第三部 隣国の敵意、友の真意

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【兆し】  俺はソンにかけてやる言葉が思いつかず、答えに詰まってしまった。 「今のところは可能性があるって程度だけどね。ただ関連ニュースを見てるとどうにも不安になっちゃってさ。僕はここが好きだし、友だちもいるから、簡単には手放したくない」 「それについちゃ俺も同感だ。杞憂(きゆう)だ、みたいなことを言ってすまなかった。ただ、長く続いている紛争はどこにでもあるが、どれも俺たちが思うほど簡単に解決できる問題でもない。現在進行中とは言え、俺たちが今いる木星でそういうことが起こらないようにするだけだ」  何だか苦しい言い訳じみた返答だったが、俺はソンほど頭が良くない。だから思っていることをそのまま話すしかないんだが、それがうまく伝わっているかわからなかった。  ソンは俺の話を真面目な顔で聞いていた。 「それより、今夜一杯どうだ? 青島(ちんたお)ビールで点心、なんていいと思うんだがな」  我ながら無理矢理だとは思うが、俺は話題を変えるため、ソンを飲みに誘った。 「そうだね。そうしよう!」  ソンの顔が明るくなった。  それから俺たちは今日のノルマをこなすのに精を出し、美味い小籠包(しょうろんぽう)焼売(しゅうまい)を食べるため、冷凍庫に保存してた豚肉を食堂の貯蔵庫へ放り込んでおいた。 ・・・・・・・・ 「それじゃ、今日も一日お疲れでした。乾杯」  ソンが乾杯の音頭を取り、お互いのグラスを合わせ、一気に中身を飲み干す。ビール(びん)を手に取り、ソンと俺のグラスを再び満たす。準備完了だ。  蒸籠(せいろ)に乗っている焼売をひとつ、(はし)でつまんで辛子醤油につけ、口の中へ放り込む。プリプリの皮の食感、次に破裂する肉汁で口の中が火傷(やけど)しそうだが、そこにビールを流し込んで急速冷却。(うま)さで(のど)が爆発寸前だ。 「ああ……うめぇ……ひたすら(うめ)ぇ」 「カワチの飲みっぷり、食いっぷりはいつ見ても幸せそうだな」  とか言いつつソンは小籠包のスープの熱に苦戦しつつも美味(うま)そうに(すす)り、俺と同じようにグラスを(あお)った。  その日は、ソン先生の『AIが如何(いか)に見た目だけで(めし)の味を判断するか』と言うありがたい講義を(さかな)に、俺たちはあーでもない、こーでもないと、どうでもいいことをバカ笑いしながら飲み食いし、話し合った。こうして楽しいひとときを共に過ごせば、国籍の違いや国家の垣根なんてない。後になって思えばそれは俺の都合のいい幻想だった訳だが、その時の俺は本気でそれを信じていた。  夜も深まり人が増えて来たのか、食堂がざわつき始め……いや、そうではなかった。  突然、テーブルを強く叩く音と怒号が上がり、俺たちを含む、食堂の客はグラスの中身ではなく、息を飲んだ。  俺たちのテーブルより二席ほど離れたところのグループが大声で怒鳴り合いを始めた。そのほとんどが酔っ払い特有の聞くに()えない罵詈雑言(ばりぞうごん)だ。それに混じって国家がどうだの、派兵や兵器供与がどうだとか、先に侵攻して来たのはそっちだ、あっちだとか……。その内、周りの客も紛争の話題がエキサイトしてるだけだとわかり、それぞれの歓談に戻って行った。  食堂の職員が出て来て、(ののし)り合いをしているグループへ割って入り、その場を収めようと四苦八苦している。そうやって何とかしようとしていた職員を、誰かがぶん殴った。  それを口火にしてグループ同士と職員の三つ(どもえ)の殴り合いに発展し、食堂は騒然となった。もれなく俺たちのテーブルも無事では済まず、ぶん殴られた誰かが倒れ込んで来て、大事に取って置いた俺の小籠包が蒸籠ごとぶっ飛んでいった。 「俺の……小籠包……」  思わず口に出てしまう。 「そんな場合か、カワチ、早く離れよう」  ソンは席を立ち、呆然(ぼうぜん)としている俺をイスから立たせて巻き込まれないように連中との距離を取った。  厨房側にいた職員がインターホン越しに何かのやりとりしている。すると、ガクンと食堂全体に衝撃が走った。  次の瞬間、テーブルも、イスも、食器や調味料、ビール瓶やグラス、俺の大事な小籠包と蒸籠、そして俺もソンも食堂の床から離れ、ぷかぷか空中を漂う間抜けな物体になっていた。  職員の通報を受けた管制室か、はたまた警備部か、何にしろ脳足(のうた)りんが食堂の擬似重力を緊急停止させたのだろう。まあ、喧嘩を停めると言う点で、その判断は間違っちゃいない気もしなくもないが、巻き込まれた俺たちにして見れば人為的に引き起こされた二次災害でしかない。  殴り合いを繰り広げていた連中は『フライングキラーキャベツ事件』さながら、乗るだけ乗っていた慣性に振り回され、てんでバラバラの方向へ吹っ飛んで行った。浮いてるテーブルや食器などを跳ね飛ばしながら、食堂の壁や床にぶつかり、また吹っ飛びを繰り返し……ぶつかるたびに怒声や叫び声を発するので、俺はキャベツの方がまだマシに思えた。その感想は正しくて、バカが俺のところへ飛んで来て、俺もバカ共同様、食堂を飛び回るキャベツ以下の物体に成り下がった。 「カワチ!」  ソンの呼ぶ声に目を向けると、上手く壁際のハンドレールにしがみついて難を逃れていたようだ。あいつが無事ならそれでいい。 「よう! 無事そうでよかったぜ。俺はキャベツみたいに……」 「カワチ! 後ろ!」  上手く背後を確認できず、俺は身体を(ひね)ろうと空を()いた。その様子は『水に落っこちたアリのようにジタバタ(もが)いていた』ようだと後にソンが言っていた。  その動作も(むな)しく、後頭部に衝撃と同時に激痛が走る。どうやらテーブルの角か何かに頭をぶつけたようだ。痛みも相当なものだが、目ん玉から星が出るってホントにあるんだな、とか下らないことを記憶に残し、俺の意識はどこかへぶっ飛んで行った。 ・・・・・・・・  俺は医務室のベッドで目を覚ました。  ベッドと言ってもふかふかのマットではなく、また仮にふかふかだったとしてもそれを感じる重力はない。俺の足や腰はスリングベルトで固定されていた。自分で外すこともできたが、医務室で勝手に動き回るのも不味(まず)かろうと思い、看護師が来るのを待った。  時計に目をやると午前十時を回っていた。始業時間を大幅に超えている。  しばらくして医師と看護師が様子を見に部屋に入って来た。上体を起こし、腹を抑え、苦痛に満ちた表情を繕い、息も絶え絶え風な声で問う。 「先生……俺の余命は……後どれくらいですか……ううっ」  すました顔で医師が言う。 「その様子じゃ、余命は後百年と、言うところかね」  正直まだ頭の後ろにズキズキ痛みを感じていたが、二日酔いの痛みに比べればどうってことはない。  くるっと空中を舞って俺の背後に回った医師は、巻かれていた包帯を(ほど)き、俺の頭の傷を確かめながら、状態を告げる。 「傷自体は大したことはないが、頭を打ってるからね。念のため頭部のスキャンをするから」  看護師に包帯を巻き直されながら俺は神妙な表情を作り、声をひそめて(つぶや)いた。 「俺……CTと相性が悪いんですよね。木星の磁場の影響を受けた俺の身体から、妙な磁力線が発生するようになって……それからあらゆる医療機器類を壊してしまう体質になったらしいんです」  クスクス笑いながら包帯を巻き終えた看護師が、ベッドのスリングベルトを外し始めた。 「この拘束から解かれると、俺は家畜じゃないんだってことを実感しますね。牛や豚たちの気持ちが大いに理解できましたよ」 「軽口を叩けるくらいだし、スキャンはやめとこうか。壊されでもしたら(かな)わんしな」  俺は看護師に誘導されながら、ハンドレールを伝ってCT室へ向かった。  特に異常なし、と言うことで俺は放免され、管制室への出頭要請もなく、業務に戻ることができた。 ・・・・・・・・  生産棟へ入るや否や、心配そうな顔をしたソンが近づいて来た。 「どうやら俺は軽い記憶喪失になっているらしい」 「えっ?!」 「なあ、ソン。俺の大事な小籠包……どこに行っちまったんだろうな……」  ソンの呆気(あっけ)に取られてポカンとした顔を見て俺は思わず笑い出した。()られてソンも笑い出す。 「特に異常なしだってさ。先生に『俺、頭が悪いんです』って言ったらカウンセリングを(すす)めて来やがったよ」 「びっくりさせないでくれよ。ま、そんな冗談言えるくらいなんだから本当に大丈夫なんだな。今も思ったけど……君って、時々本当に日本人なのかわからなくなる時があるよ。日本人って、もっと勤勉で真面目なイメージがあったけど……」  俺は学生時代、ある大国のクソ田舎の農場へ無理矢理送り込まれ、九年間ホームステイさせられてた。バカ親父は農業交換留学とかなんとか言ってたが、要はタダで働かせるための単なる人足でしかなかった。実習という名の野良(のら)仕事で毎日クタクタになるまで働いた。そのおかげでこんな性格のひんまがった大人が世に出て来てしまったのだ。 「思えば確かに俺は不真面目だな。ま、多感で傷つきやすいお年頃の少年が、あの野蛮(やばん)粗野(そや)で、一面(いちめん)家畜と牧草、とうもろこししかない場所で長い間暮らしてたら、それに感化されない訳がない。俺はいつも牧草ロールに、物欲を叶えられないストレスをぶちまけていたんだ。それはそうと……あの後、どうなったんだ?」  ソンが言うには、俺が気絶した後、怪我をした何人かは医務室へ運ばれた。喧嘩をおっ始めたグループと停めに入った職員は怪我の治療後に管制室に呼ばれ事情聴取を受け、それぞれ相応の懲戒(ちょうかい)を受けている言う。重力を急に停止すると言う暴挙もそれにあたるとして、操作を行った職員も相当絞られたそうだ。逮捕だとか独房に入れられるようなことはなく、みんな通常業務に戻ったらしい。  ソンも一応被害者側として聴取を受けたらしく、俺と共に巻き込まれただけだと弁解してくれたそうだ。監視カメラの様子からも、俺たちがグループには無関係で、とばっちりを受けた被害者だってこともすぐに判明したと言う。 「お(とが)めなし……ってのがちょっと気になるが。ま、大事にならなくて俺も一安心だ。と言うか、俺が飲みに誘わなければ、俺もお前もこんな目に()うことはなかったんだよな。すまん」 「君が謝ることじゃないさ。あれは……いや、何でもない」  おいおい、途中で止めるなんて先が気になるじゃないか。だが、俺はそこから先は詮索(せんさく)しなかった。昨日の騒ぎには、ソンと同じ国の男が混じっていたからだ。 ・・・・・・・・  それからしばらくは、大きな事件もなく、俺とソンは作物の栽培に精を出し……いや、どっちかって言えばサボり気味だったが、まあまあ順調に生産棟の作業を回して行った。  あるとすれば、たまにレーザー砲塔が飛んで来た隕石を撃ち落としたとかくらいの日常が続いた。  そんな折、地球からの輸送船がステーションに到着した。地球からの補給物資が届くってんで、みんな輸送船が来るのを心待ちにしていた。  俺も頼んでおいた酒や魚介類、特に(まぐろ)(たい)の刺身が到着するので頭の中はそれでいっぱいだった。  ステーションでは魚介類の養殖が難しいので補給品に頼らざるを得なかった。養殖用のプールは作れても、水圧がかからないのでどっちが上か下か判別できず、魚の感覚器官が狂って水槽にぶつかったり、貝類も育つ前に死んでしまった。重力区画で養殖する案もあったが、思ったより魚介の需要が少なかったのと、定期船での補給分で充分間に合っていたので早々にその計画はポシャったそうだ。  俺は荷物が部屋に届けられるのを待ち切れずに輸送船の搬入ドックへ向かう。そして主に個人的な貨物を運ぶコンテナスペースのある区画へ入った。  (すで)に貨物の搬入が始まっているようで、俺は受け取りカウンターにいる担当者へ伝票を渡す。担当者が伝票をスキャンすると、少し困惑した表情になった。  どうやら俺にとって死活問題となる事態が起こっていたようだ。カウンターの担当者が伝票を俺に返しつつ、頭を下げて言った。 「大変申し訳ございませんが、お客様のご依頼したお荷物は、今回の貨物に含まれていないようです」 「そりゃないぜ! 半年、半年も待ったんだぞ。久々に刺身で一杯できると思ってたから俺は今日まで生きて来れたんだ!」  俺は思わず叫んでいたが、我ながら大袈裟な言い回しだとは思った。叫んで少しすっきりしたしな。それにステーションの運用上欠かせない機器類や装置など重要な物資が優先されるのもわかっていた。  ただ、これが後に起こる大きな出来事の予兆だったことを、現時点での俺では気づくことができなかった。  俺は伝票を受け取り、しょんぼり気分を発しながら生産棟へと向かった。
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