第一部 見捨てる生命、救われる魂

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【呵責】  自宅が見えて来る。家と呼ぶには心許(こころもと)ないバラック小屋だが、雨風を(しの)げるだけでもありがたかった。  しかし、近づくにつれ中の様子がおかしいことに少年は気づいた。 「にんちゃん、いるよ! にんちゃん、いるよ!  にんちゃ~ん、いるよ~! にんちゃん、いるよ!」  小屋の中から兄を呼び、泣き喚く弟の声が聞こえて来て、少年は慌てて扉の鍵を開けて中へ入る。弟は戻って来た少年の姿を見るや否や、少年に飛びつき、しがみついて大声で泣きじゃくり始めた。  そのまま弟を(かか)えて地面に座り込む。弟は泣き止まない。少年は弟に声をかけて(なだ)め、頭を()でてやる。こんなに混乱して憔悴(しょうすい)し切った弟の様子は久し振りだった。そして、そう言えば最近は薬をあげていなかったな……と、少年はぼんやりと思い出す。  自分に注意が向いていないことを感じ取り、不満に思ったのか、弟は少年に抱えられながらも手足をバタバタさせて暴れ出す。 「うぁ~っ! にんちゃんにんちゃんにんちゃん、あああ~っ!」 「ごめんごめん、落ち着こう、な?」  暴れる勢いは少し収まったが、今度は弟自身の太腿(ふともも)を拳でバンバンと叩き始めた。少年は弟の手をややキツめに抑え、制止する。 「にんちゃんいない、にんちゃん! にんちゃいる、にんちゃんにんちゃん! いない! いる! いない~っ!」  こうして泣き叫び、暴れて自分を叩く弟を宥めすかす際に、ふとその存在を(うと)ましく思うことがあった。  弟の面倒を見てくれる人がいれば、自分の夢を叶えられる……弟がいなければ、自分は自由に……心に暗い影を落とすその願望に少年は、背筋が凍りつくような怖気(おぞけ)を覚え、(おぞ)ましいくらいの背徳感に身を震わせた。  弟がいなければ、自分は生きて行けない……  弟もまた自分がいなければ生きて行けない……  僕らは離れて生きては行けない……  弟をしっかりと抱きしめて、背中を撫でさすりながら、ゆっくりゆらゆらと左右に揺り動かしてやる。やがて弟は落ち着きを取り戻したのか、暴れるのをやめ、大人しく少年にしがみついて兄を呼ぶ。 「にんちゃん、いる……」 「いるよ、ここに」  返事をし、頭を撫でてやると、弟は満足そうに笑った。 「にんちゃ……にんちゃん……」  しばらく兄を呼び、それに答えることを繰り返していると、弟は静かになった。少年は泣き疲れて寝入り始めた弟を抱きかかえたまま、嗚咽(おえつ)で弟を起こさぬよう(こら)えて泣いた。  少年とその弟は幼い頃、別の小規模な集落で両親と共に暮らしていたが、ある時賊徒の襲撃を受けた。集落に向かっていた行商人の一団が賊徒を追い払ったものの、被害は甚大で大勢が殺されたり怪我を負っていた。少年と弟は物置小屋の中で発見され、父母は殺されていたという。  新たな集落へと連れて来られたふたりは、ジャンク屋を営む親方に預けられた。自分の子でもない赤の他人である少年と弟を快く引き取ってくれた。  親方は言葉(づか)いはキツいが情には厚く、この時代で生きるため最低限のことだけを教え、自らで生き方を学んで行けるように影で支えた。少年は弟を養うため、そして引き取ってくれた親方に恩返しをするためジャンク拾いに精を出し、身を粉にして働いた。  しかし、毎日灼熱(しゃくねつ)の太陽に焼かれて廃品を拾い集めるも大きな成果はなく、弟の面倒を見るという生活に重荷を感じ始めた。少年の心は、生活を支える重責と燻り続ける将来の夢の間で揺れ動き、次第に例えようのない苦しみや罪悪感に(さいな)まれるようになっていった。まだ年端の行かぬ少年である。弟に感じる責任と、うまく行かない仕事に苛立(いらだ)ちが(つの)り始め、遠くの隣街への憧れがだんだんと抑え切れなくなって来ていた。  次第に少年は、ジャンク拾いをしながら集落を出て行くための準備をするようになっていた。食糧や水、応急手当用の医薬品は比較的すぐに揃えることができた。地図端末とコンパスも持っている。長時間の歩行のため高価ではあったが丈夫な靴も購入した。  一番の問題は、賊徒やドローンに襲われた時に反撃できる武器の調達ができなかったことだった。こればかりは仕方ないので、逃げる際に目眩(めくらま)しになりそうな発煙筒を作ることにした。化学肥料などから硝酸(しょうさん)カリウムは手に入った。砂糖は若干(じゃっかん)高価ではあるものの購入し、筒に使えそうなものはジャンク山から探すことで容易に手に入った。作成できたのは五本。集落内で実験すると大人たちが大騒ぎするのが目に見えていたので、ジャンク山で実験を行うことにした。自作の発煙筒なのであまり期待はしていなかったが、火をつけると、すぐにもうもうと白煙(はくえん)が上がり、あっという間に周りが見えなくなった。時間にして一分間ほどは()き目が続くことも確認でき、実験の成果は上々だった。ドローンには効かないだろうが、賊徒などの人間に対しては効果がありそうだった。  準備は三週間ほどを要したが、無心で淡々と用意を進めていたため、心の(わだかま)りを感じずにいた。しかし、いざ出発の準備が整うと、一度は決めたと思っていた少年の決心が揺らぎ始める。少年は具体的に一週間以内に決行すると期限を設定した。その間はまるで仕事に集中できず、親方や弟への呵責(かしゃく)に悩み、自問自答をしている内に一週間はあっという間に過ぎ去った。  決行の朝、少年は意を決してまとめた荷物を背負い始めた。テーブル代わりの木箱の上に親方へのメッセージと幾許(いくばく)かの金品を置き、まだ眠っている弟を残して家を出た。朝早くではあったが既に集落の門は開いていた。入口を抜けて行こうとすると、警備の男が声をかけて来た。 「よう坊主、朝から精が出るな」  少年は背負った大きな荷物に気づかれまいか少し不安になったが、努めて普段通りに返事を返す。 「おはよう、行って来るよ」  しかし警備の男は少年が背負う荷物がいつもよりも大きいことを見逃さなかった。 「おい、何だか仰々(ぎょうぎょう)しい荷物のようだが……まさかとは思うが、ジャンク山以外に行くつもりじゃないだろうな?」  荷物に対して言及され少年はドキリとしたが、あくまでもジャンク拾いの目的だと思ってくれていることに落ち着きを取り戻し、前もって考えていた言い訳を話した。 「まさか。ジャンク山で良さそうなパーツを見つけたんだけど、狭い隙間の奥にあって手が届かなかったんだ。それで親方に相談したら色々工具を貸してくれたのさ。でも見ての通り重いんで、目当てのパーツを手に入れたらすぐ戻って来るつもりだよ」 「ならいいが…あんまり無茶すんなよ」 「うん、ありがとう」  男の心遣(こころづか)いに対して嘘をつくのは心苦しかったが、ここまで来たら引くに引けない。ぐいと前を見据(みす)え、少年は覚悟を決めて歩き出すも、つい集落の方を振り返ってしまう。  もしかしたら、親方は書き置きに憤慨(ふんがい)して弟を捨ててしまうかも知れない。そんな恐ろしい想像が脳裡(のうり)()ぎるが、少年本人がその選択をしたのだから他の誰にも文句を言えた義理はない。  とにかく、前に進むためあれこれ考えることはやめ、隣街へ続く大まかなルートを頭の中に巡らせる。難所は多い。まずはジャンク山を大きく迂回する必要がある。そこから先はしばらく遮蔽物(しゃへいぶつ)となるものはないので、賊徒やドローンには警戒が必要だ。だがルート中で最も忌避(きひ)しなければならないのは迷いの樹海と呼ばれる大森林だった。白い(いただき)の高い山の裾野(すその)に広がる大森林は、一度迷い込むと抜け出せないと集落の大人に言い聞かされて来た。  とは言え地図端末があれば場所の把握はできて迷い込む恐れはないし、ドローンも探知できるのでさほど避けることは難しくはない。残る警戒すべき事態は賊徒との遭遇だったが、これも細心の注意をすれば問題ないと少年は考えていた。  適度に休憩を挟みつつ、少年は()が暮れるまで歩き続けた。道はないが、かつては大きな街道だった跡を辿っていたので、思ったよりも歩きやすく、距離を稼げていた。とは言え、一日でこれほど歩き詰めに歩くのは生まれて初めてだったので、足や膝が痛む。歩きに限界を感じた少年は、陽が落ちる前に野営できる場所を確保するため辺りを調べ始めた。  程なくして、プレハブ小屋だったと思われる建物の跡を見つけた。ほぼ壁や屋根は吹き飛ばされてなくなっていたものの、瓦礫で姿を隠して眠れそうな一角がある。  寄りかかることのできる壁、とは言っても高さが六十センチほどしか残ってはいない壁だが、どっと背を預けるとようやく安堵の一息を吐くことができた。  周囲を警戒しながらも急ぎ足で歩いていたせいで、肉体的にも精神的にも酷く疲れを感じていた少年は、簡単な食事を済ませると瓦礫の中ですぐに眠りに落ちた。  翌朝、少年は目を覚めました。陽はかなり高く、時刻も正午を回っており、疲れで長い時間寝てしまっていたようだった。  すぐに出発の準備をするため急いで立ち上がる……が、下半身に激痛が襲いかかり、その場に倒れ込んでしまった。上体を起こそうと力を込めると、太腿、膝裏、脹脛(ふくらはぎ)、足の裏など各々の部位に異なる性質の痛みが走り、立ち上がることができない。痛みに(うめ)き声をもらしつつ、少年は足全体が筋肉痛になっていたことにようやく気づいた。  太腿や脹脛を軽く叩いてマッサージするが、痛みは(おさま)らない。少年は昨日調子に乗って足を酷使したことを悔やみ、自分の体力のなさを呪いつつ、脹脛を指で揉みほぐす。  幸いにも倒れ込んでしまった場所は陽射(ひざ)しを避けることができていたので、日陰(ひかげ)を求めて瓦礫の床を()いずる必要はなかったのが救いだった。  少年は昨日の今日で無為(むい)に時間を費やすことが惜しかったが、持って来ている食糧は一週間は()つ量がある。無理をして歩けば先ほどのように転んで思わぬ怪我を負うかも知れず、今日の移動は諦め、この場所で回復に努めることにした。  昨日は周囲の状況に注意を払いながらも、無心と言ってもいいくらいに足を動かしていた。夢中で歩いていた時には気にならなかったが、こうして時間が余ってしまうと、集落に残して来た様々なことが脳裡に(よみがえ)って来る。親方に申し訳が立たない。弟はどうしているか、自分を探して泣いていないか。  覚悟を決め、夢に向かって歩き始めたはずが、たった一日で動けなくなり、もう歩みを止めてしまった。そんな自分を許せず、自責の念に飲み込まれ、少年は思わず深いため息を吐いた。  少年は定期的に足のマッサージを行い続け、体力と気力の回復に努めた。地図端末で現在位置を確認すると歩みの遅さを思い知るので、ドローンが接近していないかだけをチェックする。ここに滞在していて誰にも出会わなかったので、思い切って携帯コンロに火をつけ、持って来た食糧を温めた。温かい食事は少年の気力を取り戻すのに役立った。  夕日が沈みかける頃には、筋肉痛はいくらか和らいでおり、明日からまた歩き出せる見込みを感じて少年は安心し、早めに就寝した。  三日目となる朝は早くに目が覚めた。まだ足の痛みは引かないが、昨日に比べればだいぶ調子が良く、試しに立ち上がって辺りを歩き回る。移動に支障がなさそうだと確認すると、少年は荷物をまとめて出発した。荷物の負荷と、多少の痛みは残っているため初日のような急ぎ足ではなく、ややゆっくりと足を踏み出し、歩き出す。  身体への負担をかけないように、少年はゆっくり歩くペースを心がけ、まめに休憩を行って着実に歩みを進めた。そのため初日に比べて半分程度の距離しか稼げなかったものの、地図で見ると大森林の淵近くまで到達することができた。  まだ陽は落ちていないが、身を隠せそうな岩場が見つかったので、今夜はそこで夜営することにした。集落の大人たちが忌避するほどの大森林に近い場所なので、若干の恐れと緊張を感じていたが、岩場の周りを探索しているうちにそんな恐れはいつの間にか消えていた。筋肉痛もかなり治まっており、体調も悪くない。陽が沈む頃まで岩場の探索を続け、特に目星(めぼし)いものは見つからなかったが、携帯食糧の外袋や空缶を発見した。汚れや破損度合いから時期的には随分(ずいぶん)前のものだと思われるが、人がここに(おとず)れていた痕跡に少年は一抹(いちまつ)の不安を覚える。賊徒の可能性もあるからだ。  そこで、念のため岩場の隙間に、探索で拾って来た木の枝で隙間が隠れるように不規則に並べ、今夜の寝床を(しつら)えた。味気ないが食事は火を起こさず、冷たいままの食糧で簡単に済ませる。そして明日に備え、急拵(きゅうごしら)えの寝床に身を沈め、眠りについた。  四日目、この日も朝早くに起きることができた。硬い岩場の隙間で寝たため、身体のあちこちが痛むが、それでも二日目の筋肉痛に比べるべくもない。距離的にはまだ半分には満たないものの、確実に隣街へ近づいているという実感が少年の歩みを強め、突き動かす。(はや)る気持ちを抑え、ペース配分とこまめの休憩を心がける。  大森林を突っ切って行くことができれば大幅に道程(みちのり)を短縮できるが、鬱蒼(うっそう)と繁る森林は先が見通せず、それが恐怖感を(あお)った。  大森林を迂回して先へ進むには、昨日寝床にした岩場から反対側の大きな崖山(がけやま)を越える必要があった。旧時代の街道の跡を辿って行くことで、崖をよじ登るようなことにはならなかった。しかし街道跡はぐねぐねと折れ曲がっているため、とりあえずの目標地点とした開けた場所にある廃墟に中々到達できない。街道だったせいか時折(ときおり)道のそばに何かの建物の跡を見つけることができたが、勾配がきつい場所に差しかかって来ると段々と見かけなくなって行った。勾配の登り(くだ)りと折れ曲がる道は少年の身体に少しずつ負荷をかけ、周囲への警戒に気を回す余裕をじわじわと削り取って行ったが、少年は目標地点へと足を動かし続けた。
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