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女の子は、誰でも一度は、王子様に憧れる。そう思っていたけれど、僕ん家のお隣に住む幼馴染の女の子、梨花ちゃん、通称リッちゃんは違った。
「私、大人になったらルパンみたいな人と結婚する!」
そう、彼女の理想の男性は、誰もがよく知るテレビで大人気の大泥棒、ルパン三世なのだ。
幼稚園の時に、たまたま一緒に見た古いアニメ。赤いジャケットをひらめかせながら右へ左へと車を暴走させ、細い糸だけで建物を飛び回り、颯爽とお宝を盗んでいくその姿を見たあの日から、リッちゃんは彼に夢中になってしまった。口をあんぐりと開けながら、ウットリと目を輝かせた彼女の横顔を、今でも鮮明に覚えている。
家にランドセルを置いて、すぐにリッちゃん家に行ったのに、彼女はリビングのテレビで既に録画を見始めていた。
「リッちゃん、ちゃんと手洗ったの?」
「洗ったよ〜。とっつぁんまでそんなママみたいなこと言わないでよ」
「だってあまりにも早いから。っていうか、とっつぁんって呼ぶの、そろそろやめない?」
リッちゃんは、最近僕のこと、『とっつぁん』って呼ぶ。前までは、本名の俊雄から『としちゃん』って呼んでたのに。
「なんで?いいじゃん、とっつぁんは真面目だし、ルパンでいったら銭形タイプだと思うの」
「でも、僕メガネだし運動ダメだし。全然似てないけど」
「それでもいーの。私のことは不二子って呼んで」
「ヤダよ。一文字も合ってないし。それより、リッちゃん、早く宿題終わらせちゃおう」
「うん。この話見終わってからね」
そう言って、再び画面にのめり込む。チラリと覗き込むと、ちょうどお宝を盗んだ彼が、トレンチコートとハットがトレードマークの警部と鬼ごっこを始めたところだった。なんとなく、心の中で警部の方を応援してしまう。頑張れ。頑張れ、本家とっつぁん。
「ねぇ、リッちゃん」
「なにー?」
「ルパンのどこが好きなの?」
「大泥棒なところ!あとは、そうだな。細身で猿顔のところも好きだし、赤のジャケットが似合うところも!」
「つまり全部ってことだね。……あ、リッちゃん、僕、今日プリン持ってきたよ」
両手に持った二つのカップを、じゃーんと前に突き出す。
「宿題終わったら食べられるから、テレビは、ちゃんとその一話で終わりにしてね」
プリンやったー!という歓喜の声を背に、キッチンへと向かった。
「おばさん、お邪魔します」
「としちゃん、いらっしゃい。いつもありがとうね、あの子の宿題、付き合ってもらって」
お鍋をグルグルとかき混ぜながら、おばさんが申し訳なさそうに笑う。
「全然大丈夫。二人でやった方が早いし。プリン持ってきたんだけど、冷蔵庫開けてもいいですか?」
「あら、オヤツならあるのに」
「僕が食べたかったから」
「そう。ありがとうね。うん、冷蔵庫入れておいて」
少し背伸びをして、マーガリンと味噌の間にプリンのカップを置いた後、片手でゆっくりと扉を閉めた。
リッちゃんの部屋に行くと、彼女はのんびりとベッドに寝そべって漫画を読んでいた。もちろん表紙には先ほどの大泥棒がバッチリポーズを決めている。
僕はいつものように、ローテーブルの前に正座をして、宿題の準備を始めた。
「今日は紙粘土使うんだよね?」
リッちゃんが勢いよく起き上がり、僕の向かいに座った。その様子に驚きながら、後ろ手に見つめる。
「リッちゃん、珍しくやる気だね」
「だって私、図工好きだから」
「一応算数の宿題だけどね。今日はコレを紙粘土で作るんだよ。円錐」
右手で教科書のイラストを指差す。そこには工事現場に置かれた三角コーンや、アイスクリーム、サンタの帽子が描かれていた。リッちゃんは「ああ、エンスイね」と、本当にわかっているのか怪しい発音をしながら、粘土の袋をバリッと勢いよく開けた。
「とっつぁんは何作るの?」
「僕はクリスマスツリーにするよ。リッちゃんは?」
「うーん、私は形作ってから考える」
なるほど。直感型のリッちゃんっぽいな。僕と違って、なんでも思うがままに行動できるんだ。僕はなんでも計画的にやらないと不安になるタイプだから、彼女の思い切りの良さが少し羨ましい。粘土を左手で薄く伸ばしながら、勢いよくグニグニと粘土を握りつぶすリッちゃんを尊敬の眼差しで見つめる。
「とっつぁん、なんでそんなペラペラにするの?」
「円錐は展開すると、丸と扇型からできているんだ。だからこれを最後にクルッとすれば、ここが頂点になって……」
「なるほどなるほど〜」
「全然聞いてないね、リッちゃん」
「ごめん。でも、知ってるでしょ?算数は苦手なんだもん。それに、中学受験組のとっつぁんの言うことは難解だよ」
そう言いいながら、後ろにドサっと倒れて横になった。リッちゃんの粘土板の上には、少し右に傾いた円錐様の固まりがドンと乗っている。僕も急いで円錐を組み立てていると、リッちゃんがぼんやりと続けた。
「でもそれはさ、としちゃんがコツコツ勉強を頑張ってきたからだよね。としちゃんのそういうキチンとしてるところ、ソンケーしてるんだ私は」
そんなこと言いながら、突然ガバッと起き上がるから、びっくりして思わず完成間近の円錐をギュッと握った。そのままジーッと彼女の猫のような大きな瞳に見つめられ、まるで手錠をかけられた犯人みたいに動けなくなる。さらに彼女の両手がゆっくりとこちらに伸びてきて、ドバッと冷や汗が出てきた。
「リ、リッちゃ……」
「メガネ!ずれてるよ!」
僕の傾いていたらしいメガネをグイッと直した後、リッちゃんはヒヒっと笑った。「とっつぁ〜ん、しっかりしてくれよ〜」なんて、声を揺らしながら大好きな彼の真似をする。
ルパンに恋してるなら、リッちゃんは峰不二子に寄せなければならないのでは?と、いつも思ってるけど、言えずにいた。だって、僕の助言のせいで、リッちゃんが妙にセクシーな小学生になっちゃったら大変だ。
なんとなく居心地の悪い気持ちになって、もう一度メガネをかけ直した後、自分のモノマネに爆笑しているリッちゃんに問いかけた。
「ねぇリッちゃん、そろそろオヤツにしない?」
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