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1.現代芸術家アノン
「俺の新作を盗むことは不可能でしょう。例え『怪盗ファントム』であっても」
若者は不敵な笑みを浮かべた。灰色がかった短髪と瞳という特異な見た目は人目を惹く。年齢は20歳手前とまだ若い。
強気な発言に集まっていた記者たちが騒めいた。皆ハンチングを被り、アンティークカメラを手にしている。
カメラの撮影音とフラッシュの後、1人の記者が声を上げる。
「それはどういうことでしょうか?天才芸術家のアノンさん!」
アノンは涼しげな目元で記者を一瞥する。
注目を浴び始めたのはつい最近。たった数ヶ月で芸術家という確たる地位を築きあげた。アノンの生み出した絵画は高値で取引される。今回の新作お披露目会も多くの人に注目されていた。
「勝手に質問しないでくれるか?物事には順序というものがある」
「はあ……すみません」
芸術家らしい、気難しさに質問した記者は項垂れた。
「理由については答えられない。それよりファントムとかいう時代遅れな怪盗について何か情報は掴んでいるのか?」
「怪盗ファントム。高価な芸術品や宝石の類を奪う盗賊のことです。世界的大不況、各国で戦争が起こる中、颯爽と姿を現しました。どんな貴重な品も鮮やかな手並みで盗み出し、貧しいものに分け与える民衆のヒーロー!」
「……ネット検索して分かることを言われてもな。まさかシルクハットに正装、モノクルを付けてるとか言わないよな?」
アノンは呆れた表情を浮かべている。
「それが……姿を見た者はいないのです。ある者は老人、ある者は青年、ある者は美女だったと話しています」
「時代を考えてくれ。ファントムが話題になったのは50年以上前だろう?」
最もな指摘に記者は眉を下げた。
「しかし予告状が届いていますし……」
「ああ、しかも紙でな!全く時代遅れだ」
アノンはポケットから折りたたまれた一切れのカードを取り出した。再びシャッター音が激しくなる。
カードにはこう書かれていた。
『3日後の夜、貴方の作品を我が手に ファントム』
古めかしい印刷を施した紙に万年筆のタッチで文字が書かれている。カードの下部は大きく空白が空いていた。
「このカードの画像はもうネット上に広まっているだろう?今更珍しくもなんともない」
アノンが飽き飽きした表情で答える。
「いえいえ!やっぱり本物を目にしたいものですよ」
記者の目が輝くのを見てアノンは大きなため息を吐く。
「全くどいつもこいつも……。俺の作品が盗まれそうだっていうのに」
アノンはぶつぶつと呟いた後、声を張り上げた。
「そもそも俺の新作発表会だったよな?そろそろいいか?」
アノンがスタッフ達に合図を送る。スーツを身に付けた2人の女性が赤い布が掛けられたキャスター付きのテーブルを引いて来た。
記者たちがカメラを構まえ、沈黙が訪れる。
席から立ち上がり、赤い布を掴んだアノンは得意そうに声を張り上げた。
「これが俺の新作……『あの日の肖像』だ」
ばさりと布が引き下ろされる。
記者たちは写真を撮るのも忘れて絵画に見惚れた。
縦73センチ、横53センチのキャンバスに描かれていたのは幼い子を抱いた、婦人だった。温かい色合いで鑑賞者の心を和ませた。素朴な茶色の額縁がよく合う。日常を切り取ったような何気ない場面だが、ずっと見ていたくなるような不思議な感覚になった。
「素晴らしい!」
「なんて素敵な絵なんだ!」
記者たちが再び騒めいた。シャッター音が会場中に鳴り響く。
歓声の中、アノンは笑んだ。騒ぎの後で絵画の説明を付け足す。
「この作品は俺も気に入っていてね。かなりの時間がかかったよ。日常こそ最も尊いもの。母子の何気ない一瞬を捉えることで表現したものだ」
記者たちは説明を聞いて嘆の声を上げる。大きく頷く人もいた。
「3日後にマーブル美術館に出品する予定は変わらないのでしょうか?」
別の記者が最もな問いかけをする。アノンは強気な姿勢を崩すことなく答えた。
「さっき言った通り。俺の作品は盗むことはできない。だからマーブル美術館への展示は予定を変更せずに行う」
「ファントムへの宣戦布告というわけですね!」
「これは面白くなりそうだ!」
記者たちはアノンの言葉を書き留める。
「私共はこれで」
「お呼び頂きありがとうございました」
複数の記者たちが感謝を述べると、姿を消した。ハンチング姿の記者たちが次々と消え失せる。騒がしかった会場が静けさに包まれた。
記者たちは遠隔から映し出された映像だったのだ。
残されたアノンは鼻で笑った。
「何が本物か偽物か判断できない世界。お前には分かるか?ファントム」
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