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落日の街(4)
俺はエレナの借家を再び訪ねた。
エレナは白のブラウスと黒のロングスカートに着替えていた。
昼間とは別人のよそ行きの姿になって、清潔感のある冴え冴えとした立ち姿は、いかにも仕事ができる女性に見えた。
とてもさっきまで、裸同然で部屋を往来していた女性とは思えない。
――自由でいられるのも、あと二日。
時間が惜しかったので、玄関口でエレナに調査の経過を聞いた。
しかし、エレナは目を四角にして睨んでいる。何かしらの決意じみたものを感じて、嫌な予感がした。
「ハーズさん。情報はある程度集まりましたよ。宮仕えの知り合いから聞いたので、確実な情報だと思います」
「それで?」
「ひとつ約束をしてください。今日はここで夕食をとって、調査の続きは明日からにしてください」
「それはできないな。あと二日すると、俺はギルドに戻らないといけない」
「……街にモンスターが出没し始めてから、働きづめですよ。肉体的にも精神的にも限界にきていると思います」
口を横一直線に結んで、エレナはじっと強い眼差しを向ける。
ハネンが部屋から飛び出てくると、俺の腰に抱き着いた。コート越しに温もりが伝わってくる。
「ハーズさぁん……。無茶をしないでください……お願いしまぁす……」
ドア越しに聞き耳を立てていたのだろう、ハネンは俺の汚いコートに顔を埋めた。
魔物退治と地下水路の探索で、俺のコートは煤まみれの泥まみれになっていた。
「分かった。降参だ。今日はもう休むよ」
家に上がり、俺はエレナとハネンが作った料理を食べて、休むことにした。
何度かエレナに情報の開示を求めたが、渡すと逃げられると踏んで、明日の朝まで教えてくれなかった。
観念してからは、いっそのこと体力を回復させることに努めた。
風呂に入り、リビングの簡易ベッドに横になると、体中の関節がギシギシと鳴った。バラバラだった体の筋肉や内臓が、あるべき場所に戻って、ハーズ・ボトリックの体を修復しているようだった。
久しぶりに一晩中寝ることができて、生き返った。
***
俺は朝食を片づけると、リビングで手を鳴らす。
「それで、話してもらおうか」
エレナは飲んでいた紅茶のカップをテーブルのソーサーに置く。ハネンは高さの合わないテーブルにしがみつくように、顔だけ出していた。
「……言いにくいけど、マイロンが死んだのは事実よ。王宮の北東にある温室の前で倒れているのを、召使いが見つけたらしいの。喉に鋭利な刃物で傷つけられた跡があって、それが致命傷で亡くなったそうよ」
エレナは平然として事実を語った。
私情を挟まず、俺の保安官としての勘が何かを閃くよう配慮していた。
「そのすぐに守備隊が周辺を捜索して、王宮の地下で魔物、ケルベロスを発見して駆除。爪は人間の血が付着していたそうよ。ケルベロスは地下に巣をつくっていて、少しずつ縄張りを広げていたみたいね」
情報はこれで全部と、エレナは両手を広げて肩をすくめた。
――マイロンの死……。
やはりそうか、と思ってしまう。
タノスがこれを語った時、嘘をついている目ではないと保安官としての経験で分かっていた。
タノスの悲哀の表情が思い起こされた。
マイロンとの婚約を解消していなければ、マイロンは今も生きていたに違いない。
どうしようもない後悔の念を、俺は頭を振って、思考から追い出した。
「よく分からんのは、そんな重大な事件が起きて、よく王族は衛兵を街に分散させたな。彼らならむしろ逆に、王宮に集中させそうなものだが?」
「それは、タノスが王族を説得したらしいわ。いまは民を守るべき、って、なかなかの政治家ね。まぁ、王宮内はしらみつぶしに探索が終わっているから、王族が過剰に反応しているだけなんだけど」
「タノスは王国衛兵隊長だろ? 王族を黙らせるほどの力はないだろう?」
「タノスはマイロンと結婚したとことで、今や王族の地位と王国衛兵隊長の実権を握っているの。……直系の王族を除けば、一番の権力者かもしれないわね」
俺はエレナの情報収集能力に脱帽して、大きく頷いた。
「街の魔物は地下水路から現れたと、俺は予想している。王宮は硬い地盤の上に建造されているから、王宮内部から魔物が出入りしている可能性は、ほぼないと考える。それに、王宮内を捜査するために忍び込むには、あまりに時間が足りない。と、考えると、王宮の内部ではなく外を調べたほうがいい」
「ちょっと待って、魔物が地下水路から現れても、街中に頒布するかしら?」
エレナに鋭い指摘をされ、俺は唸った。
「それは俺もよくわからんが、水路付近に魔物の痕跡が多くあることから、何かしらの方法で魔物を操ったとしか、説明ができない」
「……『操る』ですか。まるで『ウーラノスの脳幹』みたいですね」
ハネンが口だけ動かして呟く。
俺とエレナは同時にハネンを見やった。
「「ウーラノスの脳幹?」」
俺とエレナの険しい顔に見下ろされて、ハネンは体をびくっと震わせた。
「ええ……魔物を思うままに操ることができる、古のマジックアイテムですよ」
俺はエレナと顔を見合わせた。『ウーラノスの脳幹』を持った首謀者がいるに違いない。おそらくエレナも、そう思っただろう。
ポールハンガーからコートを取り上げて玄関に向かう。
すると、あとからハネンが走ってきた。
「これを着てください。ハーズさんのために買って来たんです」
キャラメル色の厚手のコートを胸に抱えて、俺に手渡す。着てみると、ちょうどの大きさだった。
「助かる」
「……ハーズさん、明日まで待ちます。もし、帰ってこなかったら捜しにいきます」
ハネンの指には、一回り大きい『二又のヒドラ』がはめてあった。
「大丈夫だ、心配するな」
俺はいつものようにそう言って、特別区に向かった。
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