停戦協定

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 この戦争は約千年ほど前に西欧諸国と北米など民主国家による集団防衛機構、北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization)を母体とした、現在では『総合安全保障条約連合(Comprehensive Security Treaty Union)』と呼ばれる勢力と、これに対抗すべく、主に東欧やアジア地域の共産主義国家によって設立された『民主協同条約連盟(Democratic Cooperation Treaty Federation)』と呼ばれる勢力の間で行われていた。  国際連合はその体裁はかろうじて維持されてはいたが、安全保障理事国が双方の勢力に分かれて戦争を行っている構図では、戦争の停止はおろか、平和維持活動もままならず、わずかな人道支援のみに留まり、その機能を果たせずにいた。  当初は無人機同士の戦闘で、領土境界線上での小競り合いに過ぎず、戦域や領土が大きく変わることはなかった。  日本は北大西洋条約機構のパートナーシップ国だったこともあり、その体制再編にあたって総安保連合への加盟を果たしていた。  しかし他国への侵略行為や外患行為は憲法によって禁じられたままであり、戦争勃発当初は総安保連合国への部分的な兵器や物質の供与に留まっていた。  無人機に代わって兵士が作戦動員され始め、戦火が世界中へ拡大して行ったころ、民協連盟の加盟国が尖閣諸島を越え、台湾と日本への侵攻を開始した。専守防衛の名目で陸自、海自、空自が応戦したことから、日本も総安保連合加盟国として戦争の当事国となった。  侵攻当初は自衛隊だけでなく、日本に駐留していた総安保連合国の軍隊や、連合各国からの支援や軍隊の派遣もあって本土防衛を維持できていた。だが、世界全体が戦火に飲まれ、戦域が拡大して行くに従い、支援や派兵の数は減り始め、練度の高い自衛官が次々と殉職し、徐々に自国の防衛能力に綻びが生じて行った。  電撃的な急襲によって沖縄と九州地方が民協軍に押さえられたのち、日本海を越え北陸地方にも侵攻の手が伸びた。首都東京へ迫る勢いで進軍を試みる民協軍を押し戻し、関東以北はなんとか防衛ラインを形成していた。  しかし、関東圏、及び首都防衛の要衝であった横田基地と立川基地への民協空挺部隊による強襲は、関東地方へ民協の進軍を許してしまう結果となった。無論、敵領土のど真ん中を占領したところで戦線を維持できる訳はなく、総安保連合も民協連盟も同意の上で、これを仕切り直すための停戦協定でもあった。北陸地方は補給路の断絶によって民協軍の占領から取り返すことはできたものの未だ復興には至らず、手つかずのままだった。西日本のほとんどは民協軍の占領下に置かれ、日本の領土は侵攻前の三分の二までに減少していた。  レーダーやセンサ類の精度向上や対電子戦能力の向上、ミサイル防衛システムの機能向上、これに加えてレールガンの実用化は、巡航ミサイル、長距離ミサイルによる攻撃や戦闘機、爆撃機による空爆を阻み、航空戦力による制圧が困難となった。これは陸上戦力への転換と極大化の大きな要因となった。また、航空機は装甲車両と比べて生産、維持、燃料、パイロットの育成などにかかるコストが高い。そのため現在では早期哨戒、偵察、地上部隊の輸送や洋上戦闘に用いられるのみとなっていた。  大陸間弾道弾も、軍事衛星や宇宙ステーションに搭載された長射程レールガンによって打ち上げ中に破壊されるか、仮に大気圏へ再突入し、飛来する多弾頭でさえも地上から着弾前に破壊可能となったため、軍事的な威圧力を失い、戦争は陸上戦力による局地戦が主体となっている。  嶋田も三鷹も、今回の立川・横田基地への強襲には不可解な点が多いと感じていた。恐らく上層部もそう考えているに違いない。なぜなら日本の領海を越え、領空内へ侵入しようとする輸送機の類であればすぐさま探知可能で、地上部隊が展開される前に撃墜できたはずだったからだ。
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