第二部 過去の手枷、未来の足枷

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【家族】  駐車場に戻る前に、アンディは寺院で済ませておくべき重要なことがもうひとつあった。一階へ()り、小僧にベンを連れて来てくれるように頼む。すると奥の小部屋から小僧に呼ばれたベンが現れ、アンディを見つけるとゆらゆらと左右に揺れながら歩み寄って来た。 「にんちゃん、ただいま、おかえり」  アンディはベンに駆け寄り、ギュッと抱きしめ、言った。 「ただいま、ベン」  ベンは兄に会えて嬉しそうに笑っていた。ただ、(かか)えられて動けないのが嫌だったようでこう言った。 「にんちゃん、はなしてください」  アンディは仕方なく抱きしめた手を離し、代わりにベンの頭を()でて言った。 「そんなつれないこと言うなよ。でも元気にしてるみたいでよかった」  ベンは、にこにこ笑っていた。そして連れて来てくれた小僧に、アンディが改めて礼を言う。 「ユウ、いつもベンの面倒を見てくれてありがとう」 「いえいえ、掃除などよく手伝ってくれるのでありがたいですよ。読経も経典を見ずに音で覚えて上手に真似してくれます」  アンディはベンを()めてやったが、それが分からず、首を(かし)げてアンディを見上げていた。 「どっちかって言えば、ウェンの方が手間がかかるわよねぇ……」  リンの呟きに、ユウは苦笑いしながら言った。 「和尚様は、何を言っても聞き入れてくれませんからね……」  身体はだいぶ大きくなったベンだが、相変わらず自分からはあまり話をしない。しかし、自分でできることが増えて、兄と長期間離れていても平気になっていた。  部屋でひとりでいたい時もあるようで、扉を閉めて中で遊んでいることもあった。未だ自立した生活はできないが、ウェンとユウに面倒を見てもらって生活している。年中行商で集落を行き来しているアンディにとって、ベンを預かってもらえるのはとても助かっていた。  ショーンは現れたベンと言う男がとても不可思議な人間に見えていた。今までに知る人間とは全く異なる雰囲気を(まと)っている。自分も口数は多い方ではないが、それとは違い、ベンの話し方がおかしい気がしていた。  ショーンの視線に気づいたアンディが、ベンを紹介する。 「ああ、ショーン。僕の弟のベンジャミンだ。ほらベン、ごあいさつ」  アンディに促されて、ベンはペコっと頭を下げて声を発した。 「こんにちは」 「……ショーンだ」  ベンが珍しく兄に向かって問う。 「ショーン、おともだち?」  アンディはつい嬉しくなって大きく(うなず)き、ベンに向かって言った。 「うん。うん、そうだ。僕の新しい友だち」 「おともだち、あたらしい、おともだち!」  ショーンはベンの話し方に戸惑いを感じ、何と言っていいのか思い付かず、言葉に詰まった。 「えっと……」  その戸惑いを察して、アンディはベンのことを説明した。 「ベンは生まれつき発達が遅れていて……そうだな、身体は成長して大人になったけど、心の成長が伴っていなくて、恐らくまだ三歳くらいで止まってるんだ」 「え? それってバカってこと?」  リンがすかさずショーンの頭をぶん殴った。 「いっ、てぇ……」 「バカはあんた。デリカシーのないこと言うんじゃないの。アンディが生まれつきだって言ってたでしょ。ベンはあたしたちの言ってることは理解できてるのよ。言われたら傷つく言葉もちゃんとわかってるの」  叩かれた頭をさすりつつ、ショーンは何が悪かったのかを考えた。だが、何故殴られたのかも合わせてよく理解ができない。ただ、リンが口よりも手が出る方が先だと言うことを思い知った。 「病気じゃないからね。恐らくベンはずっとこのままなんだ。まぁ、僕も理解するまでに随分(ずいぶん)時間がかかったし、今もまだ本当に理解できているのかわからない。でもウェンから『ベンの()りのままを受け入れろ』と(さと)された時に色々と気づくことがあったんだ。ショーン、君にすぐに理解してもらえるとは思っていないし、無理に理解してもらおうとは思わない。ただ、ベンは、僕にとってはかけがえのない唯一の家族だ」  ショーンは自身の記憶を辿(たど)って、家族というものが何であるかを思い出そうとした。断片的に両親やお(かしら)を思い浮かべたが、自分の頭の中にはない概念だと思った。 「俺は家族とかの記憶がない。親に捨てられたのを(かす)かに覚えてるくらいだし。お頭や兄貴たちはいたけど、本当の家族ってのが、どう言うものかはわからない。リンとウェンの関係も、その……アンディとベンの関係もどういうものなのか想像できないんだ」  アンディはショーンの話しを聞き終え、彼の身の上を想像して表情を少し曇らせながら彼に言った。 「……それについては、明確な答えを返してあげられないな。僕も死んだ両親のことは顔すらもほとんど覚えてない。僕とベンの面倒を見てくれていた親方が死んだとき、とても悲しい気持ちになったけど、それがもしかしたら家族の念、なのかも知れないな……」  兄貴たちがヘマをして撃たれ、叫び声を上げて死んで行ったのを見ても、ショーンは自分が生き残ることだけを考え、生命の危険を感じるだけで、悲しいと思ったことはなかった。  リンがベンの頭を撫でながら、ショーンに言った。 「アンディの言う通り、確かに家族がどう言うものかは説明が難しいわね。家族の形はそれこそ千差万別で、血の繋がりがなくたって家族と言える関係もある。そもそも夫婦なんて血の繋がりがないんだし。もしかしたらショーン、あんたの兄貴たちだって、あんたにとってはホントの兄弟じゃなくても家族だったかも知れないし……。まあ、最近は行商団も家族みたいなものかも知れないと、思うようになったかな。そう言うことも含めて、人と共に暮らして行く中で徐々に絆を深めて、感じるものなのかもね」 「共に、暮らす……」  リンの言葉を反復するようにショーンがポツリと呟く。家族という繋がりがいいものなのかわからなかった。お頭や兄貴たちとの関係も、一方的に(くだ)される命令にただ従い、反抗なんてしようものなら、暴力で黙らされるだけだったからだ。それが家族だと言うのなら、随分面倒で厄介なしがらみだとショーンは思った。  しかし、先ほどのリンとウェンの喧嘩のやりとりは、賊徒の上下関係性とは違っていた。そもそも比較にならない。  弟であるウェンは口ばっかりで、姉のリンは手が早い。そう言う意味では似ているところもあるが、賊徒とは全く別の、自分の知らない関係性があるように思えていた。  ベンがユウに(しゃべ)りかけた。 「ユウちゃん、ごはんたべる」  ユウはベンの手を取って言い聞かせた。 「にんちゃんが来てるから、にんちゃんと一緒に食べようね」 「にんちゃん! にんちゃんと、たべる!」  ベンが嬉しそうにぴょんぴょん跳ね飛び、大きな声で言った。 「そうだね、今夜は一緒にご飯食べて、一緒に寝よう」  真顔に戻ったベンがポツリと言う。 「ひとりで、ねれるの」 「寂しいこと言うなよ、ベン……」  しょんぼりするアンディの肩をリンが軽く叩き笑顔で励ました。 「にんちゃん、がんばれ」  アンディは力なく笑った。ベンの心が少しずつ成長しているのを感じて嬉しく思う反面、また寂しく思うのも本心で胸中は複雑だった。 「そろそろ駐車場に戻ろうか。って……あれっ、ウェンは?」  ユウが申し訳なさそうに言う。 「和尚様は……お一人で先に出て行かれました……」 「なんか気配がしないと思ったら……あの(くさ)れ坊主!」 「本当に……申し訳ありません」  何故か小僧のユウが深々と頭を下げて謝った後、アンディとリンが笑った。つられてユウもまた笑っていた。  ショーンとベンは、何故三人が笑っているのかわからず、その様子をただ見つめているだけだった。 ・・・・・・・・  寺院から出たアンディたちが駐車場へ戻ると、(すで)にゴローと行商団のメンバーは荷(ほど)きと荷物の整理を粗方(あらかた)済ませていた。簡易的なテントも張り終え、長机が並べて置かれ、売り場っぽさを(かも)していた。 「ゴロー、色々任せっきりでごめん」 「いいって。それよりあの生臭(なまぐさ)坊主、もうすっかり出来上がっちまってるぜ」  酒瓶(さかびん)酒樽(さかだる)が積まれている一角に座り込んでグラスの中身を空けているウェンが目に入った。アンディの方を見てグラスを掲げ、言う。 「団長殿、今回は色々取り揃えてくれたな。日本酒にワインにウィスキー……まるで盆とクリスマスと正月がいっぺんに来たようじゃないか!」  顔を手のひらで抑え、リンが呟いた。 「和尚がクリスマスとか……もう呆れて何も言えない……」  そう言いながらリンはガックリと大袈裟に肩を落として見せた。その様子を見て、ゴローは笑いながら言った。 「俺には理解できるぜ。なんせ俺たちは曾祖父(ひいじい)さんの代から無信教の象徴みたいなもんだからな。それに、めでたいことは多い方に越したことはねえ」 「ああ、僕にも、それは何となくわかる。そうだゴロー、ウェンがあの調子だし、早いけどみんなと食事を始めてくれていいよ。後は僕とリンでやるから」 「おう、ありがてえ。クソ坊主が()り始めちまったんで、俺もそろそろ()やっこいのが欲しかったんだ。ベン、こっちへ来い。お前の好きな『(ぎゅう)』があるぞ」 「ぎゅう! たべる!」  ベンはぴょんぴょん跳ねながらゴローについて行った。  アンディとリンは手分けして販売品を長机に上げ、中身を点検して行った。ショーンはアンディとリンを手伝い、荷物を運んだり移動させたり忙しく動いていた。  食事に酒に、主にゴローとウェンの笑い声でワイワイ楽しんでいる団員たちの方へ目をやり、リンは苦笑いを浮かべて言った。 「あの調子じゃ、じきに和尚としての威厳がなくなりそうだけど……」 「威厳……か。長や住民の前ではちゃんとしてるじゃないか。彼は彼なりに、きちんとTPOを使い分けてるんだ。中々できることじゃない」  肩をすくめた後、リンが続ける。 「器用なのは認めるところね。長の前では(もっと)もらしいことを言えるくらいには頭が回るのに……。全く、残念な生き物だわ。あ、ショーン、そっちにある木箱、持って来てくれる?」 「ん、これか?」  一抱えほどの木箱を持ち上げ、長机に置く。 「ありがと、これで最後ね」 「ん……」  (ねぎら)いと感謝に何と返していいかわからないショーンだったが、それにも少しずつ慣れて来た。相変わらず気の()いた言葉は返せてはいなかったが、文句も言わずに手伝ってくれるショーンの様子にアンディとリンは悪い気はしなかった。 「こっちも大体終わったかな。リン、ショーン、ご苦労様。さあ、僕たちもそろそろ行こうか。ゴローたちに食い尽くされちゃう前に」  アンディが最後の箱の中身を確認し終わった時、バギーの方からコール音が鳴っているのに気づいた。 「誰からだろう。ちょっと見て来る。二人は先に行ってて」  通信機のチャンネルIDを知るものはそう多くはない。アンディの脳裡(のうり)一抹(いちまつ)の不安が()ぎった。  バギーの助手席に飛び乗り、コールの受信ボタンを押し、回線を繋ぐと、モニターにアンディには見覚えのある男の顔が映った。傭兵団の副団長だった。かなり焦っている様子に見える。 「こちら、アンドリュー行商団のアンディ」 「受信に感謝する。スガモ傭兵団の副団長、リヒターだ。現在リュウガサキ集落跡から少し離れた場所でドローン数機と交戦中。今もドローンに増援が来つつある」  アンディは頭の中の地図で、(おぼろ)げなリュウガサキ集落の位置を(めぐ)らせつつも、記憶では賊徒の根城(ねじろ)になっていたと思い出した。仏像集落からそう離れておらず、直線距離で十キロにも満たない。 「ジャミングユニットはないんですか?」 「それが……ジャミングユニットを起動しているのだが、それにも関わらず続々とドローンが現れるのだ。まだ団員に被害はないものの、単独作戦だったため、応戦の人員が足りていない」  ジャミング波が効かないドローン。改良型のジャミングユニットが果たして効果があるのか不安は残るが、このまま放置しておけば仏像集落にもドローンが来るかも知れない。 「わかりました。クルマを飛ばせば十五分ほどでそちらに到着できると思います。それまで持ち(こた)えられそうですか?」 「ありがたい、何とか持ち堪えよう」  緊張に強張(こわば)っていた副団長の顔に、いくらかの希望の色が差した。 「ただ、こちらも今動ける人員が限られるのであまりアテにされても困りますが……念のため改良型のジャミングユニットを持って行きます」 「助かる。現在座標は送信しておくが撤退移動中なのでズレが発生するかも知れん。付近に到着したらコールしてくれ」 「了解」  回線を切ると同時にアンディはバギーから飛び降り、行商団のみんなの元へ駆け出した。  戦える人員は限られる。それに()が傾きかけていた。戦闘が夜間まで続けば人類が圧倒的に不利になる。アンディは暗視スコープを何処にしまったかを頭に巡らせた。  急いで駆けて来たアンディの様子を見てゴローが聞いた。 「どうした、そんなに焦って。まだ食い物は残ってるから安心しな」 「近くで傭兵団がドローンと戦ってる。  応援要請が来たから、これから向かう。動ける団員は対ドローン装備をして一緒に来てほしい」  ゴローが尤もな質問をアンディに投げた。 「おいおい、アンディ。そいつらは傭兵団のクセにジャミングユニットを持ってないのか?」 「ジャミングユニットが……効かないらしい」  その言葉に、一同は騒然となった。
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