星喰い(ほしくい)

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       三  はじめは、雨が降り出したのかと思った。目をこらして見ると、ほのかに輝いていた。あれは星だ。そう思い息を飲んだ。大きさのまちまちになっている粒子が、青や赤や白に変化しては、燃えあがった。互いにぶつかりあって、消えてゆく。光の明滅が、はじけて飛んだ。砂の上に落ちた光は、目にも止まらぬ速さでかけ回り、水面を走ると、やがて闇のなかへと消えて行った。  シン、と静まり返った空を見上げると、またいくらも星が降ってくる。目の前がくらむような光線の雨は、地に落ちると、はじけて消える。次から次へと降り積り、浜辺を光のうねりで、うめつくしていった。くぼみのある岩の間には光が溜まり、水たまりのようになって輝いていた。  星だ。星が降ってきたのだ。わたしは、ぽかんと口を開いたまま、阿呆のように眺めていた。夢でもみているのだろうか。水面を打つ光を見るたびに、目をぱちぱちとさせた。  「今日は、年に一度の大収穫の日なんだ」  見ると、隣でしゃがみこんでいた老人は、うれしそうに笑っている。なるほど。これが流星群なのか。予想していたものとは、ずいぶん違った。  「百年に一度じゃないの?」  「そりゃ、お前らの言う年だろ。おれたちにとっては、年に一度さ」  「おれたちの?」  まだ聞きたいことがあったが、老人は煩わしそうに、片手をふってそれを払った。鬚をなでながら、どこから取り出したのか、煙草をくわえてその先に火をつけた。  「おれは難しいことは、わからん。それよりな、しろめし。おしゃべりしてる暇はねえぞ。止んだら、釣りに行かなきゃならねえ」  老人はそう言って、バケツの中に浮かんでいた黄色い、ビニールのおもちゃを取り出した。しかし、それはおもちゃなどではなかった。ほれ、と下弦の形をした月をわたされ、おっかなびっくり、それを受け取った。やや重たく、触り心地は、石の表面のようにごつごつとしている。中は、くりぬかれているので、空洞だった。空にかかげて、中を覗き込んでいると、老人は愉快そうな声を上げて笑った。  「こいつらは、釣ったのよ」誇らしげにもう一つの三日月を、かかげて見せてきた。あまりのことに、目を見開いた。  「星って釣れるの?」  「もちろん。そして食うんだ」  「何を?」  「星を」  当たり前のように言うものだから、わたしはついに言葉を失った。彼は、星で星を釣り、その中身を食べるのだと言う。息をのんで、手にしていた下弦の月を、見下ろした。じゃあこれは、食べたあとの殻なのか。なんだか、いまいち実感がわかなかった。そんなことに頓着しない老人は、嬉々として話しを続ける。  「星もうまいが、特に月は格別だ。ぷるぷるで、やわらかくてな。最初はあったかくて、甘い。でも、すぐつめたくなって、かさかさになる。最後には、かちかちに凍るぞ。だから、よく噛んでからじゃないと飲みこめねえ」  月の味を思い出しているのか、うっとりとした表情をして、語り続けた。最初はよ、星よりうめえとは思わなかったからな。釣っても、すぐ逃がしてたんだ。だけど、つい魔がさして食いたくなった。もう、食ったらやみつきよ。おれぁ、こいつを食わなきゃ、生きている気さえしなくなってくるんだ、云々。 それからは、ただ黙って話しを聞いていた。口を挟む余地もないほど、老人はうれしそうに、月の味や、色、形、その性質について、話す。聞いているうちに、こっちまで愉快になってくるのだから、不思議だった。 そうして、ふと思う。これほど、幸せそうな表情をして物を食べ、食べるために生き、よろこびを感じてきたことなど、これまであっただろうか。腹の底に染みわたるような、温かなぬくもりを、きちんと知っているのだろうか。わたしには、はっきり、そうだと言いきれるだけの自信はなかった。  「きっと、ただ生きてきただけだ」ふと、もらしたつぶやきは、老人には届かない。ましてや自分になど、問うだけ無駄だった。  見ると、一つの赤い光が瞬いた。落ちる。と、思う前にそれは流れた。流線型を描くように滑空し、完全に降下すると、地上にぶつかり、そのまますべるように走り出した。切れ切れの光が、放物線を描き、夜の闇へと溶けてゆく。ふり返りもせず、あたりまえのように。  彼らは生きていた。落ちても、生きている。あの星の大群勢は、いまもこの海を光で満たしている。想像もつかない時間が、そこにはあった。何億光年という果てのない距離を、膨大な時間をかけて、たどりついた先に、ようやくいまここで瞬いているのだ。この大地に、一瞬にして降り立った。目の前の老人は、それをいとも容易くつかまえ、食べるのだと言う。それが彼の生活なのだ。  「でも、」と、月のごつごつした表面を指先でなぞりながら、軽く首をかしげた。「そんなにたくさん、月なんか落ちてくるもんなの?」  老人は、青い瞳をぱちぱちとさせてから、紫煙を吐き出した。煙草の火を揉み消して、鬚をなでる。ふむ、と小さくうなずいてから、立ち上がった。同時に、足元に転がっていた、青い釣り竿を手に取る。上弦の月を脇にはさんで、やい、しろめし、とこちらをふり返った。  「運が良けりゃ、今日も釣れるだろう。手伝え」  何を言われているのかわからず、しばらくボンヤリとしていたが、すぐに立ち上がった。月を抱えたまま、しびれた足を引きずって、老人の後に続いた。星は、すっかり降り止んでいた。辺りは朝露にぬれたように、まぶしい。湿り気を帯びた風が頬をなでる。砂を踏み分けながら、どうして降っている間につかまえないのか、聞いた。すると、老人は一つため息をついた。  「わからねえ奴だな。水とちがって、星は自在に動くんだ。そんなことしたって、逃げるだけだろ」  「そうなんだ」  「そうさ。だから水に落っこちたのを、釣るんじゃねえか」  サンダルの下で光っていた、青い星の粒を踏みながら、ふうん、と気のない返事をした。まるで、青い砂漠を歩いているようだった。気のせいだろうか。吐きだす息も、ほんの少し白くなっている。老人は、肩をすくめて歩き出すと、聴いたこともないような歌を、口ずさんでいた。
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