星喰い(ほしくい)

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       四  いつの間に、こんなに集まっていたのだろう。  浜辺には、老人と同じようにバケツを手にした人々が、たくさんいた。知りあいも多いのか、やあ星喰い。今夜は晴れて良かったね。女の子連れなんてすごいな。など、さまざまな冷やかしを受けながら進み、丁寧に一つ一つ答えて行った。おう来たかテメーら。うるせえばかやろう、前を開けろ。今日はデッケー月も釣るんだからな。食いまくるぞお。と、肩をいからせながら進む、老人の背中は、心底からうれしそうだった。  「お前はここに居ろ。手本を見せてやる」  まずは星だな。そう言って、長靴を脱いで、ズボンをまくりあげると、月を抱えたまま光の海の中へと入って行った。ざぶざぶ、と水面がゆれるたびに、海の中を泳いでいた星が飛びあがり、空を舞った。こら、星喰い。気をつけろ。逃げられちまったじゃねーか。出て行け。と、他の人に叱られていたが、無視していた。  老人は、三日月を海の上に浮かべて、しばらく左右にゆらしていた。すると、みるみるうちに、浸水してゆく。それと一緒になって星が、入り込んでゆくではないか。海の上をただよっていた、いくつかの輝きは、月の中に入り込むと、その中をくるくると回っていた。青や、赤に明滅しながら、殻の三日月を満たしてゆく。アレは、どういう仕組みなのだろうか。  「アレはね。月の重力に吸いよせられているのですよ」  心の中でつぶやいたつもりが、声に出ていたのだろうか。驚いて、隣を見ると、そり上げた頭をなでながら、異様にくちびるを持ち上げて笑う男が、立っていた。白いワイシャツに、カーキ色のズボンをはいて、砂浜だと言うのに革の靴を履いていた。  「あなたも星を食べる人?」  他意もなくつぶやいた言葉に、男はハハ、と短く笑った。  「私は哲学者ですから。星は食べられませんね」  「自分からそう言う人、はじめて見たわ」  「それはどうも」  少し興奮しながら彼を見ると、軽い会釈をされた。それに合わせて、頭を下げる。簡単にあいさつをしたが、哲学者は特に興味もないのか、くちびるの端を軽く持ち上げて、笑うだけだった。なぜか、その微笑を見ていると、古本屋の店主を思い出す。案外と、ここはタチバナのような人種が集まる、秘密の場所なのかもしれない。  「星喰いは、この辺りじゃ彼一人ですよ。他の連中は、他の目的で星をつかまえる。だけど、星を喰うために釣ろうなどと言う奇特な人間は、彼くらいです」  「他の目的?」  「まあ、切ったり、売ったり、飼ったり、着たり、燃料にしたり」  「どうして食べないんですか?」  「さあ、どうしてでしょうね」  こちらを見もせず、くちびるの端を異様に持ち上げて笑うと、あとは黙っていた。わたしも、光の海を眺めた。隣をちら、と盗み見て驚いた。哲学者は羨望のまなざしで、海を見つめていたからだ。いや、正確には光の海のなかで、無邪気に星を釣り上げる老人を、見ているのだ。「まったく、なんでしょうね。あの勝率は」と、苦笑を浮かべていたが、声音は愉快そうだった。この時、二人は仲のいい友達なのだろうと、勝手に思った。  それを口にしてみると、哲学者は一度「え」と、頓狂な声を上げた。すぐに困ったように表情を歪めると、うつむいて、ついにはうなり出した。何か悪いことでも、言ってしまったのだろうか。内心であわてたが、平生を装って、また海の方を向いた。老人が、ようやく釣り終えた星を抱えて、こちらに向かってきているところだった。  哲学者は、何を思ったのか「あなたは、意外に面白い人ですね」と言って、急にうつむいていた顔を持ち上げた。それはどうも。同じような返事をすると、彼は大いに笑いだした。声を上げて、歯を天に向けて笑っている姿は、まったく老人そっくりだった。  その笑い声を聞きつけた老人は、すぐに眉をよせて「なんだ、お前来てたのか」と、ぶっきらぼうに言った。濡れた足を砂まみれにしながら、立ち止まると、釣ってきた月の殻を哲学者に押しつけた。まったく、骨が折れるぜ。と、しゃがみこんだ老人の足も、光の海のように、ほのかに青白く光っていた。        
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