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◇
その日、まりえは回診に来た匡久先生を廊下まで見送り、深々と頭を下げた。すると、
「少しでもお役に立てたなら何よりです。でも、ご自身で行動されたんですから」
と匡久は笑う。
まりえは戸惑い、そんな偉いものじゃない、と思って言った。
「でも……。なんだか、素直に両親に甘えていいのかわからなくて。ひねくれた気持ちになっちゃうんです」
「そうですか。でも、おうちの家事や円さんのお世話をしっかりされているし、甘えているとは思いませんけれど。それに、期限付きなら少しくらい甘えてもいいんじゃないですか。自立心が強いのかな?」
「いえ、そんないいものではなく……。結局、実際には甘えているんです。なのに感謝すらできなくて。それが嫌で」
「……僕もあるかも」
爽やかな顔のまま、匡久は笑って言う。
「先生にもあるんですか」と、まりえは目を丸くする。匡久は言った。
「ありますよ。親に助けてもらうとき、負い目や引け目を感じるんですよね。すると反発心が起こっちゃって」
「負い目」
感じているかも、とまりえは思う。
「でも、負い目に引きずられるより、開き直ってでも、やることやったほうがいいかなって」
「開き直る……」
「言葉は悪いですけど、その方が、早く独り立ちできるかなと思ってるんです。できないのに反発ばかりしてても、いいこと無いなって。できるようになれば、助けてもらったことへの感謝って、自然にわいてくるような気もするし」
まりえは意外な眼差しで匡久を見上げる。
すると笑って、匡久は話題を変えた。
「今日は、これから帰って絵を描かれるんですか」
「はい、店の手伝いをしなくてよくなったので……。でも何を描けばいいのか、思いつかないんです。描きたい気持ちはあるんですけど、何を描いてもなんだかパッとしなくて」
「そうなんですね」
ふーん、と匡久は何か考えるような素振りをした。
「わからないですけど……、展覧会にこだわりすぎずに、いま描きたいものを描かれてもいいんじゃないですか」
「はい、でもその、描きたいものが何もなくて」
なんだかさっきから、駄々をこねるようなことばかり言っている、と、まりえは恥ずかしくなる。
こんなわがままばかり言って、嫌われてしまうかもしれない。
だが、匡久は特に気に留める様子もなく受け止めてくれる。
「そうなんですね。うーん。じゃあ、あまり根を詰めずに、少しリラックスすることとか……ほかのことをされてみるのはどうでしょう? 好きな景色や絵を見るとか、知らない場所に行ってみるとか。まあ、僕は絵を描かないので、あまり参考にはなりませんけれど」
「あ……いえ。はい、ありがとうございます」
匡久先生といると、何でも相談したくなっちゃうのかな、とまりえは思う。
祖母の病気のこと以外でも、真剣に聴いて相談に乗ってくれる。そこが先生の人気の理由の一つかもしれない、と思った。
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