第一部 見捨てる生命、救われる魂

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【樹海】  賊徒が追撃して来るかも知れないという恐怖が、少年を森の奥へと進ませた。徐々に賊徒たちの怒声と銃撃音が遠くに去って行き、小一時間ほど経つと耳に届かなくなっていた。  賊徒とドローンの思わぬ遭遇の隙を突いて、どうにか逃げ延びることができたものの、すぐに森から出る気にはなれなかった。というか、陽の光が入らないため薄暗い上に、どこを見ても同じ景色にしか思えず、どの方向へ向かえば森から出られるのかわからなくなっていた。唯一手元に残ったコンパスも、針がぐるぐる回っているだけで方角がわからない。  腰を落ち着けて休んでしまうと動けなくなりそうだったので、まずは飲み水と食べられそうなものを探して森の中を歩き出す。地面は土ではなく岩石質で意外に硬かったが、縦横に巡らされた木の根や苔類に足を取られ何度も転んでしまった。  陽が傾いて来たのか、元々薄暗い森がさらに暗さを増して行く。水場や食べられそうなものは見つけられていないため、体力を失うとわかっていても、その焦りが歩く速度を早める。  幾度目(いくどめ)かわからない転倒で、少年は立ち上がる気力を(くじ)かれ、そのまま地面に大の字になって寝転び、目を閉じる。体力はとっくに限界を越えていた。  かすかに獣の(うな)り声が聞こえたような気がした少年は反射的に身を起こすが、力を保っていられない。よろよろと手近な樹木にもたれかかり、そのまま根元にへたり込む。  野犬に()ぎつけられたのか、吠え声の後に獣の息遣いが近づいて来るのを知覚して、少年の意識は現実に引き戻された。死を意識した少年は立ち上がろうとして膝に力を入れようとするが、身体のあちこちが痛み、全身がガクガクと震えるばかりで立ち上がることができない。  すっかり精根(せいこん)が尽き果て、少年はそのまま意識を失った。  少年は薄ぼんやりとした光の差す小屋の中で目を覚ました。少年は自分が死んだかと錯覚したが、そうではなかった。その傍らには、初老くらいの男が座って少年の様子を見ていた。男のすぐそばには犬が大人しく丸くなっている。  目を覚ました少年に気づき、男が話しかけて来た。 「ロクな装備も持たず、あんなところで倒れてるとはな。こいつが見つけてくれなきゃ、お前、今頃死んでたぞ」  男が言うには、見回りに出ていた時に犬が少年を見つけたと言う。男は、集落ではなく、この森の奥の小屋で犬と暮らしていた。 「助けてくれてありがとう。隣街へ向かう途中で賊徒に見つかって……ヤツらから逃げてるうちに、今度はドローンまで接近して来たんだ。だからドローンを賊徒に押しつけてやったって訳。でも、逃げてる間に崖から落ちたりして地図端末やジャミングユニットとか、水も食糧も失くしちゃったんだ。逃げるとこがなくなったので、仕方なく森に入って……もうダメかなって思って、気がつくとここで目が覚めてた」 「ははは、そりゃ災難だったな。お前、この森が危険地帯だって知らなかったのか?」 「危険地帯?」 「ここら辺の森一帯は磁場がおかしくてコンパスが効かない。奥まで足を踏み入れると迷って出られなくなるってことで有名な場所だ。ま、地図端末がありゃ迷うことはないんだが、人が住むには厳しい場所だし、何より火山が近くにあって危険なんだ。最近じゃ地震も多くなってるしな。この辺の集落にいる連中はみんな知ってるはずだが」 「迷いの樹海だから、入れば賊徒は追って来ないと思ったんだ」 「なるほど、そいつはまあまあ賢明な判断だったが……詰めが甘かったな」 「……」 「ま、とりあえずこれでも食べて、しばらく休むといい」  そう言って男はシチューらしきものを大きな器によそい、少年に手渡す。受け取った器の暖かさに、少年は危険から逃げ延びたことを実感し、賊徒に追われた恐怖を改めて痛感して器をじっと見つめて黙り込んだ。 「変なものは入ってないぞ。あ、そうか、スプーン()るか」 「……どうもありがとう」  しばらく振りの本物の豚肉と温もりある食事を口にすると、嬉しいのか悲しいのか何だか良くわからない感情が込み上げて来て、少年の視界が涙でぼやける。肉の食感と(あふ)れる旨味が一口、また一口と食を進め、器はあっという間に空になった。 「おかわり? 要るか?」 「いえ、もうお腹いっぱい」 「そうか。ならゆっくり寝ろ。ここなら誰にも襲われたりしないからな」  男はぶっきらぼうな話し方ではあったが、少年を詮索(せんさく)したり詰問(きつもん)しようとする様子がない。その姿はどこか安心感があり、奇妙な懐かしさを感じていた。  少年は男から渡された毛布を頭から(かぶ)って目をつむる。空腹が満たされた満足感と、一日中走り回った疲労によって、すぐに眠りについた。  翌朝、男は犬の餌を用意しながら自分たちの朝食を用意し始めている。餌にありついた犬は嬉しさを示す吠え声を上げ、少年はそれに驚いて飛び起きた。  少年が起きたことに気づき、男は台所から少年に声をかける。 「起きたか、驚かせてすまないな」 「う、うん。でも泊めてくれて助かったよ」  少年は居間のソファに寝かされていた。ソファとは言ってもバネやクッションもなく、骨組み程度しか残っていないが、ウェスのような布切れやスポンジのような塊が座面や背もたれに押し込まれており、意外にも柔らかく、岩に寝そべるのとは雲泥の差だった。  ソファの裏側の壁は一面棚になっていて、ジャンク品のようなものが詰まったカゴや木箱が収められていた。親方のジャンク屋にはない、几帳面(きちょうめん)に整然と並ぶ様子はとても廃品には見えず、少年の目には奇異(きい)に映った。  居間と繋がる台所には男と犬がいる。ソファの対面は木のテーブルを挟んで大きなガラス窓が付いていた。窓からは朝陽(あさひ)が差し込まず部屋の中は薄暗い。窓の外には深い森が見える。この小屋が森の奥深くにあることを如実に表していた。少年は目を()らしても森林の終わりが想像できない。  台所の入口と対面する壁には(のこぎり)やバール、レンチなど見知った工具に加え、見たこともない工具類が吊るされていた。その下側には樽と木板で作られた作業台と(おぼ)しきテーブルが置いてあり、その上には何らかの部品やこれまた見たことのない工具類が置かれている。  男は少年の方へ振り向き、(たず)ねた。 「食後はコーヒー派か? 紅茶派か?」 「へ? こーひー? こうちゃ?」  少年が初めて聞く単語だった。 「飲み物だよ。ココアがあればよかったんだが、中々手に入らんからな」 「水以外の飲み物なんて、スープやシチューくらいしか知らない。後は親方が飲むお酒? ってのがあるのは知ってる」  少年の返答内容に男は眉間に(しわ)を寄せる。この時代では物資の不足はどこでも一緒だったが、それでも旧時代の嗜好品(しこうひん)を知らない集落の生活の一片を知り、男の胸中は複雑だった。 「あ、ああ、悪い」  何ともバツの悪くなった男の様子を見て、少年は自分の知識の少なさが男を困惑させていることを理解した。 「僕は住んでる集落以外の他の集落がどうなってるかのか、どういう風に暮らしているのか知らなくて、想像もつかないんだ。その……それであんたを困らせてるんだったら、ごめんなさい」 「お前が謝ることじゃない。お互い住んでる環境が違うせいだ。まあ、砂糖は多めに入れといてやるから後で飲んでみるといい」  男はソファの前にパンとスープを並べ、少年に食べるように促した。簡素な食事だったが、少年にはとても贅沢(ぜいたく)な朝食だった。  食事が終わり、少年は初めてコーヒーを口にし、その苦味に顔を(しか)める。男が少年のカップに砂糖を入れ、かき混ぜてやった。恐る恐るカップに口をつける少年の様子を見て、男は笑みを浮かべる。少年は目をギュッとつむり、勢いをつけて一口(すす)った。 「あ、あんまり苦くなくなった。凄いね」  その後、少年と男は他愛のない話を交わしながらお互いを少しずつ知って行った。そして少年が何故この樹海へ入り込むことになったのか、集落を出て隣街へ向かっていた目的を話し始めた。少年は大体のあらましを一気に(まく)し立てて話したが、男はそれを(さえぎ)ることはせず、少年が話し終えるまで男は静かに、時に(うなず)き、少年の話を黙って聞いていた。  少年の話がひと段落する頃を見計らって、男は話し始めた。 「そうか、辛い思いをしたんだな……よく我慢したし、そして、よく決断して、生き延びた。お前の行動を善悪……良いとか悪いとかそういうことで責め立てる権利は誰にもない。俺もそうだ……」  少年はこうして子供の自分の話を真摯(しんし)に受け止めて、聞いてくれる大人に出逢ったことはなかった。親方は厳しくて、でも心根は優しいことは知っていたが、この男ほど少年の話に耳を傾けてはくれなかった。  男が、再び口を開く。 「そうだな。お前の事情や状況、そいつは一旦置いといてもらって……俺の話しも聞いてくれないか?」  少年は男の顔を見た。子供相手なのに、とても真剣で真面目な表情をしている。その表情に、少しばかり顔を(こわば)らせつつも、少年は頷いた。  男は何かを思い出すようにふっと目を閉じ、しばらくして目を開き、自身の前にあるカップを見つめて話を始めた。
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