第三部 隣国の敵意、友の真意

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【生産棟】  基本的に農作物の生産では、土は使わない。ステーション内は原則無重力なので空調の風で舞い上がってしまい、使い物にならないからだ。  作付けは六段の金属製の棚で行う。各棚には培養土を押し込めたプラスチックケースが固定され、表面に小さな(あな)が開いている。作物はその孔から首を出すように伸びていく。重力がないので、施設の明かりだけだと作物は勝手な方向へ伸び放題になってしまう。そのため各棚は暗幕(あんまく)(ふさ)ぎ、棚の上面に()え付けられた照明器具の照度を調節して、作物が真っ直ぐ育つように管理している。これが十層もあるんだから、手動でいちいち作業はしてられない。  培養土、と俺たちは呼んでいるが、本物の土ではなく、荒い目の隙間があるシリコンゴムのようなもので、一体化しているので飛び散ることがない。言ってしまえば身体の荷重を受け止めて痛みを感じずに寝ることができる寝具のマット素材のようなものだ。その素材に作物に必要な栄養素や養分の含まれた溶液を流し込む。そうすると表面張力で溶液が素材の隙間に流れ込み、その中で保持される。作物は根を素材の隙間へ伸ばして行き、成長によって隙間を押し広げ、その圧力でしっかりと根付くのだ。  それでもプラスチックケースから溶液が漏れ出すこともあるので、その水滴を定期的に吸い取って戻す機構が棚の各所に設けられていた。いわゆる水耕(すいこう)栽培のようなものと言ってしまえばそれまでだが。  大抵の緑黄色野菜は種から育てるが、上手いこと作物の種を発芽させるにはどうしても重力が必要となる。ステーションの一部区画、ちょうど円筒を輪切りにしたような区画がいくつか存在していてそこだけ回転するようになっており、その内部には遠心力で外壁に向かう擬似重力が発生する。そこは重力区画と呼ばれ、元々はステーションに駐留する研究員や職員の筋力保持のための施設であり、苗床(なえどこ)の周りをランニングしたり、バーベルやベンチプレスなどで筋トレを行う様子は地球では見られない奇妙な光景だろう。  観葉植物でも植えておけばもう少しマシになるんだが、いつも重力区画が回ってる訳ではないのでその構想は早期から(つい)えた。  じゃがいもや大根、人参などの根菜類は種からの発芽は必要ないので作付け自体は面倒がない。しかし葉物と同じ培養土では対応できず、特殊な形が必要で、さらに根や地下茎の生育に応じた形へ移し替えて行くのでとても面倒くさい作業だった。正直この作業が一番(こた)えるが、上手い肉じゃがや大根の煮物にありつくために俺はこの作業は念入りに取り組んでいた。施設内の職員たちからはポテトチップスやポテトフライを所望(しょもう)する連中が多いので、そいつらを喜ばせたいと言う俺からのささやかな心(づか)いでもある。  本日の業務は、作付け棚のレタスやほうれん草など葉物の生育のチェックと収穫がメインだったが、俺は真っ先にじゃがいもの様子を見に根菜用の培養棚へ向かった。  俺を(とが)める声がする。 「カワチ! 今日の作業は葉物だろ! そうやって自分の好きなものだけ面倒見るのはいい加減にしてくれ!」  ソンはニヤニヤしながら俺の方を見ている。こいつも大のポテチ好きなのだ。 「美味(うま)いポテチのためだ、(あきら)めろ」 「おいおい、作業記録が残るんだから形だけでもやってくれよ」  俺たちの作業だけではないが、ステーション内での様々な活動は逐次(ちくじ)記録される。と言っても俺たちがサボってるのをチェックするのではなく、何かの異変や異常がないかを走査するためだ。生産棟ではせいぜい培養液を大量にぶちまけたり、運搬パイプからキャベツが吹っ飛んだり、生命の危機を感じた家畜が脱走する程度で済むが、研究棟や資源貯蔵庫、輸送船ドックはそう言う訳には行かない。ちょっとした過失や見過ごしがステーションを破壊しかねないからだ。 「別に減給される訳じゃないが、まあ形だけでも仕事しとくか」  いつもの俺たちの他愛のない会話を皮切りに仕事が始まる。  レタスはちょっと生育が遅いが、ほうれん草は(おおむ)ね収穫できそうだった。重力がないため、例えば麦や稲などは実ってもその重みで穂先が頭を垂れることがない。これはきゅうりやトマトなども同じで、熟し過ぎても下に落ちることがないので、まめに目視と手触りでひとつひとつ確認して回る必要があった。培養棚はモニターでも管理しているが、画像認識のAIがあまり頼りにならず、機械化が進んでる割に生産棟は人力に頼る部分が多い。 「なあ、ソン。お前のAIは何であんなに頼りないんだ? あれがうまく働けば、俺たちがこうして作物を見て回る必要はなくなるんだろう?」  ソンはこうやって俺と農作業を行なっているが、生産棟の自動化を進めるシステムエンジニアだ。培養液の混合や注入、照明の調節、収穫物の洗浄や納入など、実際に多くの作業は自動化されて、俺は作物の出来不出来を吟味したり、じゃがいもや玉ねぎと言った面倒くさいけど需要の高い作物に手をかけることができている。  ソンがレタスの葉っぱの張りを確かめつつ、俺のぼやきに答える。 「葉っぱや実の色味や大きさである程度絞り込めるんだが、AIのラーニングデータのほとんどが地球のものなんだ」 「確かに地球とじゃ比較にならんのはわかるが……でも何でそんな使えないデータを後生(ごしょう)大事に保持してるんだ? それこそ、お前がいつも言ってる『容量の無駄』なんじゃないか」 「地球でのデータがないと、生産棟の生育と比較することができなくなる。ここでの生育データが集積されてラーニングを繰り返して行けば、自動化できるようになるよ……いつかはね」  俺の任期終了まであと二年半ある。任期が終わっても実用化できるかどうかはわからんが、できなくても俺の後釜になるヤツが同じ苦労をするだけだ。ただ、そいつが俺ほどじゃがいもにこだわりがなければ、多くの職員がポテチの禁断症状に(あえ)ぐことになるだろう。 「近いうちに実用性を発揮してほしいな。  少なくとも俺の任期が明ける半年前には。じゃないとポテチジャンキー共が暴動を起こすかも知れんぞ」 「ハハッ、(おど)かすなよ」  培養土から収穫したほうれん草を、培養棚の上に開いている円筒型の運搬口に近づける。スポッと円筒の中へ吸い込まれて行く。回収された作物はその先にある消毒倉と洗浄倉を通り、食堂の貯蔵庫に送られて行く。以前、運搬口にキャベツを放り込んだら運搬パイプをぶち破って、飛び出たキャベツが生産棟を跳ね回ったことがあった。運悪く伝達事項を伝えにわざわざ生産棟まで(おとず)れた職員に当たって、肩に青い大あざができた。そこそこの質量があるので、まあ、そうなるわな。その職員が名付けた『フライングキラーキャベツ事件』以降、キャベツは運搬パイプではなく、収穫カゴに『厳重に』密閉して運ぶことになった。  収穫し終えたプラスチックケースを開き、(ふた)の孔にほうれん草の苗を通して培養土へ植える。これも結構な神経を使う作業だ。培養土はシリコンゴムのような素材で柔軟性が高く、下手に弾くと含まれた溶液を周囲に飛び散らかすからだ。人体への影響はないが、機器類に入るとそれはもう目も当てられないほどの悲惨(ひさん)な事件が起こる。生産棟の開閉ドアのロックがかかったまま故障し、直るまで俺とソンは外に出ることができなくなった。空調や気温は問題はなかったが、俺たちは(あらが)(がた)い火急の生理的現象に(もだ)え苦しむハメになった。最初は冗談で培養土にでもしてやろうか、良い栄養になるぞ、とか二人で笑い合っていたが、三時間も経過する頃には冗談では済まない事態になった。ソンのヤツは小ではなく、大の方なので状況は俺より深刻だった。閉じ込められて四時間後にようやくドアが開き、俺たちは人間の尊厳を失うことなくトイレへ駆け込むことができた。  そんなどうでもいいことを振り返っていると、ソンは俺が返答しにくい話題を振ってきた。 「なぁ、カワチ。紛争はどうなってるだろうね。僕の国は君の国とは別の勢力だし……その行く末に何が起こるのか、不安なんだ。このステーションが分裂する事態になったりでもしたら、と思うと正直怖い」  やっぱりそのことか。俺はそうした国家間のイデオロギーにはあまり興味がなかった。無信教だし、どっちかと言うと死語だがノンポリと言う部類に入るのだろう。 「さぁな。それぞれ同盟国の助力もあるし、長引きそうな気がするが……犠牲者には気の毒だが。俺の国は仲裁に入るほど国力も発言権もないし、それに憲法で縛られてるから直接兵や武器の供与はできないだろうし。それに他でも地球のあちこちの国が係争中だからな。それでもステーションの連中同士は上手くやって行けてるじゃないか。ソン、お前があんまり気に()む必要はないと思うぞ」  言葉にして改めて思うが、俺はとんでもなく無責任なことを言っている自覚がある。国籍の違いなんてそんなに気にすることもなかったし、国家間の関係は俺たちの親交とは無縁だと考えていたからだ。  ソンは不安気な様子を隠さず言った。 「僕の国は、どうやら自分で思っていたほど自由な国じゃない。君の国と違って。ひょっとしたら任期を終える前に帰還命令が出るかも知れないんだ」  ソンもここでの暮らしは悪くないと思っているのだろう。それは俺も同じだった。例え地球に戻ったとしても、俺たちが育んだ友情が失われることはない。  そう思っていた。
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