喫茶 エス・コート 2

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 私が(やなぎ)さんの家に居候を始めて、ひと月くらい経った頃のことだった。 「今井(いまい)さーん」  放課後。廊下で名前を呼ばれて振り返る。 「ちょっといい?」  えーと……確か隣のクラス?の派手な女の子。  今まで話したことないよね。  何?何か怖い。 「……ごめんなさい。用事があるので」 「すぐに済むからさー」 「ごめんなさい!」  私はその場から逃げ出した。  嫌な予感しかしなかったから。  昇降口を飛び出して、そのまま家まで走った。  走るの苦手なのに。苦しくて死にそう。  さすがに店には飛び込めないから家の方の玄関に駆け込んだ。  そして慌てて鍵を閉める。追い掛けて来ないと思うけど、念の為。  首筋を汗が流れる。  シャワー浴びようかな。  彼に汗臭いと思われたら嫌だし。  制服に汗が染みる前にと思ってその場で上だけ脱いでたら、店に繋がる渡り廊下から足音がした。 「(りん)さん!どうしましたか!何か……」  脱いだ制服ですぐに身体を隠したけど。  及川(おいかわ)さんに見られた。下着姿。  恥ずかしくて消えたい。 「……すみません。店の横を駆けて行く姿が見えたものですから。何かあったのかと」 「……大丈夫です。ごめんなさい」 「それならいいのですが」 「走って汗をかいたので。シャワー浴びて着替えたら手伝います」 「無理しないでくださいね」  そう言って及川さんは店に戻って行く。  優しい。本当に。  あの派手な子の用事って何だったんだろ。  気になるけど怖くて聞きたくない。  店の厨房に入った私と目が合っても、及川さんは平然としてた。  女の子の下着姿くらい、彼には何てことないんだろうな。  ちょっと悔しい。 「凛ちゃん。ちょっと接客変わってくんねーかな」  柳さんが私を呼ぶ。今まで私を店に立たせること無かったのに。 「どこか具合でも悪いですか?」 「そーじゃなくて。急ぎの連絡したくてさ」  裏の仕事の方か。 「とりあえずレジのとこに居てくれれば。困ったら及川呼んでいいから」 「わかりました」  柳さんは足早に家の方に歩いて行く。  裏の仕事も忙しいみたい。  2人ともオジさんだし、体調崩したりしないといいけど。  レジの使い方、覚えた方がいいかな。  そうすれば少しは戦力に……。  考え事をしてたらお客さんが会計に来た。 「あ……すみません。今、他のスタッフを呼びます」 「……今井さん?」  レジカウンターの向こう側から私の名前を呼んだのは、同い年くらいの女の子。  ……誰?見覚えがある気もするけど、思い出せない。 「お待たせ致しました。お会計ですか?」  さすが及川さん。呼ばなくても来てくれた。  彼女は何事も無かったみたいに会計を済ませて帰って行く。  ……誰だっけ。 「どうかしましたか?凛さん」 「……え?」 「何だかぼんやりしていますね」 「いえ……大丈夫です」  及川さんが私の手を握る。  指を絡めて……恋人繋ぎ。  カウンターの陰だからお客さんからは見えないと思うけど。  ……こんなとこでマズくない? 「遠慮は要りません。それとも、私には言えない悩みでしょうか」 「悩みと言うか……」 「男所帯なので配慮が足りないところもあると思います」 「それは、全く問題ありません」  及川さんは(たまき)さんと暮らしてたからだと思うけど、女性の生活のことよくわかってて。  トイレに小さな棚やゴミ箱を置いてくれたり、お風呂は一番に使わせてくれたり。  洗濯も別にさせてくれてるし。  部屋にはドレッサーと最新のドライヤーも用意してくれて。  文句を言ったら罰が当たる。 「大丈夫です。何も、困ってません」 「それなら良いのですが」  そう。きっと考えすぎだ。  テーブル席の片付けをしていたら、依頼のコースターを見つける。  そこに書かれていた名前に見覚えがあった。  さっき、レジで私の名前を呼んだ彼女。  随分と雰囲気が変わっていてわからなかったけど。  中学の時、同じクラスだった子だ。  違うグループで仲良く無かったから、どの高校に進学したかも知らない。  美人で明るくて目立つ子だったのに。  何か、違う人みたいになってた。 「及川さん。依頼です」 「はい。承ります」  厨房でコースターを受け取った及川さん。  突然、私の首筋に触れた。 「ひぁっ!?」  びっくりして変な声を上げてしまった。  恥ずかしい。 「平熱ですね」  あ、熱を確認したのか。  ……何で? 「どこか痛いですか?」 「……いえ」 「おかしいですね」 「何がですか?」 「どこも悪くないのに、凛さんは元気がありません」  何でわかるの?  お父さんよりお母さんより、及川さんは私のこと見てくれてる。  ランチ営業が終わってから、私は今日の出来事と違和感を及川さんと柳さんに話した。 「考えすぎじゃねーのかな」 「……かもしれませんけど。何か、気持ち悪くて」 「柳。彼女からの依頼内容が分かったらすぐに教えてくれ」 「いつもすぐ伝えてるっての。でも凛ちゃんには言うなよ」 「分かっている」  依頼の詳細は柳さんと及川さん、あとは甲斐(かい)さんと組織の人にしか共有されない約束。  それは私も知ってるし納得してる。  依頼の話は柳さんの部屋でしかしない決まり。  仲間はずれみたいで少し寂しいけど。  知りたければ私も【(エス)】になるしかない。  それは絶対に無理だから。  傍に居られるだけで幸せと思わなくちゃ。 ◆  翌日。学校へ行きたくなかった。  また、あの子に声掛けられたら嫌だな、なんて思いながら朝食のパンを食べてる。 「休みますか?」  及川さん、察しが良すぎて怖い。 「……いえ。大丈夫です。行きます」  本当は休んで及川さんと一緒に居たい。  でも許されないよね。 「凛さん」  玄関で呼ばれて振り向いたら、頬にキスされた。 「気をつけて」  これが世に言う『行ってらっしゃいのキス』?  ……嬉しいけど。朝から心臓に悪い。  重い足取りで学校に着いて。  でも何も無くて。放課後になって。  柳さんの言う通り、取り越し苦労だったかもなんて思って下駄箱を開けたら、中に白い封筒が入ってた。  一旦、閉める。  何なの?次から次へと。  見ないで捨てた方がいい。そんな気がしたから、校舎裏のゴミ捨て場に向かう。 「今井さーん」  ……来た。派手女。 「手紙、見てくれた?」  やっぱり。何なの。ほっといてよ。  無視して歩き出したら、彼女が笑いながら言う。 「喫茶店でバイトしてんでしょ?先生に言っちゃおうかなー」  バイトじゃないけど。言い訳が通用するとは思えない。 「お金、困ってんの?」 「そういう訳じゃ……」 「もっと稼げるバイトあるんだけど」 「興味無いから」  突っぱねて帰ろうとしたところで、私の記憶は途絶えた。 ◆  ……タバコ臭い。大勢の人の声。  目を開けたら知らない男の人が何人もで私の顔を覗き込んでた。 「お、お目覚めだ」 「めちゃくちゃ可愛いな」 「でしょ?ウチの学校で一番だから、この子」  ……この声。あの派手な子。  どういう状況? 「ねぇ、いくら?」 「こんだけ可愛いからな」 「可愛いし処女だよね?今井さん」 「マジかよ」 「だから高く買ってよ」  ……理解した。私、売られそうになってる。  嫌な予感が的中した。  身体は……拘束されてない。  ここは造りからして倉庫かな。  高い窓から見える空は暗い。  私が帰らないって、及川さんと柳さんが気づいてくれてれば。  裏の仕事で留守ならアウト……だけど。 「怖くないの?」  彼女に聞かれて気づいた。  私、この状況で怯えてない。  ここがどこか分からないし、彼らが助けに来てくれる可能性は低いのに。 「別に」 「……頭おかしいの?状況わかってる?」 「わかってる。あんたがクズだって」  そう言ったら頬を叩かれた。 「……誰がクズだって?」 「おい。顔はやめろ。売値が下がる」 「一番、酷い客に売ってやってよ。使い終わったら殺していいから」 「もったいねー」 「気に入らないの。この女」  私、あんたに何かした?  接点なんて無かったのに。 「この女に何回、邪魔されたか」  ……何の話? 「居なくなった先生も。今井、いいよな。ってずっと言ってた」  ……そうなの? 「何にも知りません。って顔してさ。男ウケ狙ってんでしょ?あの喫茶店のオジさんたちとも毎日何してんだか」  ……ちょっと待って。何よそれ。 「いくら貰ってるか知らないけど。ロリコンなオジさんとするの、気持ち悪くないの?」  私のことはいいけど。  及川さんと柳さんのことバカにするのは許さない。 「なに。処女じゃねーの」 「かもね。確認しといた方がいいんじゃない?オジさんたちにいろいろ仕込まれてるかも」  一人の男が私のスカートに手を掛けたから、思い切り急所を蹴飛ばしてやった。  柳さんが教えてくれた護身術がどこまで通用するか分からないけど。  いつまでも守られてばかり居られない。  男たちが怯んでる隙に出口に向かって走る。  扉には鍵。当然だよね。そこまで間抜けじゃないか。  扉を背にして立つ。そうすれば背後から襲われることは無い。  怖いくらい頭が冴えて来た。  でも。所詮は付け焼き刃。  男、それも集団に囲まれて勝てる訳が無い。  床に倒されて抑え込まれても、私は必死に抵抗した。 「……何だよこの女。凶暴すぎて売り物になんねーぞ」 「じゃあアンタたちで楽しめば?」 「そうするか」  仰向けにされて口を押さえられる。  それでも私は相手を睨みつけた。  相手の首を締めようとしたら顔にナイフを突き付けられたけど。  やれるもんならやってみろ、と思った。  この状況でも諦めない私を、みんな化け物を見るような目で見てて。  滑稽だった。 「……とりあえず脱がせて。写真撮るから」 「またかよ。そんで脅すのか?好きだなオマエ」 「奴隷は多い方がいいでしょ?」  他にも同じ目に遭わされた子が居る。  クズにも程がある。  3人がかりで押さえ付けられて制服を脱がされそうになって、流石に私も焦り始めた。  ……どうしよう。どうしたらいい? 「下着まで全部脱がせてよ」 「全裸にすんの?ひでーな相変わらず」  ……嫌だ。好きな人にも見られたことないのに。  こんな連中に……。  悔しい。恐怖より悔しさが込み上げた。 「ねぇ。脱がされるのって、どんな気分?」  クズ女が聞いたから。  私は精一杯、笑って言った。 「地獄へ落ちろ」  彼女が顔を引き攣らせた。  何があっても、私はこんなクズに屈しない。 「よく言った。凛」  耳に馴染む低い声。  直後に衝撃があって、下着を脱がそうとしていた男が床に転がる。  と、同時に私の身体は抱き上げられてた。  見上げた先には及川さん。  すぐ横には柳さんが居て。  ……助けに来てくれた。  嬉しくて泣きそうだった。 「ウチの可愛い凛ちゃんが随分と世話になったみてーだな。たっぷり御礼してやるから。覚悟しろよ?」  2人の登場に動きを止めた男たち。  柳さんが挑発するみたいに続ける。 「あれー?ココには女の子を嬲るしか脳の無い、腰抜けしか居ねーみたいだな」  クズ女が近くに居た1人の背中を蹴って柳さんと対決するよう仕向けた。  それを合図に他の奴らも動き出す。  柳さんが大立ち回りしてるのに、及川さんは私を抱いたまま動かない。  いいのかな。手伝わなくて。 「大丈夫だ。こんな雑魚共、俺が出るまでも無い」  確かに体術は柳さんの方が及川さんより上で。  しなやかな身体の動きが綺麗。  一切の無駄がなくて洗練されてて。  カッコいい。  男たちはあっという間に片付いた。  雑魚が何人居ようが柳さんの敵じゃない。
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