21人が本棚に入れています
本棚に追加
*
あの子、人のものは何でも盗ってしまうらしいよ。
刈ったばかりの芝生を横切ってゆく詩乃は、噂で聞いていたより小さく、思っていたより可愛かった。ショートボブにショートパンツ、少し大きいトップスは体の線を拾っていないのに、肩幅がなく華奢なイメージを抱かせた。利発そうな意志のある瞳も意外だった。
もっと、意地悪そうな外見を予想していたけれど。
「え、あの子が?」
翔也は、分かってねぇなぁ、と呆れたように首を振った。大学に入ってから知り合った彼は僕にいろいろなこと教えてくれる。
「俺は性悪なねーちゃん居るからよく分かるけどさ、女はほんっとに見かけじゃねぇから。黒髪で、ワンピースばっかり着てる清楚な子でも、やってることはやってる。なんなら、普通そうな子ほど、けっこうヤバいから。浪ってぼんやりしてるから、女に騙されないか心配」
「ぼんやりは余計かな。それに騙すのに女も男もないんじゃないの」
そう言って、そのままベンチにひとりで腰掛けた詩乃を眺めていた。
すると、彼女に、つかつかと女が近づく。そして、アンタ人の彼氏盗ったでしょ、という物騒なセリフが飛んだ。某私立大学教授の娘で、入学時も話題に上がっていた女。こちらもまた有名人だ。兄は大学時代にアプリを発明して企業、母は名医でテレビで特集が組まれている。弟も居て、テニスの全国大会で優勝している、と。家族揃って豪華なひと達だ、と噂が巡り、大学内で一躍、ときのひと、となっていた。
「うっわ、修羅場?」
面白おかしく言ったのは翔也だけだったが、周りは好奇の目で彼女たちのやりとりを見ていた。地方とは言え、わりと名の知れた国立大学であったため、SNSでの情報で教諭はもちろんのこと、生徒の情報も共有されていた。
「ふたりのこと、もう誰かが呟いてんだけど」
リアルタイムで起こっていることをわざわざ文字に変換しなくてもいいのに、と思うが、特に何も言わず、帽子を深く被って、彼女たちのやりとりに目を向けた。
「盗ってないです」
「嘘。先にアンタが声かけたって、彼氏は言ってたけど?」
「覚えてません」
「そんなことが通じると思ってるの?」
「でも、穴吹先輩は好きって言ってくれました。本命は私です」
「ふざけないでっ!」
その声と詩乃を殴った鞄の音は、ほぼ同時だった。
尻餅をつくような形で詩乃は座り込み、ぐすぐすと鼻をすすり始めた。
「女、こえー。力技じゃん」
翔也が呟いたのはスマホの中か現実か怪しかったけれど、間に入ったのはやたら背が高くて、寝ぐせのようなパーマをした男だった。
「藍、暴力はやめよう」
藍は、もう一度鞄を男に振り上げたが、そのまま静止し、降ろされることはなかった。
そのかわり、
「人の彼氏に手を出したら、おんなじ事、されるんだからね」
と、声を荒げ、泣き崩れた。
詩乃が何か言うかとギャラリーは期待した。
「……好きになってごめんなさい」
三文小説の顛末か、と萎えたが、翔也は、謝るなんて素直じゃねぇ? とスマホを持っていた手を下げた。何が心に引っかかるかは分からない。
「騙されないか心配」
「あ? 何か言ったか?」
「いーや、なんも」
最初のコメントを投稿しよう!