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「鏡よ鏡、鏡さん? 世界で一番美しいのはだあれ?」
昔話の冒頭だ。湖や鏡、透明なもの。それに問いかけると、妖精がどんなことも占ってくれるという。
魔道具の中でも、鏡は占術にも使われるために、特に重宝されていたが。
魔法の心得のないものは、鏡に施されていた魔法に飲まれ、洗脳されてしまう。
「そう……あの子なの……許せない」
骨董品として流れてきた鏡を飾った夫人が、その日を境に義娘に対して暴力を振るうようになったという。
元々再婚同士の仲のよかった家族間はあっという間に悪化してしまい、よく夜会で親子仲のよさを見せていたが、今や夫人しか来ないという。
「うちの魔道具が流されちゃった時期から考えても、この鏡が魔道具と考えて間違いないだろうね」
「でも、骨董品の鏡だったらすぐに譲ってくれるんじゃないの?」
「それがねえ……そこにうちの質流れ品だから返してもらえないかと交渉したのだけれど、奥方は本当に鏡に飲まれてしまっていてね。『お前も娘のほうが美しいと言うのか!?』と、言ってもいないことばかりしゃべって、話が通じなかったんだ」
交渉が決裂した場合、盗み出すしかない。
先程まで駄々をこねていたウラリーの表情も引き締まる。
「義理でも仲のよかった親子が、魔道具のせいで無茶苦茶になっちゃうのはよくないものね。それに夜会で見なくなった娘さんが心配だし……わかったわ。私が盗み出すから。それに……騎士団にも連絡しないとね」
魔道具によるトラブルのせいで、誰かが傷つくことはよくある。その場合、騎士団に連絡して保護してもらわないことには、解決の糸口が見つからない。
自分たちが泥棒として逮捕されるかもしれないが、それよりも魔道具の被害者たちをなんとかするほうが優先されていた。
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「怪盗ラ・マジから予告状が届きました! 【今宵はブランシュ邸の鏡をいただきます】と!」
「……騎士団をどれだけ馬鹿にしてくれているんだ、怪盗ラ・マジは」
アルフレッドは頭が痛かった。
目下の悩みは、なかなか会うことのできない婚約者に加え、一向に捕縛することのできない怪盗の存在であった。
まるでこちらの情報が筒抜けのように、警備の網を潜り抜けて、予告状通りに予告の品を盗んでいってしまう。
おまけに予告状が来たから護衛をさせてほしいと、ターゲットにされた家に向かえば、大概は嫌な顔をされる上に、盗まれる先は大概問題を抱えていると来たものだ。
「アル団長、どうします?」
「……行くしかないだろう。どれだけ善行をなしていたとしても、盗難は起こっているんだ。犯罪は犯罪だ」
「アル団長、不機嫌。婚約者にとうとう振られましたか?」
「振られてない! ……多分」
本来、顔がよくて剣の腕も立ち、護衛対象が人間であった場合は必ず任務を達成する人だから、もてないほうがおかしいのだが。
婚約者のために首都に配置を変えて欲しいと懇願した途端に、怪盗に出し抜かれ続けて、いいところなしだった。おまけに婚約者と破局寸前だ。これでもてるほうがおかしい。
しかし任務は任務のため、ブランシュ邸へと向かい、事情を説明するが、そこの夫人は顔をしかめて言う。
「また娘のせいですか?」
「……娘さんは関係ないかと思いますが」
「いいえ。娘が来てからというもの、なにもかもがおかしくなったんです……」
夫人の話が長過ぎて、これでは騎士団の布陣を決める打ち合わせができない。
アルフレッドは延々と話を聞きつつ、ハンドサインで部下たちにそれぞれ配置場所を伝える。
彼らが散らばったのを見ていたら、ガタン。と音がすることに気付いて振り返った。
真っ黒な髪に、エメラルドグリーンの瞳が可愛い女の子が立っていた。しかし着ている服はあまりにも古くて虫食いだらけなのを、継いで誤魔化しているのが痛々しい。
「あの子は?」
「まあ! エメ。いつ外に出ていいと言ったの!? すぐ部屋に戻りなさい!」
「ご、ごめんなさい。おかあさま……」
小さな子が震えて部屋に戻ってしまったのを、アルフレッドは戸惑った顔で夫人を見る。
「あの子が……あの子が」
(やはり……夫人はなにかがおかしい。怪盗ラ・マジはこのことを伝えに?)
豪邸でなにかが起こっても、なかなか騎士団は介入できない。しかしこうやって護衛任務についた場合は話が別だ。
まるで誘導されたように感じるのを歯がゆく思いながら、アルフレッドは目的の鏡を見に行く。
金色の縁にはなにやら不思議な模様が描かれ、鏡面も骨董品とは思えないほどにピカピカ光っている。
騎士を配置し、万が一上から来ることも想定して二階にも騎士を配置した。
これであとは騎士団長が鏡の元にいれば大丈夫だろうと。そう思っていたが。
途端にブワリ……と甘い匂いが広がりはじめた。
「……っ睡眠薬か!?」
ラベンダー、ローズ、マジョラム、カモミール……甘く眠気を誘う匂いで、次から次へと騎士やブランシュ邸の人々が倒れていく中、アルフレッドは思わず短剣を抜いて自身の膝に突き刺した。痛みで、かろうじて眠気に耐える。
「お願い、眠ってちょうだい。騎士様」
そう甲高い声が響いた。
真っ黒なドレスはスカートの丈が短く、顔は仮面に押し込められて見えない。手袋は長く、剥き出しの脚は黒い絹の靴下で包んで、足音もなく忍び込んできていたのだ。
「……怪盗ラ・マジ……!」
「これは安眠薬よ。悪夢を遠ざけるための夢。眠って起きたら元通りだから。ねっ?」
「それでも……!!」
怪盗ラ・マジがどうして物を盗むのと同時に、壊れてしまった人々を正すのかはわからない。だが。
それでも騎士としてアルフレッドは、怪盗ラ・マジのやり口を容認はできなかった。
短剣の柄を向け、殴りかかる。
「誰かを正したいのなら正攻法でやれ! どうして物を盗まないといけないんだ!?」
「……ごめんなさいね、今の時代だと、私たちは理解されないから、盗むことしかできないの」
怪盗ラ・マジは短剣の柄を寸でのところで躱し、アルフレッドの唇をちょん、と人差し指でつっつく。
「優しい騎士様、あの子をお願いね」
そう言って怪盗ラ・マジはアルフレッドの瞼に触れた。
唇に塗られたのは、甘い匂い……安眠薬を塗られてしまったのだ。
「くっそ……」
またも短剣で自身を刺そうとしたが、眠気が限界だった。怪盗ラ・マジに簡単に短剣を落とされる。
「あなたでも駄目よ、あなたを傷つけるのは」
そう言って彼女は鏡に手をかけた。
もう、アルフレッドは起き上がることすらできなかった。
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