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【曼荼羅】
入口の護衛がいつものように恭しく礼をする傍らを抜け、アンディとリンが寺院跡の一階へ足を踏み入れた。
昼間は暗くてその輪郭を窺い知ることが難しいが、外壁のひび割れた隙間から何本もの朝陽が差し込み、金色の壁に墨で描かれた複雑な紋様がはっきりと見える。
その中でも朝陽に照らされて一際くっきりと目立つ大きな四角い壁画にアンディは目を奪われた。
それには金地に墨一色の紋様ではなく、様々な色彩が使われ、大小のたくさんの仏身の姿が描かれている。アンディの心を惹いたのは、全体のバランスや各仏身を収める区画、その位置や配列は何処かビットやコードのような規則性を感じていたからだった。
アンディはリンの方に向き直って訊ねた。
「こんな絵画、ここにあったっけ……?」
「うん、小さい頃からあったわ。胎蔵界曼荼羅っていう図で、密教の真理を現してるんだって。朝の陽の光が差し込む時に見えて、それ以外の時間では暗いから見え難いのよね。それに、元々この寺院にあったものじゃないらしいわ」
「そいつは大日如来が説く真理だからな。この寺院跡の本尊である阿弥陀如来とは無関係なものなんだ」
梯子から曼荼羅の補足説明をしながらウェンが降りて来た。ウェンの姿を目にするなり、リンが臨戦態勢で身構える。そして強い調子で問い質した。
「ウェン! 何でアンディにくだらない嘘なんか吐いて、はぐらかすような真似をしたの? 答えようによっては、ただじゃおかないわよ!」
ニヤッと薄笑いを浮かべながらウェンが言った。
「姉貴とやり合って、俺がただで済んだことなんか一度もないじゃないか」
「ウェン!」
するとそれまでニヤついていたウェンは、いつになく真面目な表情になり、少し間を置いて答えた。
「この件に、姉貴を巻き込むためだ」
「はぁ? あんたね……」
今にも怒りに火がつきそうなリンを手で制し、ウェンがゆっくりと話し始めた。
「何処から話そうか……。そうだな。今朝、アンディは『システム』について核心に迫る気づきを得た。俺はアンディを……ある意味試していたんだ。そしてアンディは、自らの思考で答えを出そうとしていた」
「……何らかの意志を持った存在。僕らは要素や要因、変数などのパラメータに過ぎず『システム』は自身の意志とルールに従って何らかの均衡を取ろうとしている……ある種の思念体だと推測した」
ウェンが頷く。
リンは二人が話している内容に、今ひとつ理解が追いついていなかった。
「ウェン。その話しと、あたしを巻き込むって言う話しはどう関係があるの?」
リンの問いにウェンは考え込むように視線を下に落とし、口をつぐんだ。
しばし沈黙が続き、上の階からユウとベンの朝のお務めである阿弥陀経の読経が聞こえて来た。
ウェンが視線を曼荼羅模様に向け、じっと見つめる。そしてリンに顔を向け直して、重々しく苦痛に溢れた雰囲気で口を開いた。
「……これは、姉貴に言わない方がいいかも知れない、と思っていた。祖父さんの沽券に関わることでもあるからな。でも、今朝、アンディの考察が深まるにつれて、俺はこの件を独りで背負って、アンディと対峙する自信がなかった。だから家族である姉貴にも、俺と同じスタンスでこの件に噛んでほしいと思った。祖父さんの資料を姉貴が知ってる風なことを言えば、きっとアンディは『システム』の概念と推測をある程度、姉貴に話すだろうと思った」
「そうだね……ウェンの言う通りになった。僕はリンにかいつまんで話をして、ここへ……ウェンに話を聞きに戻った」
「結論から言うと、あの忌々しいドローンどもを野に放ち、今も俺たち人類の生存を脅かす『システム』のアーキテクチャを創造し、その基盤を構築したのは、俺と姉貴の、祖父さんである……ソン・ユーシュエンだ」
「え……!」
リンが驚愕のあまり声も出ず、息を飲んだ。ウェンの発した言葉の意味することを理解して、リンは無意識のうちに身震いする身体を両腕で抱えた。
リンの様子を見て、彼女がそれを真実であると思い当たる証拠があるに違いないとアンディは思った。アンディはウェンに疑問を投げかける。
「僕には、俄かに信じ難い話しだが……どうしてウェンはその事実を知ったんだ?」
ウェンが曼荼羅を指差し、問いに問いで返した。
「アンディ。この曼荼羅模様を見て何か気づかないか?」
アンディはウェンがこう言うのには理由があると思った。そして最初に曼荼羅の図柄を見た時に受けた直感が脳裡に浮かぶ。
「左上部分が欠けてる……いや待てよ。これって……」
「本当の胎蔵界曼荼羅は、こんな形はしていない。これが実際の図だ」
ウェンの取り出した紙片を受け取り、アンディはそこに印刷された図と、壁に描かれた図を見比べて見た。
紙片の方は図の下部、左右の隅に四角い正方形の区画があるが、上部には正方形の区画がない。壁の方の図には右上の隅に正方形の区画が描かれていた。
アンディは壁に描かれた曼荼羅図を、持って来ていた端末に画像として撮り込んだ。その画像を百八十度回転させて、得心したように画像を加工していく。二階調化して見たり細部を簡易化した時点でアンディはこれが二次元コードだと気づいた。
出来上がった二次元コードの画面を見せると、ウェンは静かに頷いた。
アンディはこのコードに含まれる数列や文字列を確認する。何処かのIPアドレス、もしくはサーバアドレスのように見える。
「このコードが示すアドレスは……?」
アンディがアドレスへのアクセスを試みようとしたが、パスフレーズがわからず、アクセス前に弾かれた。
「俺もその先へアクセスはできなかった。パスフレーズは見当がつかないし、シークレットキーも手元にない。だが、俺は祖父さんに聞いたことがある。曼荼羅が『システム』の鍵だと。想像するに『システム』のメインフレームか、もしくは構築前のソースコードか、データベースのスキーマなのか……実体が何かはわからんが『システム』に関わる重要な情報じゃないかと俺は思っている。アンディ、あんたになら、その鍵を見つけられるかも知れない。ほぼ自力で、ここまで辿り着いたあんたなら。これから、俺が祖父さんから聞いた話しをアンディ、あんたに伝えようと思う。そのまま伝えられるか記憶が怪しいところは、もしかしたら俺の都合のいい要約をするかも知れんが。そして何より、姉貴にも聞いてほしい」
二人は顔を見合わせ、ウェンに向き直って頷いた。
・・・・・・・・
三人はそれぞれがお茶やコーヒーを用意して上の階のテーブルに着いた。
「ウェン。念のため、これからの会話を記録してもいいかな?もちろんデータにはロックをかけて厳重に保管する」
「ああ、それで構わない。ほろ酔い生臭坊主の妄言集ってタイトルだとなおいい」
アンディは端末を開き、会話の記録を開始する。
「OK、始めてくれ」
「改めて、そうだな。
何十年も昔、戦争が始まる少し前。祖父さんは国の命令で木星に造られた宇宙ステーションへ設備自動化のシステム管理者として配属された。それは表向きの話で、実際には自分の勢力が木星ステーションのシステムを掌握するために工作員として送り込まれたらしい。
日々の仕事の裏で、自分たちの勢力が有利に動けるようにシステムのアーキテクチャからすり替えを行っていたそうだ。
最終的にはステーション内部でクーデターのようなことを起こさせ、祖父さんの勢力が乗り込んで武力制圧をする計画だった。この時点で、実際に祖父さんはドローンに虐殺をさせるようなコードは書いてない。寧ろ敵と味方の識別のための画像認識に多くの手間を割いていた。
元々はステーションの機器類の調整から輸送船の航路プログラム、何から何までを一才合切コントロールするための『システム』だった。そこに祖父さんは、自国の勢力を有利にするため作戦コマンドや各種兵器管制を行うコンポーネントを埋め込んで行った。
祖父さんの国のお偉いさんたちは、戦争が自国に大きな富を産むって信じていたらしく『システム』の大きな目的として『軍事的均衡』と『敵国の人間を殺せ』と言う二つの大きな方針、命題を与えるように祖父さんに命じた。その命題はクーデターが発生した時、いくつかの偶発的な事象によって、捻じ曲げられ、計画が大きく狂ったそうだ。
木星ステーション内で軍事衝突をしている間は問題はなかった。祖父さんの国の軍隊やドローンなどの兵器が敵勢力を追い立て、殺して行った。狭いステーションの中で敵がいなくなった途端、『システム』は軍事的均衡が保てないと判断して、そいつはどうやら戦闘を継続するように処理をスイッチさせて動き出し、生きている自軍の人間をも敵として認識する、つまり『敵国の』と言うフィルタが外れて人類全てを駆除の対象とした。
ただ、全ての人類がいなくなると戦闘の継続ができないので『システム』は自身の裁量で人類を間引いたり、増やしたりして不均一な均衡を取るようになったらしい。
それでも個々の人類は思考も信念も目的もそれぞれ違う。紛争や軍事衝突に慣れて、戦争に無関心な人間が多数いたらしい。人類の特性とも言うべき不定で不確定な要素は、均衡を図る上で大きな障害となった。
そこで『システム』は一旦変数をフラットに戻すため、その要因となる人類を削除しようとした。人類同士の猜疑心を煽り、核ミサイルやミラーボール弾を撃ち合うように差し向け、ドローンをばら撒いて……と言うのが全面戦争の起こった原因だと祖父さんは分析していた。
その後は……生き残った自然発生的に現れる人類を常に争わせ、ドローンを投入して戦闘を継続するように『システム』は運用を行った。人類は知らず知らずの内にその循環に組み入れられ、構成要素として戦わさせられていたんだ。
祖父さんは、木星での大量虐殺の後、地球に戻って来た後に『システム』の影響を受けないアーキテクチャを構築した。コードも体系的に新しい概念で作られ、今の俺たちは一見『システム』の影響を受けずに済んでいるように見えるだろう。
だが、実態は『システム』の一部を利用しているんだ。『システム』に気取られないように、隙をついて。だから本来は傍受され、解析されるはずの電波交信やデータの送受信も、サーバやデータベースへのアクセスなどのその一切は『システム』から掠め取った一部分を利用している。
可能かどうかは定かではないが、今『システム』を完全にシャットダウンすると、俺たちが積み上げて来た文明が本当に終わってしまうかも知れない。そう考えた祖父さんは人類の生存の脅威は残るものの、その陰で生きることを甘んじて受け入れることにしたそうだ。俺としては、そんな危ない綱渡りで生き永らえるほど文明に価値を見出せなかったが。
それでも、祖父さんには『システム』を存続させる上で二つの懸念があった。
ひとつめは、俺たち人類との接触で『システム』は常に学習して、最適解を導き、自身をさらにアップデートして肥大化を続けていることだ。俺たちが『システム』の隙を突いたやり方が、いつか対策されてしまわないか、という点だ。これは実際に一部現実になってて、今まさにアンディがジャミング波の対応に追われているし、地上ドローンの重武装化もその例のひとつだろうな。
ふたつめは、頑なまでに人類を攻め立てるこの『システム』に、何処かの時点で誰かが擬似人格を与えたやつがいる。思念体とアンディが表現していたが、どこの誰かは皆目見当がつかない。そいつが生きていなくても、そいつの痕跡がわかれば辿って行ってその思惑や手法がわかるってのに、まるで手がかりがない」
ウェンが一息吐いて言った。
「気の利いた説法をするより疲れるな」
リンは、優しかった祖父が過去にとんでもない計画に関わっていたと言う事実に衝撃を受けていた。
ウェンの話しの全てを理解した訳ではなかったが『システム』が人類の脅威と化す一端を、祖父が担っていたことをそう簡単に認めることができない。かと言って、この期に及んでウェンが嘘を言っているとも思えない。
贖罪のために、後世に向けて色々な方策を考えていた祖父を思うと、やり場のない悲しみに目の前が歪んで見えた。
「姉貴には言わない……と言う選択もあった。今の様子を見るに、その選択の方が良かったのかもな」
ボソッとウェンが呟く。リンはほぼ泣き声混じりでウェンに謝り、言った。
「ううん……ごめんね、ウェン。あたしは、ウェンが今まで、そんな大事なことを抱えて生きていたなんて知らなかった……」
アンディはウェンの話を聞いていて、だいたいの『システム』の経緯は把握できた。
ただ一点、ウェンの祖父のふたつめの懸念である『何処かの時点で擬似人格を与えたやつ』と言う存在について、ウェンはそれがあたかも『人』であるかのようにその存在を語っていたのに違和感を抱いていた。
アンディはそれが何故か腑に落ちない。
「ウェン。色々と教えてくれてありがとう。『システム』の概要と目的がはっきりして来た気がする。今まで憶測だった点も、起結がわかって来た。
その上でひとつ疑問がある。君は『何処かの時点で擬似人格を与えたやつ』がまるで人間であるかのように話していたけど……それはどうしてだい?」
ウェンは突っ込まれた部分が予想外のところだったので戸惑いを隠さずに答えた。
「ええっと……俺が祖父さんから聞いた時にそう感じたからかな。だって『システム』にコンポーネントを造って与えるのは、最終的には人が行うもんだろ?」
「そうだね……。
でも僕は考えれば考えるほど、こんなことができるのは人間じゃないのかも……って、そんな風に思い始めている」
納得の行かない表情のアンディに向かってウェンが言った。
「まさか、アンディの口から神や仏を信じるような言葉が出るとはな。世も末か」
ウェンは茶化すつもりで言ったが、アンディはより一層表情を曇らせて、ポツリと言った。
「……ああ、僕もそう思う」
アンディはパタンと端末を閉じながら苦笑いを浮かべ、ウェンに言った。
「まあ、今すぐこの問題をどうこうすることはできないけどね。でも、今までは雲を掴むようなことが、より具体的な目標になった気がするよ。突破口が見えて来たのは確かだ。
お祖父さんのことで、何か思い出したら、また話しを聞かせてほしい。リンも一緒にね」
「わかった。そうするよ」
ウェンは落ち込む姉を見て、真面目な顔をして答えた。
・・・・・・・・
二人は朝食もまだだったので寺院跡を出て駐車場へ戻ることにした。
道すがらリンが口を開いた。今にも泣き出しそうな弱々しい声に心が締めつけられる痛みをアンディは感じていた。
「ウェンがあんな大事なことをずっと抱えてたのを初めて知った。いつも脳天気でお調子者だと思ってたけど……家族だから、全てわかってるつもりだった。
でも、正直何だかよくわかんなくなって来た……あたしは何も知らずに……どうして早く言ってくれなかったのかな……そんなに頼りない、姉貴なのかな、あたし……」
すっかり弱気になっているリンをどうしていいのか、アンディには何も思いつかない。
「察しようと努力はしてみても……難しいもんだよね。今も、君をどうすれば元気づけられるか、何も思いつかないんだ……」
急にリンの足が止まる。
それに気づいたアンディが後ろを振り返ると、不意にリンがしがみついて来て、泣き始めた。
しばらくの間、リンが泣き止むまでこうしていよう。そう思い、アンディは黙ってリンの頭を撫でていた。
そうしながら、人の心の繋がりは、あの曼荼羅模様のように複雑に、小さく雑然と存在している仏身であり、それでいて中央の規則性を持って並べられた同心円上の大きな仏身のような、抽象的で捉えようのないものなのかも知れない、そんな風にアンディはぼんやりと考えていた。
(第四部 均衡の体系、不均衡の循環・了)
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