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【追憶】
その日の夕暮れに、男は行商たちと共に集落へ到着した。この集落の近くにはジャンク山と呼ばれる廃墟となった工場の跡地があった。男は直接ジャンク山へ訪れたことはなかったが、その名称に妙な懐かしさを感じていた。
その記憶を辿って行くと、アンディや行商団のメンバーと共に暮らした日々が断片的に脳裡を掠めて行く。
不意に男は、初めて会ったあの日の夜にアンディが言ってくれた言葉を思い出していた。
今では、彼の言う通りには生きて行けてはいないが、それでも生きる道筋をつけてくれたのは紛れもなく彼らと暮らした生活のお陰だったと男は思っている。
あの日々を思い出すたび、目の奥が熱くなる。懐かしくて、そして同時に忘れ去りたい記憶が必ず喚び起こされ、男はその記憶に声を押し殺して涙する。
集落の子供たちが男の脇を走り抜けて行く。その内のひとりの子供が戻って来て男に声をかけた。
「おじちゃん、どこかいたいの?」
男は咄嗟に目を拭い、子供に言った。
「あ、いや、これはな……」
「おなかがいたいの? だいじょうぶ?」
子供は男の腹の辺りを見て小首を傾げていた。その子供の頭を撫でて、男は言った。
「……坊主は、優しいな」
「おなかいたいなら、サクラおばちゃんにみてもらったら?」
「サクラ……?」
その名前を耳にして、男は胸が急に焦げつくような痛みを感じた。
「いたいの? あっちのほうへいけばサクラおばちゃんのびょういんがあるよ」
子供の指差す方向に目を向けると、いくつかのバラック小屋や多数のジャンクが積まれた一角があることに男は気付いた。
男の胸は早鐘のように鳴り続けている。
呆然と立ち尽くす男の手を取り、子供が男に言った。
「おじちゃん、ぼくがつれていってあげる」
子供に手を引かれ、男はのろのろと歩き出した。ジャンクの隙間から見覚えのある、くたびれたトレーラーの荷台を見つけ、男は確信した。
このまま進んで良いものか。
自分は彼らに会う価値はあるのか。
その資格はあるのか。
男の心は会いたい、会いたくない、その二つの極性の狭間で大きく揺れ動いていた。
しかし、そうしている間にも、子供は男の手をうんうんと引っ張って行く。
ジャンクの脇を通って進んで行くと、見覚えのあるバギーとトレーラーがあった。
「サクラおばちゃん! おなかいたいおじちゃんをつれてきたよ!」
バラック小屋の中から声がした。
「どうしたんですか、ショーン? そんなに慌てて……」
聞き覚えのある声に名を呼ばれ、男の胸がきゅうっと締めつけられる。あの頃を思い出して、怖くなって足に枷が嵌まったように男は歩みを止めた。
バラックのひとつから、車椅子に乗った女性が現れた。
「あのね、あのおじちゃん、おなかがいたいんだって」
にこやかに微笑みを湛えた車椅子の女性が、子供の指差す方向にいた男の顔を見ると、みるみる顔が驚きの表情に変わって行った。そして叫びに近い喜びに満ちた声で、人を呼んだ。
「アンディ! リン! ショーンが……ショーンがっ!」
他のジャンクに埋もれたバラック小屋から男女が現れ、車椅子の女性のところへ来る。彼女が指差す方向にいる男を見て、二人が同時に声を上げて、男の名を呼んだ。
「ショーン!!」
すると声を上げた男女を見上げ、子供がきょとんとした顔で訊いた。
「なぁに、おとうさん、おかあさん?」
アンディが男にぶつかるほどの勢いで抱きつくと、男もアンディを抱き締め返した。
「おかえり、ショーン」
「ただいま、アンディ」
サクラが二人に近づいて来る。ショーンは、そのサクラの車椅子に跪いて手を握り、こう言った。
「サクラ……あの時はすまなかった。ちゃんと謝らずに行ってしまって、ごめん」
「謝ってくれてたじゃないですか。あんなに泣いて喚いて……それにあれは、あなたのせいじゃないですよ」
手を取り合いながら、二人ともポロポロと涙を流していた。お互いが生きていてくれたことに喜び、そして生きて再び会えたことが何より嬉しかったのだ。
ひとしきり泣き終わると、声を張り、明るい調子で、サクラが言った。
「あ、そうだ、ショーン。これだけは謝ってほしいですね。長い間、私を待たせておいたことについて」
ショーンは、サクラから不意に言われた言葉に中々理解が及ばず、何とも間の抜けた調子で謝った。
「ぅえ……あ……あ。その……ごめん」
クスクスとサクラが笑い、ショーンもつられて笑い出した。アンディもリンも目に涙を浮かべて笑っていた。
「この坊主が、もうひとりのショーンか。まさか俺と同じ名前をつけるとは思わなかった。でも、父親に似て優しいな。俺とは違う」
リンは子供の頭を撫でながら言う。
「そうでもないわよ。ウェンみたいな口答えもするようになったわ」
アンディやサクラたちの笑い声を聞き、他にもバラックにいた仲間たちが続々と集まって来た。ゴローも、エリックも、ダイチもいた。懐かしい顔触れもいれば、見知らぬ若い顔も大勢いいた。
ショーンはサクラの微笑みを見上げて、ようやく、自分を捕え続けていた手足の枷が外れたように感じていた。
(第二部 過去の手枷、未来の足枷・了)
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