10.何かが変わりそうな予感がする三日目

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 帰宅したエリックと顔を合わせることはしないで、早めの夕飯を部屋でとり入浴を済ませて寝間着に着替えたアデラインは、机に向かって今日の出来事を日記帳に書いていた。  もちろん、この屋敷の者に見られても大丈夫なように書いているのは、この世界の文字ではなく“私”の記憶にある文字。  持っていたペンをペン立てに戻し、日記帳を閉じたタイミングでラザリーがアデラインの側に歩み寄った。 「この後、マスターがいらっしゃいます」 「えっ」  ガタンッ  油断しきっていた時に言われ、驚いたアデラインは椅子から立ち上がりかける。 「そうだったわ……」  昨夜、ラザリーからクラウスが来ることを伝えられていた。  実技演習のことで頭がいっぱいになっていて、すっかり忘れていた。  思わず両手で両肩を抱く。 「お疲れでしたら、マスターにお断りの連絡を入れましょうか?」  動揺しているアデラインを疲れていると勘違いしたラザリーは、エプロンのポケットから通信用魔道具を取り出す。 「いいえっ! 大丈夫だから、マスターさんが来られたらお通ししてね」  魔道具を起動させようとしていたラザリーは小さく首を傾げ、「かしこまりました」と頭を下げた。  寝間着の上からショールを羽織ったアデラインは、何度もドレッサーの鏡で自分の姿を確認する。  髪だけは整えたとはいえ寝間着姿では不安になってしまう。 (どうしようどうしよう……一昨日クラウスさんの前で泣いたせいか、会うのが緊張する。ラザリーはそのままで大丈夫って言っていたけれど、寝間着のままでいいのかしら)  若い女性の部屋を夜に訪ねて来るのもどうかと思うが、一昨日は帰り血塗れで窓からやって来た闇ギルドマスターに常識を説いても通じはしない。  泣き顔を見られた恥かしさもあり、やっぱり着替えた方がいいかとラザリーに声をかけようと、アデラインは顔を上げた。  アデラインが声をかけるよりも早く、音も無くラザリーは扉の近くへ移動する。 「お嬢様、マスターがいらっしゃいました」 「わ、分かったわ」  ショールの前を両手で掻き合わせて、立ち上がったアデラインは深呼吸をしてから扉へ近付いた。  ドアノブを握ったラザリーが扉を開き、訪問者に向かって頭を下げる。  ガチャリ……  扉の向こうに立っていたのは血塗れの黒装束でも血塗れの剣も手にしてなく、濃紺色のジャケットを羽織りきっちりと前髪を後ろに撫でつけ不穏な雰囲気を消したクラウスは、闇ギルドマスターではなく高位貴族の貴公子。  一瞬だけ、アデラインは完璧な貴公子の姿をしたクラウスに見惚れてしまった。 (綺麗……あっ)  気配を消してラザリーが室外へ出て行くのが視界の隅に見えて、アデラインは我に返った。 「こ、こんばんわ。今日は窓からではないのですね」  手を動かして室内へ入るようクラウスを促しつつ、廊下へ出たラザリーに視線で残るように訴えるも彼女は扉を閉めてしまった。 「事前連絡をしてあるからな。この屋敷の使用人は躾が終わっているだろう? 夜間だろうが堂々と入れる」  悪役らしくクラウスは口角を上げてニヤリと笑う。 (躾……ラザリーの精神干渉のこと? ゲーム終盤、ディオンが率いる闇ギルドメンバーが王宮内を闊歩していたのは、精神干渉によるものだったのね)  屋敷の使用人、王宮の使用人達を従わせていたとしても驚かない。  世界を股にかける闇ギルド、金狼は規格外の実力の持ち主達が所属していることは理解していた。 「素行調査の結果だ」  右手で小さな魔法陣を出現させたクラウスの手のひらに紙の束が出現する。 「王太子殿下達の? ありがとうございます」  書類を受け取ったアデラインは、さっそく書かれている内容に目を通す。 「へぇー、わたくしからの嫌がらせを受けているという相談をした相手にお礼として高価な贈り物をして、若者に人気のカフェを借り切ってティーパーティー? 殿下が出資して、リナさんの味方をするよう女子生徒を買収している、ということですか。休日は観劇、お忍びデート……これは、わたくしが王太子妃教育を受けていた日だわ。空き教室や図書館での逢瀬を重ねていたとは、凄いわね」  遊び惚けているとは何事かと呆れつつ、ゲームイベントを思い出してアデラインは苦笑いした。
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