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25歳、智治(仮)
秋晴れの中、智治はオフィスから外を眺めた。
パソコンと向き合い続けた疲労回復の意味を込めて、外を見たものの、どこもかしこもビルばかりでどこもかしこも自分のような連中ばかりなのだろうと思った。
ふと、隣のビルの中の窓から、女性がこちらを見ている気がした。
気がしたのではなく、確実に見ていた。
確実に目が合っている。
手にしていた缶コーヒーに力が込められた。
あろう事か、その女性は手招きしているのだ。
ここはオフィスビルで、その中にいるという事は、仕事中である事は明白だ。
それなのに何故呼ぶのか。
女性はシャツのボタンを上から二つほど開けて首を傾げた。
何故来ないのかわからないとでもいうように。
スマホが振動した。
『洋治』からの電話だった。
今はそんな事はどうでも良かった。
電話の呼び出しが途切れると、メッセージが来た。
『今夜、うち来ないか?』
お前に構ってる暇は無い。今夜はあの子とどうにかなれるかもしれないんだ。
もしかしたら自分ではなく上の階に人がいて、そっちを見ているのかもしれないと考えがよぎった。
上を見ても窓際に誰がいるのかなんて見えるわけもなく、仕方なく女性に向かって手を振ってみた。
これで違っていたら大恥をかくことになると思いながらも、こんなチャンスを逃すわけにはいかなかった。
期待通り、女性は手を振りかえして来た。そして、またも手招きするのだ。
「いや……まだ昼休みまで時間あるし……」
どうにかオフィスを抜け出して、このビルを抜け出して隣のビルに行けないかと考えたが、そんな事を出来るわけもなかった。
だからダメなんだと、昔言われた事が頭の中を駆け抜けて行った。
高校の時だった。明らかに自分に惚れている女子がいたにも関わらず、最後の最後で確信が持てずに何の発展も無く終わった。
この女性にしてもそうだ。明らかなチャンスが目の前にあるのにここで手をこまねいてるだけだ。
「何してんですか?」
不意に、後ろから後輩の女性社員、綾香が声を掛けてきて、智治は飛び上がりそうになった。
「空が綺麗だなぁって……」
「気を付けてくださいよ。向かいのビル、5年前に火災事件が起きてから復旧はしたものの、知らない人が混じってたり不気味な事が起こるって。気味悪がって今はビル全部空室ですからね」
ゾッとして、もう一度ビルを見ると、明らかに女性がいるのだ。
そして手招きしている。その手はよく見れば、爛れているようにも見えた。
「……綾香ちゃん、今日夜空いてる?」
「はぁ!? いきなりなんですか?」
「命の恩人にお礼を……」
「意味わかんないんですけど」
綾香の話が無ければ智治は、どうにか抜け出して隣のビルに向かおうとしていた。
その手招きの意味するところは、わからないままだった。
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