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 診察は、八時四十五分から始まる。  その時間になると、担当の医師たちが待合室前の廊下に出てくる。 「おはようございます。本日の第一診察室は、(たちばな)匡久(たすく)です。よろしくお願いします」 「第二診察室は藤波(ふじなみ)啓史(けいし)です。よろしくお願いします」  祖母の主治医は若い橘医師で、祖母は、リハビリだけの日でも、この彼の挨拶を見るために月、水は毎回受付開始前に病院に来たがる。  橘匡久は、橘病院の院長の息子で、二十九歳。患者たちからは、匡久先生だの若先生だのと呼ばれている。顔がきれいなこともあるが、柔和で落ち着いた物腰で、女性患者にファンが多い。  円もその一人だ。  そして今日は診察日。  一番に来た者だけに与えられるスペシャル・イベントがあるのだ。  医師二人が頭を下げて挨拶し、顔を上げる。  穏やかなその「匡久先生」の微笑みには、まりえも好感を持っている。その彼が、さっと待合室を見渡し、祖母に目を留めた。にっこりと笑顔を見せて呼ぶ。 「受付番号一番、(さかき)(えん)さん、第一診察室へどうぞ」  担当医から直接名前を呼ばれるのは、この時、その医師の一番目の患者だけなのである。  二番目以降は、外来看護師が呼びに来る。  祖母の嬉しそうに紅潮した顔を、まりえはこっそり横に見て満足する。  今日、このため、この「名前を呼ばれる」ということのためだけに、早起きして家を出たのだ。  立ち上がった円に、田中さんを初めとした女性患者たちから、羨望のまなざしが注がれる。 「六番、太田照也さん、第二診察室へどうぞ」  五十がらみの藤波医師の声に、年配の男性が立ち上がる。  受付番号五番までは、みな女性で、橘医師が主治医なのだった。
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