・アブドゥル・ジャバールという、ものすごい長身の生徒がいた。 数日前にアメリカンスクールの空手部と初めて対抗試合をした。アメリカンスクールの空手部の主将はチャック・ノリスというものすごい強豪だった。純は苦戦の末、最終的には倒したのだが、敵の胸毛をむしる、というとんでもないルール違反をしたため、審判に厳しく注意され、反則負けとなってしまったのである。純は戦いとなると性格が豹変してしまって、野獣のような奇声を発し勝つためには手段を選ばなくなってしまうという致命的な性格的欠点があるのである。 バラックを出た純はあとは部室で一人、父親に言われた日本史の年代丸暗記のつづきをはじめた。純は父親に、子供の時に覚えた事は一生、忘れないから、大変でも、日本史、世界史は、教科書を全部、丸暗記しろ、と言われていたのである。純は、父親に言われたからではなく、自分の判断で、父親の言った事が正しいと思ったので、一心に勉強しているのである。 その日も純は久美の家に寄った。 久美が弾いている美しいピアノの旋律が聞こえてきた。 ピンポーン。 チャイムを押すと、静子が出てきた。 「あっ。純君。いらっしゃい。どうぞ、お上がりになって」 静子は純を見るとニコッと笑って挨拶した。 「お邪魔します」 純は一礼して靴を脱いで家に上がった。 「静子さん。写真、ありがとうございました。親父、すごく喜んでました」 「そ、そうですか。それは、よかったですね」 静子は顔を赤らめて小声で言った。 「あっ。純君」 ピアノを弾いていた久美は純を見つけると、鍵盤を走らせていた手を止めた。 「純君。久美ちゃん。おやつにしましょう」 静子に言われて二人はテーブルについて、静子の手作りのクッキーを食べた。 「久美ちゃん。ピアノひいてよ」 食べおわると純が言った。 「何がいい」 「美女と野獣」 「わかったわ」 久美はピアノについて、鍵盤に手を載せて、繊細な指を鍵盤の上で軽やかに走らせた。 美女と野獣の、少し哀調のある情感的なメロディーが、部屋の中に流れた。 その後、少し雑談してから純は、静子の家を出た。 その日の夕方。 トントンと戸が叩かれる音がした。純が戸を開けると静子が立っていた。大きな盆を持っていた。 「こんばんは。純さん」 「こんばんは。静子さん」 「あ、あの。今日の夕御飯はビーフシチューにしたんですけど、たくさん作りすぎてしまって。よろしかったら召し上がって下さらないでしょうか」 「うわー。ありがとうございます。静子さんの手作りのビーフシチューなんて夢のようです。もうカップラーメンが五日もつづいていましたから、いいかげん、ウンザリしてたんです」 純は飛び上がって喜んだ。静子は照れくさそうにニコッと微笑んだ。 純は食卓に盆を持っていくとハフハフ言いながら父親と食べた。 美味い、美味い、と言いながら。 「おい。純。お礼にこれを渡せ」 そう言って父親は純に一万円冊を渡した。 食べおわって、食器を丁寧に洗って、静子の家に食器を返しにいった。 「すごく、おいしかったでした。ありがとうございました」 そう言って純はペコリと頭を下げて、食器を返した。 「あの。これ」 と言って純は父親から渡された一万円札を静子に渡した。 「こ、こんなに頂けません」 静子は驚いて手を振った。 「でも、親父が渡すように言ったんです。あいつは、こうと決めた事は絶対、ゆずりませんから」 「そうですか。有難うございます」 静子はペコリと頭を下げ申し訳なさそうに札を受けとった。 「あ、あの。純さん」 「はい」 「喜んでいただけると、私もとても嬉しいです。同じ物をつくるなら、二人分より、四人分の方が作りがいがあります。よろしかったら、これからも、作らせていただいて、よろしいでしょうか」 「大歓迎です」 こうして、純の家の夕御飯は時々、静子の作る料理にかわった。 父親が早く帰った時は、父子は、静子の家に行って静子と久美と四人で食べるようにもなった。 その光景はこんな具合である。 父子と母娘が向き合って食卓についている。 真の前が静子で、純の前が久美である。 「でもお医者様って大変なお仕事なんですね」 「いえ」 「当直とかもあるんですか」 「ええ」 「当直の翌日は休めるんでしょうか」 「いえ。翌日も勤務です」 「それは大変ですね」 「いえ。人の命を与っている仕事ですから、当たり前の事です」 と医師の当直に、いつもさんざんグチを言っている父親は、謹厳に答えた。 「大学の医療界って、どういう所なんですか。私、そういう事、全然しらないんです。テレビの白い巨頭のような事は本当にあるんですか」 「そうですね。確かに日本の医学界の制度は遅れていて、教授をトップとした封建社会という面があります。二年目からは教授の命令で僻地に行くことになります」 「真さんも、どこか僻地に行かれたんですか」 「ええ。私は小笠原諸島に二年、行きました」 「小笠原諸島ですか。それは、さぞ不便だったでしょう」 「いえ。医師不足で困っている僻地の人々に尽くす事は医師として当然の事です」 と僻地に行く事が死ぬほど嫌で、そのため医局に入らなかった真は堂々と謹厳に答えた。 「本当にご立派な志のお方ですわ」 と静子は目を潤ませて感動したように真を仰ぎ見た。 とまあ、だいたいそんな会話だった。 その週の日曜日。 突然、久美が純の家に駆け込んできた。 「じゅ、純君。助けて」 久美は泣き出しそうな顔だった。 「どうしたの。久美ちゃん」 「こんなメールが来たの」 そう言って久美は携帯を純に渡した。それにはこう書かれてあった。 「お前の母親が万引きしたんだ。警察には言わないでやるから、今すぐキャッシュカードかクレジットカードを持って、一人で三丁目のコンビニに来い」 メールには静子が丸裸で胸と秘部を手で覆っている写真が添付されていた。 「純君。お願い。助けて」 「よし。久美ちゃん。行こう」 純と久美は急いで三丁目のコンビニに向かった。 コンビニに着いた。 「久美ちゃん。一人で入って。僕もすくに行くから」 「はい」 久美は恐る恐るコンビニに入った。コンビニに客はいなかった。 久美を見つけると店長はニヤリと笑った。店長は街でも評判の悪い男だった。以前、詐欺で捕まったこともある。 「お、お母さんは」 「よく来たな。キャッシュカードは持ってきたか」 「はい」 「よし。じゃあ、会わせてやる」 そう言って店長は久美を店の奥の倉庫に連れて行った。二人が見えなくなると純はマスクをして、野球帽をかぶり、すぐに店に入った。 純は店長に気づかれないよう久美が入っていった倉庫の戸の隙間から中を覗いた。 そこには一糸纏わぬ裸の静子が後ろ手に縛られていた。そしてその縄尻は柱に縛りつけられていた。その回りを例の四人がニヤニヤ笑いながら、取り巻いていた。 「お母さん」 「久美ちゃん」 母娘は目が合うと咄嗟に呼び合った。 「ど、どうしてこんな、酷いことをするんですか」 久美は震えながら聞いた。 「メールに書いたろ。お前の母親がチョコレートを万引きしたんだ」 「ち、違います」 静子は冤罪を訴えた。 「ほー。どう違う」 静子は唇を噛んで恨めしそうに四人を見た。何か言いたそうだが言えないといった様子だった。四人はニヤニヤ笑っている。 「わ、わかったわ。あなた達が、お母さんの手提げに、そっとチョコレートを入れたんでしょ」 「おい。久美。何の証拠があって、俺達にそんな、とんでもない、いいがかりをつけるんだ」 その時、おもむろに純が入ってきた。 「あっ。純。また、てめえか」 「ほー。聞かせてもらったぜ。その人が万引きしたのか。証拠はあるのか」 「ああ。あるぜ。ちゃんと目撃者もいるし、何より物的証拠もある」 店長は居丈高に言った。 「どんな証拠だ」 「この四人が、この女が万引きする所をちゃんと見てて、知らせてくれたんだ。それで手提げを開けてみたらチョコレートが出てきたんだ。これほど確実な証拠はないだろ」 「防犯カメラは」 「防犯カメラはスイッチを入れるのを忘れていたそうだ」 四人の一人が言った。 「ほー。そうか。それは確かに確実な証拠だな。なら、なぜ警察に連絡しないんだ」 「それは警察沙汰にしては可哀相だと思ったから情けをかけてやったんだ。なんせ、四人の友達の母親だからな」 店長は居丈高に言った。 「ほー。思いやりがあるんだな。それにしちゃ、裸にして縛って写真を撮るってのは、どうしてだ」 純はジロリと四人をにらんだ。 「もしかすると久美ちゃんの言うように、そいつらの一人が彼女に気づかれないよう彼女の手提げに入れたのかもしれないぜ」 「おい。純。言いがかりもいいかげんにしろ」 四人の一人が言った。 「まだ本当に万引きしたかどうか、わからないぜ。万引きしたんなら、警察で調べれば、確実にその人の指紋が出てくるだろう。しかし指紋が出てこなく、逆にそいつらの誰かの指紋が出てきたら、そいつらが彼女を罠にはめたって事も完全に証明されるぜ」 四人は、うぐっと口をつぐんだ。 黙っていた静子は堰を切ったようにわっと泣き出して叫んだ。 「そ、そうなんです。警察に連絡して下さい、って何度も頼んだんです。でも聞いてくれなかったんです」 「てめえら。罠にはめたな」 そう言って純はポケットから携帯を取り出して警察に電話した。 「もしもし、万引き疑いの事件です。ここは三丁目のコンビニです」 「ちくしょう。ズラカレ」 と言って四人は店を飛び出した。 四人がいなくなると店長は急いで静子の縄を解いた。 自由になった静子は、恥ずかしさから、急いで床に散らかっているパンティーを履き、ブラジャー着け、スカートを履いてブラウスを着た。 警察はすぐにやって来た。 「万引きですね。万引き犯はどこですか」 警官が聞いた。 「な、何でもありません。誰かの悪戯でしょう」 店長は苦しげな顔つきで手を振った。 こうなっては立件は難しい。 「そうですか」 警官はさも残念といった顔つきでパトカーに戻って行った。 純は店長をにらみつけた。 「このチンカス野郎」 パトカーが去ると純は店長を思いきりぶん殴った。 店長は殴られて吹っ飛んだ。 純は静子と久美を見た。 「行こう。久美ちゃん。静子さん」 店長が頭を振ってフラフラと起き上がると純は、店長をにらみつけ、握りしめた拳を突き出した。 「二度と手を出すな。このハンチク野郎」 「は、はい」 店長は慄いた顔つきでヘコヘコ頭を下げた。 純と久美と静子は店を出た。 ちょうど空車のタクシーが向かってきたので純は手を上げた。 三人はタクシーに乗り込んで、静子の家にもどった。 家につくと静子は低頭平身して純に頭を下げた。 「純君。ありがとうございました。助かりました。何とお礼を言っていいことか思いつかないほどです」 「いやあ。別にたいした事じゃないですよ」 純は照れて頭を掻いた。 「何かお礼をさせて下さい」 「いいですよ。そんな」 「でも、私の気持ちがすまないんです」 「じゃあ、僕はいいですけど、父親が静子さんに一目見た時から惚れてしまって、手がつけられないんです。何とかしてやってもらえないでしょうか」 「はい。何でもします」 「親父。静子さんのパンティーとブラジャーが欲しい、欲しいと言ってきかないんです。よろしかったら、もらえないでしょうか」 静子は真っ赤になった。 「は、はい。わかりました」 静子は箪笥を開けてパンティーとブラジャーを持ってきた。 「あ、あの。こんな物でよろしければ」 と言って静子夫人は顔を真っ赤にして、箪笥から持ってきた下着を差し出した。 「ありがとうございます」 純は礼を言って、それを受けとった。 あ、あの、と純は、口を開いたが躊躇して言いためらった。 「はい。なんでしょうか」 静子は即座に聞いた。 「あのー。申し訳ありませんが、出来たら、今、静子さんが履いている下着の方が、親父、喜ぶと思うんです」 「はい。わかりました」 そう言って静子は、その場でスカートの中に手を入れてパンティーを降ろして足から抜きとり、ブラウスのボタンを外して、ブラジャーを取り外した。 そしてパンティーとブラジャーを純に差し出した。 「ありがとうございます。親父、飛び上がって喜びますよ」 そう言って純は静子の下着を受けとった。 その日の夕食の時。 純は父親に下着を差し出した。 「なんだ。それは」 「静子さんのパンティーとブラジャーさ」 「な、何で、そんな物を持ってるんだ」 父親は目を丸くして言った。 「パンティーとブラジャーくれませんかって言ったら、くれたんだ」 「ば、ばか。なぜ、そんな事したんだ」 「親父、欲しがってただろ」 「ばか。また、そんな恥さらしな事したのか。我が家の恥だ。オレが明日、返しがてら謝ってくるから、よこせ」 そう言って父親はパンティーとブラジャーを、あわてて奪い取った。 その夜は父親の寝室から、「ああ。静子さん。好きだ。好きだ」という声とオナニーのマラを扱くクチャクチャする音がうるさくて、純はなかなか寝つけなかった。 翌日の放課後。 純は静子の家のチャイムを鳴らした。 「いらっしやい。純君。どうぞお上がりになって」 だが純は手を振った。 「下着ありがとうございました。おやじ、すごく喜んでました。そのお礼を言いに来ただけです」 途端に静子は赤面した。 「い、いえ。どういたしまして」 静子は赤面して言った。 純は深々と一礼して踵を返した。 数日後の学校の放課後。いつものように純は久美と一緒に帰り、純は静子の家に寄った。 「ただいま。お母さん」 「おかえりなさい」 「お邪魔します」 「いらっしゃい。純君」 「純君。久美ちゃん。ちょうどチーズケーキが焼けたところなの。おやつにしましょう」 「はい」 久美と純はテーブルについた。 静子は、ニコッと笑って、作っておいたチーズケーキを出した。 「お味は、いかがですか」 「すごく美味しいです」 純は笑顔で答えた。 静子もテーブルについた。 「純君のお父さんと私のお母さんが結婚してくれたら、いいのにね。そしたら、私、純君の妹になれるのにね」 久美が言うと静子はニコッと笑った。 「おやじ。いい歳して、照れ屋だからね。静子さんを好きなのに言えないんだよ」 「どうして?」 「あいつは自分からは大切な事は何も言えないんだよ。そのくせ、人一倍、静子さんに憧れてて。毎晩、静子さんのパンティーに鼻を当てながら、『ああっ。静子さん。好きです』って言いながらオナニーしてるんだ」 「どうして言わないの」 「あいつは臆病者で自分が可愛すぎるんだよ。まだ自己愛から抜けきれてなくて、自分の心が少しでも傷つくのが怖いんだよ」 純はつづけて言った。 「あいつの方から、結婚して下さい、って、言えないんだよ。女性に好きです、って、言わせる事が、残酷だって事がわからないんだよ」 久美は微笑んで黙って聞いていた。 「結婚したら静子さんに自分のパンツを洗わせることになるだろ。それが恥ずかしいんだよ。あいつは、病的なフェミニストだからね。自分のパンツを静子さん程の美人に洗わせる事が出来ないんだよ。鼾を聞かれることも怖がってるんだ」 純はつづけて言った。 「家を掃除させる事も悪いと思ってるんだよ」 「すごくデリケートな方なのね」 「まあ、よく言えば、そうかな」 「それと、おやじにはSM趣味があるからね。静子さんを縛りたいとも思っているんだ。結婚したら、性生活でそういう事もガマンできないだろうからね。そんな事して、変態だと思われる事にも、親父には耐えられないんだ」 黙って聞いていた静子の頬がほんのり紅潮した。 純はつづけて言った。 「それにあいつはロリコンもあるからね。結婚したら君に悪戯するかもしれないよ。しかしあいつは自制心が強いからね。君に苦悩するのが嫌なんだ」 「そうは思えないわ」 久美は訝しがるように眉を寄せて言った。 「人は見かけによらないよ。おやじは女には年齢に関係なく狼のように飢えてるんだよ」 純は一息入れるように、ズズーと紅茶をすすった。 そして話しつづけた。 「それと、もう一つ別の理由があるんだ。おやじは、自分はやさしい母親の愛を受けなかったから小説が書けるんだ。やさしい親の愛を受けたやつには小説は書けない。お前もやさしい母親がいないから小説家になれる可能性がある。ハングリーなやつでないと小説は書けない、って言ってるんだ。まあ確かにそれは当たってる面があると思う」 「それで純君は小説家になりたいの?」 久美が聞いた。 「まあ、そうも考えたりするね。どんな職業も十年一日の同じことの繰り返しだからね。その点、小説家は新しい物を創造する仕事だからね。しかし筆一本で生きていく自信もないからね。おやじの言うように、まず医学部にいって、医師免許をとろうと思っているんだ。僕もおやじと同じように世の中にしゃしゃり出て世の中を変えたいとも思わないし、学者なんてのもまっぴらだしね」 そんな二人の会話を静子は黙って聞いていた。 その後も父子は隣の静子の家に呼ばれて夕食を共にしたが、父親は謹厳な態度を崩そうとしない。どんなに静子が明るく振舞っても。これほど依怙地な性格もめずらしい。肝心な所から情報は洩れているというのに。だが純は無考えに喋っているのではないのである。何とか親父の内気な性格を治してやろうという動機から喋っているのであって、純はとても父親思いの孝行息子なのである。 それから数日後。 純と父親は、久々に静子の家に招かれて夕食を共にした。 「あ、あの」 「はい。何でしょうか」 「私、いびき、なんて何ともないです」 「は?」 父親は何の事だかわけが解らないといったような顔つきになった。 だが静子は一心に話し続けた。 「山本様。差し出がましい事を言うようで申し訳ありませんか、やさしい親の愛を受けた人にも小説は書けると思います」 「は?」 父親は、また小首を傾げた。 「私、山本さんになら鞭打たれても、縛られても何をされても何ともありません」 静子は泣き出した。 「あ、あの。私、マゾなんです。真さんのような優しい人に虐められたいんです」 「な、何のことでしょうか」 父親はこの突拍子もない発言に、たじろいで身を引いた。 「真さん。私でよろしければ結婚していただけないでしょうか」 静子は、とうとう衝撃的な告白の言葉を言った。 その告白は青天の霹靂のように父親の胸に突き刺さった。 父親はショックを受けて真っ青になって箸を落とした。 だが静子は訴えるようにつづけて言った。 「私、真さんをはじめて見た時から、真さんと再婚できたら、どんなに素晴らしいかしら、と思っていたんです」 父親は咄嗟に横に座っている純を見た。純はニコリと笑った。父親は、意を解して真顔になった。そして前にいる静子を見た。 「あ、ありがとうございます。失礼致しました」 父親は謹厳な口調で言った。 しばし父親は眉間に皺を寄せて黙って考え込んだ。 しばしの時間が経った。 食卓はしんと静まり返った。 ようやく父親は重い口を開いた。 「あの。静子さん」 「はい」 静子は即座に答えた。 「今のあなた様の発言は無かったことにしていただけないでしょうか」 「は、はい」 静子は穏やかに答えた。 「ありがとうございます」 父親は落ち着いた口調で言った。 父親は前にいる美しい女性の潤んだ瞳を初めて真顔で直視した。 そしてあらたまった口調で慎ましく言った。 「静子さん。ご迷惑をかけるかもしれませんか、私のようなつまらない男でよろしければ結婚していただけないでしょうか」 「はい。よろこんで」 静子は即座に答えた。 静子の目には涙が光っていた。 「やったな。おやじ」 純は親父の背中をドンと叩いた。 「やったー。これからは純君が私のお兄さんになるのね」 久美は前にいる純を見てニコッと笑った。 平成21年6月23日(火)擱筆
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