開廷の時

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開廷の時

私はこのクラスの一人である。昨日、一ヶ月ぶりの席替えが行われ、窓側の一番後ろへと飛ばされた。此処はクラスメイトの大半が狙っている場所。皆の理由は様々であるのだが──まあ、自分にとっては良くも悪くもなかった。そもそも「席替え」という一大イベント?にそこまでの魅力を感じないのだ。単純に荷物を移動させるのがメンドイ。それに視力は安定のAなので問題なし。昨日は先生が黒板に新しい座席表を貼るや否や、毎回恒例のお祭り騒ぎが始まった。自分の席を把握し、静かに移動しようとする者は少数である。騒ぐか否かの二択に絞られるかと思いきや、そのどちらにも属さない私がいる。「席なんか替えなくていい。」同じような心持ちの生徒もいるだろう。だが私は特殊型かもしれない──興味を示す対象が一味異なる。そのせいか、「友達」はいない。喋り相手なら多少は居るけれども、彼らは「友達」ではない。私と彼らは「グループ」としての仲である。今日の放課後、この教室でそのグループと集合する予定だ。あるコトを取り行うために── * 相変わらず、定刻で終礼が始まった。両隣のクラスはまだ担任が来ていないのか、かなり賑わっているのが分かる。早速、担任が連絡事項を伝えていく。我先に帰ろうと、話の途中で荷物をまとめる者もいるが、担任はそれをひどく嫌う。日によっては叱りつけることもあるが、いかなる場合においても終礼が長引く事はない。むしろ、このクラスが一番早く終わる。だから、帰宅ガチ勢には此処がふさわしいのだ。気づけば私は、ただ窓からの斜陽に当たりながら誰もいないグラウンドを眺めていた。こうして何も考えずに外の世界に目を向けてみては小さな変化に気づく。普段から自分の世界に篭ることが多い私にとっては至福の時間といえるかもしれない。だが、静かに躍る心はその集中力を妨げているらしく、何一つ発見することができなかった。小さなため息と共に起立の号令で立ち上がる。 「さよーならー」 いつになっても揃うことのない挨拶に担任も小さなため息を一つ。続けて 「帰る者はすぐに出て、自習する者は残れ。」 と言い捨て、教室を後にした。気づけば帰宅ガチ勢の姿は廊下にもない。私はリュックを背負うために椅子を引く。すると机の中に何かがあるのが分かった。 「前の人の忘れ物?」 手を突っ込んで確認してみる。指先の触覚によれば、かなり分厚い本だ。使い古されているようにも感じる。 「辞書か?」 そう思い、引き出すと── 豪華な装丁が施されている。表紙にはこう彫られていた。 『六法全書』 特に驚くことではなかった。 「ああ、アイツのかー。」 教卓の上にある座席表なんて見たこともない。気にしたこともなかった。だから、誰が何処に座っていたか全く知らない。でも、コレの持ち主はせいぜい一人だ。それにしても、こんな大切なものを忘れていくとは実に珍しい。私はグループのメンバー以外が教室から出るのを待ってからアイツに返しに行こうと思った。名もなき色の光に反射して金色の『六法全書』の文字がきらりと輝いている。 * 他クラスからもメンバーが集まってきた。私語一つないこの部屋に少しばかりの緊張が走る。 「たぶん揃ったね。」 教壇に立つアイツ、Rは第一声を発した。私は無言で頷くと同時に、手のひらの上にあるものを渡しに行こうとした。その時 「六法が見つからないんだよねー。誰か知らない?」 と、Rはとぼけたように第二声を発した。 「あ、これ…。」 弱々しい第三声を発し、差し出す。メンバーの視線が自分の方に集中したので、すかさず目を逸らす。 「おっ、あざす。何処にあった?」 「馬鹿か?」 と、つい口に出しそうになったが、我に返る。 「机の中。」 これを聞いたRは頬を赤らめて黙る。 「さあ、始めるかとするか!」 しばらくして発した言葉だった。その口調から確かに反省していないことがうかがえる。そして私に何かを言わせる隙も与えずに 「16時30分になりましたので開廷します。」 と続けた。この時のRはどこか格好良く見えた。しかし、一抹の苛立ちは握りしめた両手にしっかりと残っている。法廷と化したこの教室に響いた一言の台詞は厳かさをより一層高めたのであった。 * 私はこのグループの一人、傍聴人である。一番後ろの列に座るのがルールだ。また、開廷の合図がなされてからは基本的に発言を許されない。 そのため、とにかく暇だ。傍聴人がもう一人いるのだが、時折ポケットから取り出した小説をパラパラ見ては退屈そうにしている。所詮、目の前で行われていることは真似っこに過ぎない。やはり、ホンモノは違う。張り詰めた空気に変わりはないが、心から楽しいと思える。長きにわたるものでも飽きることはない。脳裏にあの法廷(私が毎週日曜日に傍聴しに行く法廷)が浮かんでいる以上、この遊戯に集中するのには無理があるだろう。長くうつむいた後、理由もなく頭を上げた。最初に目が合ったのは教卓の端に置かれた六法を見つめる猫背のRだった。その目は何かを求めているように見える。その唇は今にも動きそうだ。私は察した──R自身もこんなの続かないって思っているはずだ。Rの言葉は確かに次のようであった。 「ブラインド下げんか?」 「………は?」 気持ちよりも先に口走ってしまった。Rの口から出たのは台詞でも何でもなかったのだ。これ以上ない沈黙の中で、表情を失う。さすがに笑って済むはずもなかった。睨みに変わったその目が私の声帯の動きを止めている。「ごめん」の3文字がなかなか言えないでいた。とは言っても、逆らうことは今さら不可能だ。状況的に考えて当たり前だから。それより、不要不急な発言を慎むことができなかったのだから。それより、Rは『裁判官』なのだから。 * 開廷から10分。両隣のブラインドがそれなりの雰囲気を醸し出している気がしなくもない。R(以下、裁判官)は少しばかりの不純物が混ざったような笑みを浮かべている。そんな顔をずっとは見ていられるはずもなく、再び下を向くことにした。いっそ瞼を閉じて眠ってしまおうかと思ったりもした。 「じゃあ、続けますか。」 私の台本には載っていなかった台詞が吐かれた──
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