第一部 見捨てる生命、救われる魂

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【襲撃】  荷物を背負い、山を登って来る少年の様子を双眼鏡で遠くから監視する者がいた。賊徒の監視役だった。彼らはちょうど少年が目標地点として設定した開けた場所にある少し大きめの廃墟を根城(ねじろ)の代わりにしていた。  少年の周りには他の人間の姿は見当たらず、背にある大きな荷物袋に目をつけた監視の男が、そのグループの頭目(とうもく)嬉々(きき)として報告する。 「アニキ、カモがネギを背負(しょ)ってこっちへ来ますぜ!」 「ああ? どういうこった?」  頭目は面倒臭そうに応じたので、監視の男は関心を得ようと少年の様子を(まく)し立てた。 「ガキがひとりで山を登って来るんでさ。しかも背中にデカい荷物を背負ってやがるんだ。ありゃあ、食い物がたんまり入ってんじゃねえか?」  頭目は監視の男から双眼鏡を取り上げる。 「どこだ?」 「あの辺でさぁ」  監視の男が指差す方向を双眼鏡で(のぞ)き、(くだん)の少年の姿を探す。隠れることもせず山を歩く少年はすぐに捕捉でき、その様子を眺めて頭目はほくそ笑む。 「ここを警戒せずに登って来るたぁ、世の中ナメたガキじゃねえか。俺らがきっちり教えてやらねぇとな……この世がどれほどクソったれなのかを!」 「アニキ、それ、体言止(たいげんど)めってヤツか? 何か大物っぽくてスゲェな!」 「バカやろう! 訳わかんねえことほざいてねえで、しっかり見張ってろ!」  頭目は監視役の男に双眼鏡を投げつけ、廃墟の奥へ戻って行った。  賊徒が待ち受けるとも知らず、少年は目標地点へ向けて山を進んで行く。監視の男は少年を捕捉し続けていたが、大きくカーブする急勾配に差しかかったところで少年の姿を見失った。 「あ、アニキ、ガキが向こうの崖の影に入っちまった」  少年を双眼鏡で追っていた監視男が慌てて頭目へ告げる。頭目は奥のベンチから動かずに監視役を怒鳴(どな)りつけた。 「バカやろう! 道なりに登って来てるなら、こっちへ向かってるってことだろ。俺たちはここでガキが来るのを待ち構えてりゃいいんだ!」 「でも、こっちに来なかったらどうしますかい?」 「しばらく様子を見てろ。順当に登って来りゃ、すぐに見つかる。それでも上に上がって来ないようなら、俺らが出迎えに行ってやろうぜ」  監視の男は双眼鏡で少年を見失った崖付近から、その先に続く道を覗き込む。  その少し前、少年が急勾配のカーブへ差しかかった時に地図端末がドローン接近の警告音を発していた。少年は鳴り響く音に驚き、慌てて地図端末を取り出すと、投影されたドローンの位置を確認した。ドローン探知範囲はリアルタイム探知できる半径千メートルに設定していたのだが、その範囲ギリギリ付近に六個のドローンらしきマーカーが映っている。少年の方へ接近して来る様子はなかったが、不用意に進んで行くとドローンに捕捉されかねない。少年は、周囲に身を隠す場所がないかを探した。  周辺で破壊された建物の跡をすぐに見つけることができた。少年はその残骸の中へ身を隠すために飛び込む。ちょうど賊徒の監視役が少年を見失った時だった。  少年は飛び込んだ瓦礫の中から、注意深く周りを観察し、近づいて来るものがないかを確かめた。気配は感じられないが、少年はこの切迫した状況にかすかな既視感を覚えていた。はっきりとは思い出せないが、この何か嫌な感じだけは忘れられないでいた。  いつまで経っても姿を現さない少年に、賊徒の監視役の男は戸惑いを感じていた。戸惑いはすぐに苛立ちへ変わって行き、痺れを切らした監視役は頭目に報告する。 「アニキ、ガキが出て来ない……消えちまった」 「ふん。そこそこ危機感を持ってるのかも知れないな。じゃあこっちから出向いてやろうぜ」  頭目はふたりの男を残し、根城から男たち数人を連れて少年を追い込みに出た。接近しつつあった哨戒中(しょうかいちゅう)のドローンが賊徒の男たちを感知した。  少年は瓦礫の中で(うずくま)り、息を殺して周囲を窺っていた。しばらくすると、残骸の隙間から道の上の方から歩いて来る男たちの姿を目にする。その出立(いでた)ちや武装から直感的に賊徒の一団だと認識すると、足を止めて姿を隠した行動が正しかったことを確信した。男たちは道すがら何かを捜索している様子が見えた。少年は賊徒たちのターゲットになっていることを理解した。  身を隠せそうな場所は少年のいるこの場所くらいしかない。遅からず男たちはここを見つけるだろう。そう考えた少年は、この後の行動が自分の生死を(わか)つ決断だと思い至り、戦慄(せんりつ)を覚える。上手くやり過ごせればそれに越したことはないが、連中がこの残骸を確認しに来たらまず見つかってしまう。ここは見つかっても逃走すべきか、このまま連中が行き過ぎるのを待つか、逡巡(しゅんじゅん)していると、唐突に背中から警告音が鳴り響いた。  少年は地図端末をオフにしておかなかった自分を呪った。至近距離ではないものの、聞き逃すような音量ではない。案の定、賊徒たちは音に反応して、こちらへ向かって来た。少年は瓦礫の山から飛び出し、元来た道を駆け降り始めた。  飛び出して来た少年を見つけると、賊徒たちは怒声を上げて追いかけて来た。パン、パンと銃声が鳴り、少年の足元に砂埃が立ち上がる。銃声に足が(すく)みそうになるが、恐怖を(こら)えて少年は走った。 「撃つんじゃねえ! 弾がもったいねえだろう! ガキひとりくらい追いかけて引っ捕まえろ!」  賊徒の頭目の男が周囲の男たちに怒鳴り散らす。手下どもはそれに返事を返し、さらに少年を追い速度を上げて走り出した。  少年はまだ痛む足を無視して遮蔽物となり得るものを探しながら走った。しかし頼りになりそうな遮蔽物は見当たらない上に、痛みの残る足では思うように走ることができない。  賊徒たちの走る息遣いがどんどん近づいて来る恐怖に、少年は道から外れた崖を滑り落ちる。木々の枝が少年の頬や腕、足を引っ掻き、弾き、容赦なく傷をつけて行ったが痛みよりも追われる恐怖が勝り、構わず進んで行った。崖下へのショートカットで賊徒との距離を少し開けることができたが、このまま逃げ続けてもやがては追いつかれる。  不意に発煙筒のことを思い出した。走りながら荷物袋を身体の前に持ってきて中を漁る。食糧や水がボロボロと落ちて転がって行ったが構っていられなかった。  一度通った道を戻って行っているので、ある程度道の先は予測がつく。しかし、このまま逃げて続けても自分自身が疲れ切って追いつかれる未来しか見えない。それでも捕まった後のことを考えると、それだけで走り続ける動機となり、何度も危険な崖を滑り降りて行った。  走りながら眼下に、昨日寝床にした岩場と大森林の淵が見えて来た。見慣れた場所が目に入った時、このまま逃げ切れるような希望が生まれた。その希望を打ち砕くように、地図端末から警告音が発せられる。警告音の音質から、ドローンがかなり近づいて来ているのを認識して少年は思わず背後を振り返った。  数人の賊徒が崖を滑り降りてくるのが見えた。このままだと、あと数分も経たない内に追いつかれるだろう、と他人事のように思った。  その刹那(せつな)、上空からけたたましい銃撃音が響き渡る。ドローンが崖にいた賊徒に向かって機銃を斉射していた。賊徒のひとりが痛みに(まみ)れた叫び声を上げる。  少年はこの隙を逃さぬよう、崖を滑り、転がりながら山の入口付近の岩場に飛び込んだ。身体の節々が痛みで悲鳴を上げていたが、手に持っていた発煙筒に火をつけ、背後に放って岩場の影へ隠れる。その直後、ドローンのものか、賊徒のものかはわからなかったが、何発かの銃弾が少年がいた場所に着弾した。  もう少しで獲物に追いつくというところだったのに、突然空から銃撃を受け、手下がひとり叫び声を上げて倒れ込んだ。賊徒の頭目は目の前で何が起こったのかすぐに理解できずにいた。 「ドローンだ!」 「畜生っ! よりによってこんなときに!」  手下が空を指差して口々に叫ぶ。状況を把握した頭目は大声で手下に命じた。 「オータとジェフはドローンを撃ち落とせ! ロブ、お前はガキを追え!」 「へい!」  ロブと呼ばれた手下は威勢良く返事をして岩場を登って行ったが、突如として目の前に()き出た白煙に視界を(はば)まれる。急に視界を奪われたため、混乱したロブはその場にしがみついて動けなくなった。 「ビビッてんじゃねえ、構わず登れ!」  頭目の命令に応えようとロブは腕を伸ばして岩を(つか)もうとしたが、掴み(そこ)ねてバランスを崩す。慌ててしがみつこうとして手にしていた銃を誤射してしまい、そのまま岩場から転げ落ちて行った。 「バカやろう! 何やってんだ!」  ロブの不手際に腹を立て、思わず頭目は怒鳴り声を上げた。その声に反応したドローンが頭目を中心に銃撃を集中させる。何とか物陰に身を隠して避ける賊徒たちだったが、ドローンの執拗な攻撃で動けずにいた。既に十機以上は撃ち落としているはずだが、減るどころか徐々に数を増して行った。 「畜生……何だってこんな……まさかあのガキ、俺らをハメたのか……?」  数機のドローンの一隊が賊徒たちの背部を取り囲むように飛び回り、退路を確実に()って行く。 「アニキ、ヤベェぜ! 地上ドローンも来やがった!」  地上掃討用の空中ドローンとは違い、地上ドローンは橋頭堡(きょうとうほ)や拠点の破壊を目的としているため、高出力のレイガンやレールガン、ものによっては多連装ロケット砲などを備えており、高い火力を持つ。移動速度や旋回能力を失う代わりに空中ドローンとは比較にならない硬い装甲と重力防殻(ぼうかく)と呼ばれる強固な防御システムを備え、継戦能力が高い。賊徒にとって生身(なまみ)で相手をするにはあまりにも分が悪い存在だった。 「あのガキ……次に見つけたらタダじゃおかねえ! お前ら、ズラかるぞ!」  復讐心に燃え、撤退を命じた頭目だったが、その機会は光と共に(つい)えた。地上ドローンが発したレイガンの光束が頭目の周囲を一閃すると、物陰と手下たちを含めてまとめて焼き尽くす。  ロブは、目前でブスブスと黒煙を残して文字通り消し炭に変わった頭目たちを目の当たりにし、奇妙な悲鳴を上げ、何故か空中ドローンが集結しているその下を目指して走り出した。  空中を舞っていたドローンの一機が、こちらへ走り来るロブの頭を正確な偏差射撃で撃ち抜く。ドローンたちにとって、ロブの行動は予測できず、またその意図を理解することができなかった。武装もせずにドローンに向かって来ることが、人間にとってどんな意味があるのか推し測ることができず、ほんの数ミリ秒程度だが処理が遅れた。過去にも同様な行動パターンがいくつか計測されていたが、それも数十年前のデータを(さかのぼ)ってようやく辿り着いた情報だった。  この状況については別の処理系統が分析を引き継ぎ、末端であるドローンはすぐに正常系の処理である『人を殺せ』という最優先の条件分岐に従い、ロブの頭を撃ち抜いたのだ。  発煙筒の白煙が上がる前に、背後をチラッと振り返った少年はドローン数機を目にしていた。銃撃音がするのでまだ賊徒とドローンが交戦しているのだろうが、近くにいるはずなのにドローンの接近警告音が聞こえない。  少年は荷物袋から発煙筒を出そうとして気づく。崖を転げ落ちた際に何処かへ落としてしまったのか、地図端末や食糧など、ほとんど全ての物資がなくなっていた。  気落ちする間もなく岩場の奥へと移動する。銃撃音はその後もひっきりなしに山間に響き、それに混じって賊徒の怒声が遠くから聞こえた。  距離を開けられた安堵感に(ひた)る前に、さらに岩場の奥へと移動し、腰を降ろして息を整える。心臓の鼓動が破裂せんばかりの勢いで胸を打ち、脈打つたびに身体中の傷が熱く火照(ほて)って(うず)き始めた。手の甲、腕に細かな引っ掻き傷がついている。頬や首筋にも傷の感触がいくつもあった。転げ落ちた時に肩を強く打ったようで、荷物袋を肩から下ろすときに激痛が走った。  荷物の中から応急手当用の医薬品を取り出そうとして、中身を盛大にぶちまけてしまったことを思い出す。食糧も水も、携帯コンロも、その他に役に立ちそうなものはまるでなくなっていた。腰のジャミングユニットもない。残っていたのは荷物袋のスリングに挟んでいたコンパスくらいだった。  絶望感で(うつろ)となった視界の前に、大森林の淵がすぐそばに見えている。このまま岩場に隠れていても、体勢を整えた賊徒に発見される可能性は高い。それにドローンが新手を率いて現れる。賊徒だけを目標にするとは限らない。実際には少年を追って来た賊徒はドローンによって抹殺されていたのだが、少年がそれに気づく(すべ)はなかった。  ひとまず賊徒とドローン、いずれからも身を隠すには大森林に潜り込むしかない、と思ったが、少年は自身で選択肢を(せば)めていることに気づき、他に安全で確実な方法がないかを模索したが、いくら考えても答えは見つからない。  まだぜいぜいと息が荒く、動悸(どうき)が収まらないが、猶予は残っていないと感じた少年は、よろよろと大森林に向かって歩き出した。
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