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まりえはポスターの写真の人々の生き生きした表情に、心惹かれた。
「あの、」
と、匡久に近寄って言う。
「この、高度成長の時代、っていうのも見て行っていいですか?」
「あ、はい。もちろん」
チケットは同じなので、そのまま二人で中に入る。入口でもう片方の半券を切り取られた。
中には各時代の説明のボードがあり、主に昭和二十年代から四十年代のアーケード街の様子と、炭鉱町の写真が展示されていた。
見学している人は、ほとんど誰もいない。
写真は炭鉱や街並みだけでなく、各種の店の中や、炭鉱夫たち、店主や炭鉱夫の家族と思われる女性や子どもたちをも写していた。
まりえは、そのうちの何枚かの写真の表情に心惹かれる。そこに、物語がある、と思う。実際に生きた人々の物語が。
写真の世界観に惹き込まれていた時、匡久が囁くように声をかけた。
「すみません。僕、病院から電話があったので、先に出ますね。ゆっくり見てらしてください」
「あ、はい」
という返事も聞かずに、匡久は大股に部屋を出て行った。
まりえは再び、写真の世界に没頭してゆく。
ーー私が描きたいのは、実際に生きて働いている人の物語だ。
そう確信する。
ーーそうだ、お父さん。
仕事をしている時の、父母の絵を描こう。
突然そう思いついた。
地に足をつけて暮らしている人の物語。
それは私っぽくない。売れないかもしれない。下手かもしれない。でも描きたい。強くそう思う。
そして、ふと我に返り、匡久を待たせていることを思い出す。
写真に名残惜しさを感じながらも、足早にその部屋を出た。
ロビーには、匡久の姿はない。
連絡を取ろうとして携帯電話を取り出し、留守番電話が入っていたことに気づく。
マナーモードにしてバッグに入れていたので、気づかなかったのだ。
電話は匡久からで、
「本当にすみません。仕事が入ったので、今日は帰ります。また後程メールします」
という短いメッセージだった。
今までに聞いたことがない切迫した話し方だ。
ーー仕事……。
自分ももっと早く、一緒について出れば良かった、と、まりえは思う。
せめて、挨拶くらいはしたかったのだ。
けれど、写真に見入ってしまった自分が悪い。失礼なことをしてしまった。
『今日はありがとうございました。
ご挨拶もできずにすみません。
お誘いいただいて嬉しかったです。
絵の参考にもなり、先生とご一緒できて、とても楽しかったです。
お帰りお気をつけて、お仕事がんばってください。』
そうメールして、携帯電話を閉じた。
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