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2.検察官、笹森徳次郎の過去
俺は旧華族の末である。農林省に強い影響力を持つ官僚の一族だ。俺も順調に進学し、東京大学を出て、けれども検事になった。検事は司法省の管轄だ。
何故わざわざ検事なのだと親戚からはさんざん言われ、呆れられたものだ。
俺はもともと、子供の頃から単純な正義感というものを持ち合わせていた。子供の頃に読んだ少年探偵の小説に憧れたのだ。だから警察になりたかった。俺がしたいのは捜査というやつで、ようはドサ回りだ。
両親は官吏、所謂キャリア官僚となるならともかく、市中の警察官なんかは下民の行いだ、華族に相応しくないと頭ごなしに言う。凹んでいると、従兄弟から検察官はどうだと言われた。警察より偉く、裁判所で罪を暴くのだという。そしてそれは確かに上級官吏、エリートというものだそうだ。
それで俺は検事になった。多くは警察に指示を出して捜査させ、時には自ら捜査にあたった。真実の発見。その時の俺は『真実とは何か』については深く考えていなかったが、やはりその業務は俺の興味に合ったし、やっていて楽しかったのだ。悪い奴を捕まえて刑務所に送るのは小気味良かった。
そして俺の一族は官吏を輩出する名家として官界で有名だった。だから上等な事件しか回ってこなかった。だからその頃の俺はこの世界の上っ面しかみておらず、本当の現実というものを見ていなかった。
やがて日本は戦争に突入した。徴兵については当初あまり心配していなかった。検察官は国家公務員だ。兵役延期の制度があったからだ。下級官吏の中では兵役に取られるものが次々とでたが、志願ならともかく、検察官の中から徴兵されるものはいなかった。
けれども山本元帥が戦死されてアッツ島が玉砕したころより戦況にきな臭さを感じ始め、同盟国であるイタリアが降伏するに至って、大日本帝国全体にどんよりとした空気が垂れ込めるようなるに連れ、俺の仕事は忙しくなった。
この頃の俺の仕事といえば治安維持法違反だ。所謂思想検事というものだ。そして俺に回る仕事はやはり、綺麗な仕事だった。明らかに治安を乱すもの、扇動者、テロリスト、スパイ、売国奴。つまり疑いなく、真に治安を乱すといえる輩だった。俺は単純にこの国を守ろうとし、それを害そうとする者を逮捕し検挙した。
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