第一審(1)

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第一審(1)

「被告人は前に出てください。」 相変わらずの沈黙をしばらく挟んだ後に、被告人X(以下、被告人)は証言台(もどき)(以下、証言台)の前へと歩き始める。同時に証言台横の検察官、弁護人は椅子に座り直した。 「今から被告人に対する授業妨害事件について審理します。検察官は起訴状を朗読してください。」 検察官は封筒から起訴状を取り出すと、咳払いを一つした。 〈公訴事実 被告人は常習的に授業中、ボールペンのノックを繰り返している。また、必要以上の離席が見られる。 罪名及び罰条 公務執行妨害罪、刑法第95条第1項 以上について審理願います。〉 「こんなことで裁くのかよ…。」 私は微笑と共に、この沈黙に溶け込むように呟いた。 裁判官はゆっくりと被告人に目をやった。 「被告人はこの法廷で黙秘権を行使することができますし、発言することもできます。ただし、被告人が発言した内容は、それが被告人に有利なことも不利なことも、全て証拠となりますのでご注意ください。今、検察官が朗読した公訴事実について被告人にお尋ねしますが、内容はその通りですか。それとも、どこか異なるところがありますか。」 被告人が長い間を置こうとしているのが分かる。 「他の生徒に迷惑をかけるほど、ノックを繰り返してはいません。また、離席は教師の同意のもとで行ってました。」 口調だけでは疑いようがなかった。裁判官はすかさず続ける。 「弁護人のご意見はいかがですか。」 一瞬だが、被告人と弁護人の目が合った。 「被告人の無罪を主張します。被告人は毎授業の内容をノートにまとめることができています。これは授業に集中できている証拠だと言えるでしょう。」 そう言って、弁護人は被告人のノートを検察官、そして傍観者に見せた。表紙には……………「公民」と書かれている。その達筆な文字は読むのに時間を要した。検察官に続き、傍観者である私の手にそのノートが回ってきた。そっと開いてみる。 驚いた──弁護人の言う通りだった。ここまで細かくまとめられたノートを手に取って見るのは初めてだ。色ペンも使いこなしており、美しさも兼ね備えている。公民の先生は最小限の板書しかしないため、授業内容を全て視覚化するにはかなりの傾聴力を必要とするだろう。聞き上手だと言われる私でさえも、被告人ほどではない。これは決定的証拠だと言えるのではないか。しばらく見入っていたところ、検察官に返却を求められた。 (しまった。隣の子に見せてなかった。) 返した後に横を向くと、もう一人の傍観者は小説を読んでいた。夢中なあまり、私が見ていることに気がついていない。どんな小説を読んでいるかを気にすることもなく、前を向き直した。同時に裁判官は口を動かし始める。私を待っていたかのように。 「被告人は席に戻ってください。それでは検察官、証拠の取調べを請求してください。」 検察官は応える。 「証人として被告人のクラスメイトの尋問を請求します。」 裁判官は証人に一瞥を投げる。 「では、前に出てください。」 先程も耳にしたような台詞。 証言台の前へと向かう証人の足取りはどこか被告人に似ていた。 裁判官は続ける。 「被告人に対する授業妨害事件について、今からあなたに証人としてお尋ねしますので、その前に、嘘を言わないという宣誓をお願いします。」 証人は裁判官から渡された宣誓書に目を通した。 「今、宣誓していただいた通り、正直に話してください。宣誓をした上で嘘を言うと、偽証罪で処罰されることがありますので注意してください。」 証人は一つ頷きながら 「はい。」 と言った。裁判官も一つ頷く。 「証人は席に戻ってください。」 証人は深々と座る。 「それでは、検察官どうぞ。」 検察官にバトンが渡される。先程も耳にしたような咳払いを一つ。 「あなたのクラスには常習的に授業妨害を行なっている生徒がいますか。」 「はい。ペンをノックし続けたり、何度も席を立ったりする人がいます。」 起訴状の内容に合致している。検察官は次にする質問を決定した。 「その生徒は、この法廷にいますか。」 証人は一切の間を置かず、被告人を力強く指差した。 「そこにいる人だと思います。」 声にも力が込められていた。よほどの自信があるのだろう。 弁護人にバトンを繋ぐために、裁判官は尋問を止めようとしたその時だった──証人は自席へと走った。そして、椅子の横に置いてあったリュックからタブレット端末(以下、タブレット)を取り出した。法廷がざわめき始める。私もこの状況を見ずにはいられなかった。隣の子は小説を読みながら、くすくす笑っているようだ。証人はタブレットの音量を最大にすると、ある録音を再生した。聴こえてくるのは、耳に障るほど続くペンのノック音。微かではあるが、黒板にチョークで書く音も。先生の声はノック音に掻き消されているのか、聴こえなかった。録音は10秒程度だった。 法廷の(ざわ)めきは一瞬にして沈黙に溶け込む。 証人はわざとらしく笑みを浮かべた。
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