11.周囲と自分の変化に気付いた四日目

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 タンッ!  両手で籐製バスケットバッグの持ち手を持ったラザリーは、廊下の曲がり角から小走りで飛び出していきた男子生徒と当たる寸前、軽い動きで横に飛び退いて衝突を免れた。 「大丈夫か?」 「大丈夫です。私の前方不注意でした」  衝突を回避したラザリーの動きに全く気付いていない男子生徒は、メイド用のエプロンを着けた彼女を一瞥して怪訝そうに眉を寄せた。  顔を動かした際、銀縁眼鏡にかかった前髪を指で除ける。 「どうしてメイドが校舎内にいるんだ? 名札も付けていないことから、貴女は入校申請をしていないな。学則で、事務所で校舎内へ入る申請した者以外は、放課後まで立ち入っていけないことになっている」 「お嬢様の忘れ物を届けに来ました」  背の高い男子生徒に見下ろされても、ラザリーは表情を変えずに淡々と答える。 「忘れ物は事務所で渡せば済むだろう。悪いが風紀委員長として見逃せない。貴女の使えている生徒のクラスと名前を教えてもらおう」  周囲の気配を探り、ラザリーは一瞬だけ口角を上げた。 「二年生のアデライン・ベルサリオ様でございます。今すぐに必要な物ですから、申請をしないで来てしまいました。申し訳ございません」  男子生徒の眉間に皺が寄り、彼は眼鏡のフレームを押し上げる。 「アデライン嬢のメイド……? では、なおさら行かせられない。アデライン嬢は、学園の規律を乱すことばかりしているからな」  溜息を吐いた男子生徒は、ブレザーのポケットから手帳を取り出しラザリーの方を向いて、大きく目を開いた。 「やはり、貴方はお嬢様に害ある方のようですね。糸に気が付いていないようですから、見逃してあげようと思ったのですが……邪魔をするのでしたら排除します」  瞬間移動したのかと思うほど、瞬く間に距離を縮めたラザリーに驚き、男子生徒は後退る。 「は? 何を言っている。問題を起こそうとするなら、警備員を呼んでアデライン嬢にも罰則を与えて貰うぞ」  男子生徒はラザリーから視線を離さず壁に手を伸ばす。指先が目指す先にあるのは、緊急時通報用の釦だった。 「ふふっ、怖がることはありません」 「何を、うっ!?」  フッと笑ったラザリーは素早く腕を動かし、男子生徒が通報釦を押すよりも早く彼の顎を掴んだ。 「ぐっ、ぅう!?」  強い力で掴まれて呻く男子生徒の顔を引き寄せ、噛み付くようにラザリーは唇に口付けた。 「ふぅ、んっ」  口付けられた勢いで、体を仰け反らせ壁に背中を打ち付けた男子生徒は、大きく目を見開いた。  背中を打ち付けた痛みで開いた唇の隙間から、ラザリーの舌が彼の口腔内へ入り込む。 「あぁ」  口腔内を撫でる舌先の感触によって、男子生徒の顔は驚愕の表情から頬を赤く染めた、恍惚としたものへと変わっていった。  男子生徒の全身から力が抜けていき、ラザリーは掴んでいた顎から手を放す。 「……はぁ」  離れていく唇から伸びた唾液の糸が切れて、互いの唇の端に垂れ落ちた。 「学園での魔法は禁止されているため貴方の体内へ口移しで魔力を吹き込み、魔力回路を少々弄らせていただきました」  淡々と言うラザリーは唇を手の甲で拭う。 「ご安心を、魔力回路の回復には時間がかかります。この国の宰相御子息である貴方をどうにかしてしまったら、色々と面倒ですものね。ブライアン・ベイロン様」  脱力した両足が体重を支えきれず、崩れ落ちるように男子生徒こと、ブライアンは床に座り込んだ。 「ついでに糸を切っておきました。魔力回路が乱れているうちは、糸は絡み付けないでしょう。今後、どうされるかは貴方自身の意思で考えて決めてください」  肩を震わせたブライアンは口元を手で覆い、真っ赤に染まった顔を上げた。 「貴女は、なん、なんてことを……口の中に舌を入れるなんて」  動揺で上擦った声になったブライアンは、ずれ落ちた眼鏡を直すこともせず潤んだ瞳でラザリーを見上げた。 「あら、もしかして初めてでしたか? ふふっ、それは失礼しました」  下唇を舐めるラザリーの赤い舌先を凝視するブライアンは、何も言えず全身を真っ赤に染める。  呆然自失状態のブライアンを見下ろして、ラザリーは愉しそうに目を細めた。  ***  混雑する食堂へ着くと、気配を薄くしたラザリーは生徒達の間をすり抜けて、アデラインのいるテーブルに近付いた。 「お嬢様」 「はいっ?」  突然かけられた声に驚き、振り向いたアデラインは目を丸くする。 「ラザリー? どうしてここに?」 「デザートをお渡しするのを忘れてしまいました」  持っていたバスケットバッグをテーブルに置き、ラザリーは留め具を外して開口部を開く。 「おー! 美味そうっ」  ラズベリーパイを見て声を上げたディオンをラザリーは睨む。 「貴方のために持ってきたのではありません。お嬢様と御友人方で食べてください」 「ラザリー、ありがとう。皆さんで食べるわね」 「はい」  冷たい表情をやわらかなものへと一変させ、ラザリーは嬉しそうに微笑んだ。 「アデラインの前だと別人だな」  ギルドに居る時とアデラインの前ではラザリーの顔が違いすぎて、彼女の本性を知るディオンは寒気を感じて身震いした。
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