来訪者(6)

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来訪者(6)

 俺は袋小路に横たわるケルベロスの姿を吟味(ぎんみ)した。  本物の魔物であることはすぐに分かったが、まだにわかに信じられない。  特別区があるこのウエストリバーは、王族を守るためにも強固な城壁で守られている。魔物が入り込む隙はない。  少し歩くと頭だけが宙を浮いて、体がついてこない心地だった。  ――さすがに疲れたし、まじで死ぬかと思った……。手当も含めて残業代をたんまりもらうか。  惨烈(さんれつ)な光景を見ていると、戦闘を思い返し、後から鳥肌が立つ。  いますぐギルドに報告しなければ。  そう思った瞬間、嫌な気配を感じた。 「ウエストリバーギルドで一番強いというのは、本当のようね」  俺は聞き覚えのある女性の声に視線を向けた。  いつの間にか、行き止まりの高いレンガ壁の上に人影がある。  うっすらと見える足元は、革のブーツを履き、太ももには複数の短剣が充填されたホルスターが見えた。  顔は見えないが、後ろにマントの形が(ひるがえ)ると、暗殺者(アサシン)の服装を装備していることが(うかが)えた。 「ニーサ・セアか?」  その影の気配が一瞬だけ柔らかくなり、微笑んだように思えた。  そして次の瞬間に、強烈な殺気が迫ってきた。 「恨みはないけど、死んでもらうわ」  経験からくる勘よりも先に、本能が戦慄(せんりつ)した。  俺は風の魔法で乱気流を作り、何かしらの飛び道具に備えるため、風のバリアを張り巡らす。ケルベロスの死体と血が、土埃(つちぼこり)と一緒に汚く巻き散る。  女の影は背中から弓を取り出して、一呼吸も()かず矢を(つが)えて放った。  まばたきの一瞬。  そのわずかな時間と光で、矢の軌跡を推測することはできなかった。  風の力で引き裂かれた矢は、不規則な気流に流され分離すると、矢じりだけが俺の左目に突き刺さった。  ニーサの影が、弓を撃った反動で、壁の向こうに後転して消える。  俺はレンガの道に後頭部を打ちつけた。 ***  目を開けると知らない天井があった。  のっぺりとした茶色で、ピントが合わせられず、材質が分からない。 「あ、起きた」エレナの声が聞こえた。  右手をぎゅっと握られ、横から声が聞こえる。 「ハーズさぁん……。よかったぁ、よかったよ……」  ハネンが真っ赤な目でのぞきこんだ。 「ここは?」 「病院ですよ。ハーズさん。酒場の裏通りで倒れていたところを、従業員が見つけたらしいですよ。左目に矢がぶっ刺さってたんで、確実に死んでると思われていたみたいですね」  さっきから視点が合わず、今になって左目が無いことに気付いた。 「ウーラノスの眼……だったか、あれはどうなった」 「ハネンちゃんに見てもらおうとしていますが、まあ……こんな感じなんで、まだなんとも……」 「ハーズさぁん! 全然大丈夫じゃない! 嘘ばっかり……うぅっ……」ハネンは充血して、さらに赤くなった瞳を(うる)ませている。 「悪かったな。俺も久々に負ける気持ちを味わったよ。しかし……」と俺は思い返して、ハッとした。「ニーサ・セアにやられたんだ! ニーサが街道に現れたモンスターと関係があるのは間違いない」 「へ? あの宵闇(よいやみ)通りの、できる女が?」 「エレナ、すぐにそのことを保安局に報告してくれ。それと、ハネン、君の力が必要だ、壊れたウーラノスの眼を直せないか、見てくれないか?」 「うぐっ……、分かりました……。私が必要なんですよね?」  俺は上体を起こして、ハネンの両肩を握った。 「頼む」 「分かりました」ハネンはいつもの清々(すがすが)しい表情を取り戻しつつあった。  しかし、俺の両手は震え始めて、気づかれないように毛布の中に入れる。  ――ニーサ・セアとはもう二度と戦いたくない。……というか、ぜっったいにムリ! 勝てない自信がある!  たった一撃でやられてしまった。あざやかな手口だった。  思い返しただけで身震いして、早く義眼を修繕(しゅうぜん)してくれと、ハネンに向かって心の中で叫んだ。 ***  あれから数日経ったが、ニーサの行方はつかめなかった。  これ以上捜査を進めても進展しないと判断されて、ニーサの捜索は打ち切りになる。  その事件以上に、ウエストリバーは厄介な問題を抱えた。  街にモンスターが現れ始めたのだった。
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