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【痛み】
寺院跡を飛び出したアンディが、リンのいる駐車場に並んだ仮設住居に着く少し前。
仮設住居のひとつで、床に直に敷いたマットにリンとサクラが横になり、眠っていた。
窓から朝陽が差して来たのを感じて、リンは目を覚ます。そして、隣のマットに横たわるサクラの様子を窺った。
既に先に目を覚ましていたようだったが、何か様子が変だった。サクラは天井を見つめ、その目には涙を浮かべていた。リンは上体を起こしてサクラに訊いた。
「ね、サクラ。傷、痛むの?」
リンに声をかけられて、サクラは慌てて両目を手で拭った。
「いえ、大丈夫です。傷の痛みは。心配かけてごめんなさいね」
こちらへ顔を向け、気丈に微笑み返すサクラに、リンは思わず言葉を詰まらせてしまう。
サクラの負った銃創は、生命には別状はなかったが、大腿部から膝、脛にかけて銃弾が突き抜けており、負傷の状態は深刻だった。処置が早かったので切断には至らなかったものの、各部の骨が破砕しており、傷が治っても再び脚を動かすことは絶望的だった。
「本当に痛みで泣いてた訳じゃないんです。ただ……ショーンのことを思い出してたら急に……」
リンはサクラの胸中を色々と察した。そこでショーンに対して軽く毒を吐く。
「……何も言わずに出て行っちゃったもんね。あんなに水臭いやつだなんて思わなかった!」
「ショーンは、自分のせいだ……って思い込んでいましたから。そんな風に思うことはないのに……自分が許せなかったんでしょうね」
「だとしても、よ。そんなに責任を感じてるなら、サクラに付き添って生きる道だってあったのに……。全く男って、自分勝手な生き物なんだから……」
天井を見つめたまま、サクラが何かを思い出しながら静かに話し出した。
「彼には彼の考えがあったんでしょう。あの時……大切なものを守れなかった……ショーンがそう言ってくれていたのを聞いた時……少し嬉しかったんです。でもまあ、麻酔が効いていても傷はもの凄く痛かったんですけどね。私はお互いに生きていれば、また彼に会える、そんな気がしています」
これは本物だ、とリンは直感した。
「彼、ねえ……。ね、サクラ。ぶっちゃけ、サクラはショーンのこと、どう思ってんの?」
「ふふ、秘密です。私のことより、リンはどうなんですか? 例えば、アンディのこととか」
突然アンディの話しを振られ、リンは面食らってあわあわと慌てた。
「ちょっ……なっ……何で、そこでアンディのことが出て来るの?」
全くもってわかりやすく、耳まで真っ赤にして慌てているリンを見てサクラはにっこりと笑った。しかし、サクラの目は真剣にリンを見据えている。その勢いに飲まれたリンは、ポツポツと辿々しく胸中を語り出した。
「……気にならないって言うとさ、嘘になるのは確かだけど。ほら、あいつって、誰にだって優しいでしょ? それに何処か……つかみどころがなくって。何か言っても、はぐらかされそうで……」
「ええ、そうですね……それで?」
サクラは意識はしていなかったが、まるでリンを尋問するような聞き方をしていたのに気づいた。と言っても、リンの気持ちを吐かせてどうこうするのではなく、抱えている思いを少しずつ整理させてやるつもりだった。ただ、リンが予想以上に恥ずかしがっていたので、素直に自身の思いを認めるまで時間がかかりそうだ、とサクラは思っていた。
リン自身は自分の思いを割とはっきりとわかっていたものの、肝心の相手の心が見えないことが不安だった。
恥ずかしがって赤面していたのが一転して青い不安げな色に変わる。
「……怖いの。あたしの勘違いで、勝手にあたしがそう思ってるだけで、アンディの心はあたしには向いていないってわかったら、と思うと……それを知るのが怖くて堪らない。十代の小娘ならまだしも、いい歳した大人がこんなことで、怯えてる……なんて笑い話しにもならないけど……ね」
ひとしきり自身の気持ちを吐露し終えると、リンはため息を吐いて俯き、黙り込んだ。サクラにはリンの気持ちが痛いほど伝わって来た。
「リン……焦る必要はないと思います。怖いのは、私にもわかりますもの……。朴念仁を相手にして、勝手に怖がって、自分の気持ちを押し殺すのって、言うほど簡単ではありませんから」
朴念仁と言ったサクラの言葉に、リンが苦笑すると、サクラもクスッと笑った。
突然、仮設住居のドアが開く。
「リン、ちょっと話しがあるんだ!」
リンが驚いてドアの方向へ顔を向ける。アンディがドアを開け放ってこっちを見ていた。
自分がほぼ下着に近しい薄着だったことに気づき、リンは反射的に手近にあった枕を掴んでアンディに向かってぶん投げた。
「ちょっと! ノックぐらいしなさいよ! バカ!」
枕はドアに当たって跳ね返った。
「……あっ! ごめん!」
枕を投げつけられ、リンの姿を目にしたアンディは少しの間固まっていたが、すぐにそれの意味を理解して、慌ててドアを閉め、出て行った。
「全く……ああ言うとこが無神経なのよね……」
ため息混じりにリンがこぼすと、サクラが気づいたことを口にした。
「ふふ。アンディも顔が真っ赤になってましたよ」
・・・・・・・・
あんな罵声を浴びせたものの、あの様子では何か急な用事でもあったのだろうと、リンは手早く服を着た。
サクラに外に出ることを伝え、仮設住居から出ると、すぐそこでアンディは待っていた。
朝の、まだひんやりとした風が吹く。
風にたなびくリンの長い黒髪が、朝の陽の光に反射して輝き、それはリンの細い体躯を包むハロー光のようにも見えた。
そんなある種の神々しさのようなものを感じて、アンディはこちらに向かって歩いて来るリンを見つめていた。
「どうしたの?」
ぼうっとして自分を見ているアンディに、リンが訊いた。
「いや……リンって、髪が長かったんだなって」
普段、リンは動きやすいように髪を短くまとめ上げているが、寝起きなのでそのままにしていた。
「急用っぽかったから、急いで出て来たの。それで、用件は?」
本人を目の前すると、先ほどまでサクラに言葉として吐き出していた自分の感情を嫌でも思い出してしまう。それを誤魔化すためにキツめの言い方になっていたことに気づき、リンは軽く自己嫌悪に陥っていた。
「ああ、えっと。さっきはごめん。ええと、僕がジャミング波の更新コードを改変しながら『システム』について色々考察してただろ……」
「うん。もしかして何か進展があったの?」
アンディは頭の中を整理して、先ほど気づいた『システム』の考察をリンに説明した。
「……『システム』が単一の構造体ではないとは考えていたけど……『システム』は自己判断に基づく何らかのルールに従って均衡を保つ、一種の思念体だと考えたんだ。そうしたらウェンが昔、君たちのお祖父さんから何かを聞いた覚えがあるって言いだしてね。それで資料は残っていないかって聞いたら、ウェンは自分はそっち方面に疎いからリンに聞けって言ったんだ」
リンは訝しむようにして、口元を押さえて考え込み、声を漏らした。
「あいつ……何でそんな嘘を……」
「えっ、どう言うこと?」
「あたしたちが小さい頃、じいちゃんの話を良く聞いていたのはウェンの方なの。じいちゃんのことは好きだったけど、あたしはコードを書くよりも身体を動かす方が好きだったから、その辺りの話はあんまりしたことはなかったかな。で、稽古嫌いなウェンは、端末の動かし方やコードの書き方をじいちゃんからたくさん教わってたはずなのよ……」
アンディには、ウェンが端末を叩いているイメージがわかない。今までそんな素振りは一度として見たことがなく、ウェンとコードに全く関連性を見出せなかった。
「それは意外だな。でも、仮にウェンが面倒くさがって君に丸投げしたんだとして、何故、君にわかりやすい嘘を吐いてまで、そんなことを言ったんだろう?」
リンが指の関節を鳴らしながら怖い顔をして言った。
「わからない……単なる丸投げだとしたら、問答無用でぶっ飛ばしてやるわ。他に何らかの意図があるとしても……いずれにせよ、ウェンのやつをとっ捕まえて何を考えているのかを吐かせてやる」
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