第一部 見捨てる生命、救われる魂

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【過去】 「俺がまだ子供の頃、今のお前より少し大きいくらいかな。最初は小競(こぜ)り合い程度の紛争だったが、いつの間にか世界全体が戦争に加わっていた。俺の住んでる街にも戦火が迫っていた。気の早い人たちは徐々に街を捨てて退避して行った。  俺には病気で伏せっていた弟がいたんだ。その時はまだ弟を放って置けなくて、家に残ると言い張ったんだが、お袋は俺と弟を置いて家を出て行っちまった。 親父は弟が生まれてすぐ、お袋と離婚して行方知れずだったんで、俺はしばらくひとりで弟の面倒を見ていたんだ。点滴を取り替えてやったり、薬を飲ませてやったり、食事やトイレの世話をしたり……色々な。  そのうち街にミサイルや榴弾(りゅうだん)が飛んで来るようになった。最初は数発程度だったのが、日増しに数が増えて、暢気(のんき)に構えていた街の人たちも危機感を募らせて行った……俺ももれなく、その泡を食った内のひとりだった。  その頃になると、何処からともなく四六時中ミサイルが街に降り注ぐようになった。俺は弟を連れて逃げる手段がないかを考えていたが、お袋が自動車を持って行っちまったのでどうすることもできずにいた。  弟を診てくれていた病院が榴弾で爆破されてしまったので、点滴や薬の調達にも頭を痛めていた。  その日、テレビのニュースを観ていると、俺が住んでる街が敵国の総攻撃に(さら)されていると報じていた。そのニュースを見ているまさにその時、隣の家がミサイルの爆撃で吹き飛んだ。昔から親父のいなかった俺たち兄弟に色々と良くしてくれた老夫婦の家だった。  俺はこれがただの散発的な攻撃ではないと焦った。家中の窓ガラスは全部割れて床一面にガラスの破片が散らばった。窓の外を見ると、街のあちこちから黒い煙と炎が上がっていて、街の人たちが道路を逃げ惑っていた。その中には怪我をして血を流している人たちもたくさんいた。  窓から空を見上げると、何発もミサイルが降ってくるのが見えて来て……気がつくと、俺は街の公民館にあると聞いていた地下シェルターへ向かって大通りを走り出していた。  ……お袋と同じく、弟を置き去りにしてな」  男は一息()くと、コーヒーポットを持ち上げ、自分と少年のカップに注いだ。 「砂糖は好きなだけ使っていいぞ。おかわりも自由にしてくれ。つまんない話しに付き合ってくれてるし、な」  少年はコーヒーの味に少し慣れ始めていた。砂糖と相まって苦味と旨味が口の中に広がるカフェインの感触を楽しむ。 「ううん、そんなことない。僕の生まれるずっと前の話しを聞けて、その……何か言い方が悪いかも知れないけど、とても興味深いと思ってる。それに、親方以外で集落の大人は誰も昔の話しはしてくれなかったし」  戦争に関することは、親方がジャンクに纏わる昔話をしてくれる時に少しだけ触れることがあった。賊徒やドローンが周りにいるといういつでも生命を(おびや)かされている環境下で生活しているため『戦争』の本質的な意味と、その影響や規模感を理解できなかった少年は、集落の他の老人たちに話を聞き回ったが、皆一様に戦争を忌み嫌い、口にすることを避けるばかりだった。 「そうか……そうだな。まあ、老人たちが話したくない気持ちはわからんでもない。あの世代は言ってしまえば戦争の当事者だからな」  少年は今の世の中が戦争によってもたらされ、戦争以前は世界中に整然とした街並みが存在し、そこでたくさんの人々が暮らしていたことは知識として知ってはいた。  ただ、少年にとって、この瓦礫まみれの世界が現在の姿であり、現実だったので、当時を知る老人たちが過去に囚われる必要はないと考えていた。 「ま、悪いがもう少しだけ俺の昔話しに付き合ってくれ。 「うん」  少年が返事をしてキッと口をつぐんだのを見て、男は少し微笑みを浮かべ、すぐに真顔に戻って話を続けた。 「ありがとう。ええと、どこまで話したっけか……ああ、シェルターへ退避したとこだな。  それからしばらく、逃げて来た街の人たちと一年くらいシェルター内で過ごした。  日に何度も爆撃の揺れで目を覚まして、俺たちはいつも寝不足だった。そのうちテレビやラジオが死に、外からの情報が入りにくくなった。ネット通信は一部では動いていたが、やがてそれも繋がらなくなって、俺たちは外部から完全に隔絶された。  情報が入らなくなって半年くらい経過すると、爆撃による揺れがない日が続くようになった。停戦したのかどうかはわからないが、外の様子を窺うため、大人たちの数人がシェルターの外へ出て行った。  戻ってきた大人たちは皆口々にこの世の終わりとばかりに(なげ)いていた。他の大人たちも次々とシェルターから出て外の様子を見に出て行った。彼らも最初の大人たち同様、皆一様に嘆き哀しみを隠すことなくシェルターへ戻ってきた。  何か大変なことが起こっていたのはわかったが、俺は大人に外の様子を詳しく訊ねなかった。今にして思えば、俺は事実を受け入れるのが怖くて、聞きたくなかったんだな。  そのうち、大人たちは家族や友人を連れてシェルターの外へ出て行った。戦争がどうなったのかは誰も答えをくれなかったし、知りたいとも思わなかった。俺はシェルターから出る気がせず、そのままシェルターの中で過ごした。  それから一、二週間ほど経過した頃だったかな。出て行った人々の一部が物資を持ってシェルターへ戻って来た。俺は聞きたくなかったが、大人たちは勝手に外の様子を話し出した。外ではほぼ全ての街は破壊し尽くされ、一部のシェルターに逃げ延びた人々以外、ほとんどの人類は死滅していたらしい。  さらに多数の軍用ドローンが地上を走査しており、人類を見つけると誰でも無差別に攻撃して来たんだと。それで一旦シェルターへ戻って来たと言っていた。今でも、あの虐殺(ぎゃくさつ)マシンを、どこの誰が何のために作り出したかわかってないが……どこかで生産プラントが生きていて、新たなドローンが次々と作られてるという(うわさ)もあるが、どうにも厄介な存在なのは今も昔も変わらない」  少年は男の弟の行く末と、自身の弟のことが気になりだし、心の奥底にチクリとした痛みを感じた。そして、少年は男の弟についてどうなったのか知りたくなり、切り出した。 「ねえ、その……弟は……どうなったの?」  男はその問いには答えず、少年の顔をまじまじと見つめて不意に少年の名を(たず)ねた。 「……そういやお前、名前は何て言うんだ?」  唐突に名を聞かれ、少年は少し戸惑ったがここに来て隠す必要もないので、自分の名前を告げた。 「……アンドリュー」 「そう、か……」  少年の名を聞いた男は頷き、深く息を吐き、コーヒーカップに口をつける。カップの中身を一息に飲み干してテーブルに置くと、男がまた少年に聞いた。 「弟のベンジャミンはどうしている?」 「え?」  少年はまたも不意を突かれて驚嘆(きょうたん)の声を漏らした。男の口から弟の名が出てきたからだった。 「なんで……知ってるの?」 「うん……そうだな。俺自身もまだ信じられないが……まさかこんな偶然があるとはな。  六年前、お前とお前の弟をジャンク屋の親父に預けたのは俺だ。  賊徒に襲われた時のショックが大きかったのかわからんが、お前も弟も自分の名前すら覚えていなかった。名前がなければ色々と生き辛かろうと、親父は俺の名前『アンドリュー』と、俺の弟の名前『ベンジャミン』をお前たちにつけたんだ。  ジャンク屋の親父……お前の親方は、俺の実の親父でもある」  男の語った出会いと、親方との関係を聞かされ、この偶然に少年は大変驚き、口を大きく開けたまま言葉を失った。 「驚くのも無理はない……って言うか、俺だってびっくりしてる。こんな偶然があるとは、な」  驚きながらも少年は、最初に感じたこの男に対する安心感に得心(とくしん)もしていた。 「そう、だったんだ……」 「ああ。驚かせるつもりはなかったんだが。つい、聞きたくなってな。  そっちの件はまた改めて話すとして……まずは、お前の質問に答えるため、話しを続けよう。  その後、戻って来た人々はしばらくシェルターに滞在していたが、やがて地上で住む場所を求めてみんなはシェルターを出て行った。  俺は相変わらず穴倉(あなぐら)に引きこもって暮らしていたが、シェルター内の物資が(とぼ)しくなって来ていた。まあ二年近くこもってたしな。それで物資の補給を行おうと思って、俺はあの戦火から初めてシェルターの外へ出た。  シェルターの隔壁(かくへき)を開き、地上への(ふた)を押し上げて最初に目にしたのは、ことごとく破壊され尽くし、荒れ果てた街の残骸や瓦礫の山だった。シェルターは公民館の地下に(つく)られていたんだが、建物自体はすっかり消し飛ばされていた。蓋の周りの瓦礫はここに出入りしていた大人たちが除去していったんだろうな。  穴から這い出て、立ち上がって周囲を見回した。辺りは見渡す限り瓦礫の山だった。まあ、お前には見慣れた風景かも知れないが……あのときの俺は目の前の事実に衝撃を受け、しばらく動けずにいた。  公民館の前はキレイに舗装(ほそう)されていた大通りだったが、道路はあちこち穴だらけで(めく)れ上がっていて、瓦礫の山との区別がつかなくなっていた。公民館の跡の一角にキレイに瓦礫が除去された区画があって、そこには鉄骨や木の枝が何本も地面に突き刺さっていた。多分大人たちが亡くなった人たちを埋葬したお墓だとわかった。  大人たちが嘆いていた理由を体感した俺は、気づいたら公民館から自宅までの方向を思い出しながら走り出していた。  道とは呼べない、かつて道だったところに遺体が見当たらないので、外へ出た大人たちが目につかないよう埋葬したんだと思う。しかし瓦礫の山の隙間を覗き見ると、柱や瓦礫に埋もれた遺体らしき骨のようなものが目に入ることがあった。瓦礫ばかりなので方向感覚がおかしくなっていて、時折(ときおり)道を間違えたが、俺は自宅のあった場所へ辿り着いた。  自宅も他の建物と同様に瓦礫と残骸で埋め尽くされていた。二階部分は跡形もなく吹き飛んでいて、一階の壁や床も基部を残してほとんど崩れていた。家具や収納棚やテーブルや電化製品……家にあったものは破壊され、家の残骸に混じってその痕跡を見分けることすら難しかった。  俺は瓦礫をかき分け、乗り越えて弟が横になっていた部屋の場所へと向かった。  何故探すのか、自分でもわからなかった。  見つけたいとも思ってなかった。  そこにいて欲しくなかった。  でも、探してた。  それで、見つけちまったんだ。  潰れたベッドの破片に(まぎ)れて恐らく腕の骨のようなものを見つけた。破片や家壁の残骸をどかして行くと、見覚えのあるガートル台らしき金属の棒を見つけた。  弟はここで死んだ。  そりゃ当然だよな。俺が見捨てて逃げたんだから。その事実を受け止め切れなかった俺は狂ったように弟の痕跡を探して、瓦礫をどかした。指が()り切れて、瓦礫やガラスの破片で腕や頬に血が(したた)った。痛みに勢いが()がれたが、これは(むく)いだと思い直して、俺はさらに勢いを加えて瓦礫を(つか)み、放り投げ……残骸を掴み、放り投げ……を繰り返した。  そして、弟の小さな頭蓋骨(ずがいこつ)の上半分を見つけた時には、俺は今までに出したこともない声を上げて泣き、骨に(すが)って謝罪の言葉を繰り返したよ。俺は、取り返しのつかないことをした。  だが、シェルターに連れて行ったとしても、弟は長くは生きられなかっただろうと今では思うこともある。病院は吹っ飛ばされたしシェルターには必要最低限の医薬品や生活用品、自衛装備しかなく、弟が生きるために必要な薬はなかったからだ。ただ、これは俺の都合のいい弁解に過ぎない。全てをぶっ壊した戦争を憎んでみたが、それも逃避だ。  連れて行こうとしなかった、逃げ出した俺と、生命(いのち)を落とした弟がそこにいた」  そこまで話すと、男は目頭を押さえて項垂(うなだ)れた。少年は、男が自分の弟の死に(むせ)び泣く姿を思い浮かべ、そしてその姿が自分と重なるような印象を受けていた。  恐らく、男は自分が何者かを薄々勘づいて話を切り出したに違いない……と、何処かで冷めた思考が頭の片隅にあったものの、男と自分の重なる弟への想いは偽りない共感が確かに存在し、少年は自分の弟のことを思い出していた。
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