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「公女の護衛がディオンの役目だからな。アイツの行動が王太子とあの女の牽制になったならいい」
「女?」
「いや、公女には関係ないことだった」
これ以上は言う気はないとばかりに、クラウスは口元を右手で覆った。
「ではクラウスさん、一つお願いがあります。わたくしのことは公女ではなく、名前で呼んでいただけますか?」
「名前で、だと?」
口元から右手を外し、クラウスは僅かに目を開く。
「ええ。わたくしだけクラウスさんのことをお名前で呼んでいるのは、少し気になります。公女ではなくアデラインと呼んでください」
以前のアデラインは違うかもしれないが、今のアデラインは公女と呼ばれることに違和感があった。
「駄目ですか?」
「いや、そうではない」
名前で呼んでほしいという“お願い”は想定外だったのか、余裕のある表情を崩さない印象のあるクラウスが困惑しているのが伝わり、アデラインは不思議な気分になった。
(冷酷非情のラスボスというイメージが凝り固まっていたから、困り顔をされると彼もちゃんとした感情のある人なんだって分かる。これなら、怖くないかも)
契約を結んでいてもなおアデラインの心に残っていた警戒心が解けていくのを感じた。
たっぷり数十秒、黙っていたクラウスはアデラインと目が合うと、目蓋を閉じて息を吐く。
「分かった。これからは名前で呼ぼう」
「ありがとうございます」
名前を呼んでもらえたことが嬉しくて、体を揺らしたアデラインの肩からショールがずり落ちる。
肩にかけ直そうとした手にクラウスの手が触れ、驚いたアデラインは顔を上げた。
ずれ落ちたショールをかけ直しても、クラウスの手はアデラインの肩に触れたまま動かない。
「クラウスさん?」
見上げたクラウスの顔の近さと、深紅の瞳が逆光のせいか赤紫色に見えた気がして、アデラインは息を飲んだ。
「……アデライン、ラザリーから疲れていると聞いた。今夜は早く休め」
「はい」
思いの外優しい声で言われ、戸惑いつつもアデラインは素直に頷く。
肩に触れていたクラウスの手が上へと移動していき、そっと頭に触れた。
「では、またな」
頭を撫でたクラウスの手はそのまま下へ滑り落ちていき、アデラインの頬を一撫でして離れて行く。
口を開けて固まるアデラインの口からは空気以外は出て来てくれず、部屋から出て行くクラウスの背中を見送るしか出来なかった。
「お嬢様、どうされましたか?」
部屋から出て行ったクラウスと入れ違いに、部屋へ入って来たラザリーに声をかけられ、ようやく我に返ったアデラインの顔に熱が集中していく。
(危険人物だと分かっていても、クラウスさんの顔と声が良すぎるのよー! 頭と頬を撫でて「またな」って、反則だわー!)
絶叫したくても側にラザリーが居るため出来ず、顔を赤く染めたアデラインは頭を抱えて身悶えた。
疲れているはずなのに、ベッドへ倒れ込み頭まで掛布をかけて寝ようとしても、心臓の高鳴りはなかなか落ち着いてはくれず……深夜の時間になるまでアデラインは寝付けなかった。
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