ロフトじゃなくても

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 ロフト付きの家に住みたい。  結婚したばかりの頃から妻はそう言っていた。ふたりともお金はまだたくさんないけれど、共働きで頑張っていつかは念願のマイホームを建てようね。そう楽しそうに話す顔が俺は嬉しかった。  妻は俺が独身の頃から乗っているマイカーを気に入っていた。古くてオンボロだが申し訳程度のサンルーフがついている。「これがいつか素敵なマイホームになるから」と無邪気に笑った。  新築の一戸建てを建てた友人たちからは、ロフトも吹き抜けもウッドデッキも、いざ建ててみると案外いらないぜと散々言われた。でもそう言うと妻が悲しい顔をするので、ロフトだけは素敵なのを作ろうと決めていた。  あまりにもこだわるので「どうしてそんなにロフトが好きなのさ」と、ある時俺は聞いたのだった。彼女は「憧れだから」とすぐに答えた。    子供ができたら、あなたとチビちゃんたちと天窓に広がる星空を顔を寄せ合って眺めるのが夢なんだ。そして、流れ星をみんなでじっと待つの。ほら来た、早く3回唱えてってさ。みんなで大笑いするんだよ。そんなに贅沢できなくてもいいから、そうやって笑える幸せな家庭がいい。  一緒に布団に潜りながら、毎晩のように楽しげにそんな会話をしていたのだ。    だが結婚していつまでたっても俺たちは子供に恵まれなかった。少し焦って不妊治療を決心した結果、おそらく自分に原因があると知って身体から力が抜けてしまった。辛抱強く頑張ってみたけれど、俺は精神的に追い込まれてしまったと思う。やがてマイホームの夢を語ることから挫折した。  きっと俺は子供ができないことがつらいんじゃない。子供たちに囲まれた家庭をずっと夢見ていた妻が悲しむのが嫌だった。毎日毎日ずっと考えていた。そして考えることがつらくなった。彼女はいつも笑顔でいてくれた。俺は未熟でそれを自分で許さなかったのだと思う。  ふさぎこんだ俺に、妻は何度も新婚時代によく出掛けた海岸までドライブに連れて行ってほしいと言った。  あの日俺は車をとめて、窓の外に広がる闇のように黒い海原に目をやってつぶやいた。 「もうお互いに、新しい人生を選んでもいいかな」  ぽっとそんな言葉が漏れていた。疲れてしまったのかもしれない。それに長い結婚生活を考えた時に、そうすることがお互いにとって一番幸せなのだと俺はずっと思い詰めていた。妻は毎日俺のそばにいてくれたけどもう限界だと思った。ロフトも吹き抜けもウッドデッキも、何もかもいらないと思った。  長い沈黙の後で、そっか、もう違う人生を選ぼうか、と隣で彼女はそう言ってリクライニングを倒した。  そして右手で「ほら」と天井を指さす。俺は黙ってシートを倒した。その俺の顔に彼女は頬を寄せてきた。  サンルーフに星空が見える。小さい窓だから、顔を寄せ合って眺めた。  ロフト付きの家じゃなくてもさ。ここが幸せ。 「今はこうしてふたりだけで星を見る。そういう人生を選ばない?」  頬を伝ったのは俺ではなく、彼女の涙だった。その涙を俺はずっと長い間気づけなかったのだと思う。  ごめんな、と言って俺は妻の肩を抱いた。  泣きながら、隣で妻が子供みたいに「あ、流れ星がいっぱい」と言う。 「バカだな、流れ星なんて――。あ、俺も見えたわ」 「願い事は?」  俺は嬉しくて泣き笑いした。 「何もいらないよ」 (了)
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