星喰い(ほしくい)

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      五  結局、わたしは星を釣ることができなかった。なぜって、老人がほとんど捕まえてしまい、二つあった三日月の殻は、満杯になってしまったからだ。  「人に物を持たせて寝るとは、良い身分だな。星喰い」  ぐったりと横になっている老人を見下げながら、苦々しげにつぶやいた哲学者の言葉に、自然笑った。じゃあ、わたしも持ちましょう。と、手を出しかけて、止めた。勢いよく起き上がった老人が、「止せ。お前は絶対落としちまう」と、言って睨んできたからだ。ひどい言い草だ、と思いながらも、大人しく言うことを聞いた。  「そう言うのにも、理由があるのですよ。お嬢さん」  哲学者は微笑を浮かべて、しゃがみこんだ。抱えていた三日月を、二つとも砂の上に置いて、こちらを見上げてきた。わたしもその場にしゃがみこむと、膝を折って、二人と向かいあった。  浜辺では、自然と祭りのような騒ぎになっていた。飛びまわる星をつかまえようとして海に飛び込む人や、沖あいに船を出して、釣竿から糸を垂らす人たちもいた。釣ってきた星を数えて、袋の中に移し替えている人や、花火などを打ち上げ、走り回っている人たちもいた。そばではバーベキューをやり、肉と野菜の焼ける香ばしい煙が、こちらにまでただよって来ていた。  空では、いくつものかがやきが瞬き、流れるたびに海の中へ、浜辺の上へと降ってくる。みな好き勝手にはしゃいではいたが、空を見上げる人々の眼は、一様にきらきらとかがやいている。  お嬢さん、と呼ばれて視線を、哲学者のほうへ戻した。円を描くように座っていたため、中央では星の光で満たされた三日月が、赤や青、黄や白に、点滅していた。かがやきが変化するたびに、哲学者の顔を照らす色も、鮮やかに変わっていった。  「月の中に星を入れると、殻の時よりも軽くなるのです」  「どうして?」  「月の引力によって集まってきた星は、相当大きなエネルギーを内包しているので、その熱が空へと帰ろうとするため、通常よりも軽くなるのです。もちろん、いまの三倍から四倍の量の星を、中に入れなければ浮き上がる、なんてことはありませんが。まあ、念のため、お嬢さんは触らないほうが良いでしょう。なあ、星喰い。そう言いたいんだろう?」  呼ばれて、老人は曖昧な返事をしたが、顔だけは上げなかった。未だ、横になったままだ。砂にまみれた白髪をかきながら、ああくたびれた。もう年かしら。などと、愚痴をこぼしている。案外なことに、わたしは吹きだして、笑ってしまった。  「やさしいんですね」  つぶやいた言葉に、返答はなかった。期待していた訳でもないので、わたしも黙っていた。二人はどちらからともなく、今年の星の収穫量や、変動の推移や、光の屈折率の話しなどを、はじめた。半分もわからなかった。老人もわからなかった。だから、哲学者に対して怒りだした。ついには、落っこちてきた月を、釣り上げた時の自慢話しへと発展していった。そこで、ようやく話しに参加することができた。  「月って、毎日落ちてくるの?」  わたしの言葉に、老人は不機嫌そうに眉根をよせて「おい、こいつ本当に大丈夫なのか?」と、つぶやいていた。ムッとして、睨みつけたが、老人は平気だった。それに苦笑を浮かべた哲学者が、えー、と言いながら砂の上に文字を書きはじめた。X=Y,Z+Q=H、YY二乗+XE=二乗分のT、U=XY……など、難しい公式を書きだしたので、辟易した。そんなもの、わかるはずがないじゃないか。それは、老人も同じだったのか、「おい、テメー。ひけらかしも大概にしろよ」と言いながら、ごちゃごちゃ書いてあった数式をすべて、足で消してしまった。消されたことが不満だったのか、哲学者は不機嫌そうに、頭をなでていた。  「いいですか、お嬢さん。朝と夜があるのは、月が毎日、落ちてくるからなのです。朝になると同時に、古い月は地上に降ってきます。その死にかけの月を、彼は勝手に釣って食っているだけです。本来なら、その落ちてきた月は、地上で爆発し、太陽へと変化したのち、空へと昇ってゆきます」  「え、じゃあ食べちゃったら、いつまでも日が昇らないじゃない」  「だから夜があるのです」  言っている意味がわからない、と正直に首を横に振った。なんだか、天文学者が聞いたら卒倒しそうな話しだな、と思ったが黙っていた。  「我々は、過去も現在も未来も、つなぐことができます。なぜか、わかりますか。私たちは、それぞれの時間を経験した私を、私であると認識し、つないでゆくことによって、この三つの時間に連続性を見出し、私という総体化された自己を、見出しているからです。つまり、名称性のある、一つの個体であるということは、本来ならバラバラである時間を、結びつける意識を持っているということであり、それを主体として自ら認識することによって、成立しているものなのです」  「星はちがうの?」  「そうです。星は、過去と現在と未来とでは、まったく違う存在となります。星喰いが釣っているのは、そのうちの一つに過ぎません。彼が月をいくつか食べることによって、日の昇らない時間が生まれているのです」  哲学者はまじめな顔をすると、目の前で人差し指を立てた。  「だからと言って、星に意志がない訳ではない。いいですか、ここが微妙なところなのです。一度死んで、拡散したエネルギーや、組織、物質は一晩のうちに、さまざまな融合を果たして、また新しいエネルギーへと変化し、あるべき場所へと帰るのです。だから、死んだ月は地上で眠り、朝には太陽へと変化して、天へと昇るのです。動物も、習性による帰属意識があるように、一つ一つの物質にも、私たちが聞き取ることのできない、ある一つの意志、言葉を持っているのですよ」  「言葉?」  哲学者は、にっこりと笑った。ずいぶん、楽しそうだった。  「爆発した星は、そのさまざまな物質を放散させますが、それと同時に新たなエネルギーへと、変化するのです。牛乳も、瓶も、鉄も、火も、犬も、人も、それぞれ偏りのある、一つの物質に過ぎないのです。それらが、ぐちゃぐちゃに混ざりあって、中心に向かって働きかけることによって、エネルギーは生れ、星は機能してゆく。そして物質は絶えず、その時間の推移によって変化してゆきます。死のうが、生まれようが、つねに星は変動を続け、その変動の力によって輝いている。その輝きは、消滅と同時に光ったものです。しかし、星の意志そのものは、過去であり、今であり、未来である。なによりも速く、時空間をかけぬけてくるものなのです」  だから、と言って哲学者は言葉を濁した。ほとんど、周りの音や、声など聞こえなくなるほど、彼の話しに夢中になっていた。「だから?」と、わたしは先をうながす。少し困ったように口元を歪めた哲学者は、老人の方へ目配せをした。だから、と哲学者の言葉を継いで、老人はにっ、と笑った。青いほのかな光が、空を舞った。  「おれたちは、みんな同じってことだろ」  「同じ?」  「おれたちは星の子供なのさ」  あまりのことに、ハッとした。頭をかち割られたような衝撃と共に、全身をつらぬいたこのしびれには、覚えがあった。ふとよぎった横顔は、いまそばにはいない、彼の笑顔だった。
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