1/3
前へ
/42ページ
次へ

 その日、まりえは回診に来た匡久先生を廊下まで見送り、深々と頭を下げた。すると、 「少しでもお役に立てたなら何よりです。でも、ご自身で行動されたんですから」  と匡久は笑う。  まりえは戸惑い、そんな偉いものじゃない、と思って言った。 「でも……。なんだか、素直に両親に甘えていいのかわからなくて。ひねくれた気持ちになっちゃうんです」 「そうですか。でも、おうちの家事や円さんのお世話をしっかりされているし、甘えているとは思いませんけれど。それに、期限付きなら少しくらい甘えてもいいんじゃないですか。自立心が強いのかな?」 「いえ、そんないいものではなく……。結局、実際には甘えているんです。なのに感謝すらできなくて。それが嫌で」 「……僕もあるかも」  爽やかな顔のまま、匡久は笑って言う。 「先生にもあるんですか」と、まりえは目を丸くする。匡久は言った。 「ありますよ。親に助けてもらうとき、負い目や引け目を感じるんですよね。すると反発心が起こっちゃって」 「負い目」  感じているかも、とまりえは思う。 「でも、負い目に引きずられるより、開き直ってでも、やることやったほうがいいかなって」 「開き直る……」 「言葉は悪いですけど、その方が、早く独り立ちできるかなと思ってるんです。できないのに反発ばかりしてても、いいこと無いなって。できるようになれば、助けてもらったことへの感謝って、自然にわいてくるような気もするし」  まりえは意外な眼差しで匡久を見上げる。  すると笑って、匡久は話題を変えた。 「今日は、これから帰って絵を描かれるんですか」 「はい、店の手伝いをしなくてよくなったので……。でも何を描けばいいのか、思いつかないんです。描きたい気持ちはあるんですけど、何を描いてもなんだかパッとしなくて」 「そうなんですね」  ふーん、と匡久は何か考えるような素振りをした。 「わからないですけど……、展覧会にこだわりすぎずに、いま描きたいものを描かれてもいいんじゃないですか」 「はい、でもその、描きたいものが何もなくて」  なんだかさっきから、駄々をこねるようなことばかり言っている、と、まりえは恥ずかしくなる。  こんなわがままばかり言って、嫌われてしまうかもしれない。  だが、匡久は特に気に留める様子もなく受け止めてくれる。 「そうなんですね。うーん。じゃあ、あまり根を詰めずに、少しリラックスすることとか……ほかのことをされてみるのはどうでしょう? 好きな景色や絵を見るとか、知らない場所に行ってみるとか。まあ、僕は絵を描かないので、あまり参考にはなりませんけれど」 「あ……いえ。はい、ありがとうございます」  匡久先生といると、何でも相談したくなっちゃうのかな、とまりえは思う。  祖母の病気のこと以外でも、真剣に聴いて相談に乗ってくれる。そこが先生の人気の理由の一つかもしれない、と思った。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加