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一月一日、深夜。
大晦日を越し、誰もが寝静まり、雪の降る音すら耳に響く丑三つ時。
そんな静かな世界で、一つのビルに侵入を果たした男がいる。予め手に入れていた合鍵を使い、あくびをする警備員のいる仮眠室をお供なく潜り抜ける。
埃も立たぬほど静かに、事務室へ続く扉を開き、中に灯りがないことを確認する。
「よしよし、正月から仕事をしているような馬鹿な社員はいないな」
男は泥棒だった。昔ながらの空き巣だったが、近年の家屋の近代化に伴い、少しずつ、その肩身を狭くしていた。
そんな中、彼は一つの光明を見出した。毎年、最も人の気配の失せるこの時期、この時間の、いわゆる中小企業が入っているビル。
未だにアナログな鍵を使い、現金の入った金庫すらわかりやすく置かれているような、時代錯誤の会社なら、若い頃から手についたの技術を存分に発揮できるのでは、と思い立ったのだ。
予測はズバリと的中。泥棒の動きには無駄がない。暗闇の中、小さな懐中電灯の灯り一つを使い、狭い事務所の中を潜り抜ける。そして久々に目にする、目当ての金庫を見つければ、しめしめとほくそ笑み、ダイヤルへ手を伸ばして……。
「……っ!」
室内に突如異音が響く。防犯ベルか? まさか!
焦る泥棒は、音の出所をすぐに把握する。
電話の呼び出し音だった。警備員が様子見に来るかもしれない。逃げようとしたら鉢合わせするかもしれない。外は雪だ。足跡が残るから下手な逃げ方は怪しまれる。
気がつくと、泥棒は思わず受話器を取ってしまっていた。一体誰だ。こんな時間に、何の用だ。
『えっと、すいません、〇〇商事さんでしょうか?』
「え……はい?」
思わず聞き返して、自分の間抜けを呪う。〇〇商事はまさしくこの事務所のことだ。
「あ、はい! そうです!」
『あぁ、すいません、こんな時間に……。ちょっと、そちらに頼みたい仕事があったもので、今からお願い出来ないかなー、と……』
呑気な電話相手に苛立ち、内心歯噛みする。仕事だと? 常識を考えろ! そんなことで私の仕事の邪魔をするなどと!
だが、それを口にするわけにはいかない。少しでも怪しまれるきっかけは、減らさねばならないのだ。
穏便な断りの返事をしようとして、待て、と脳内が警鐘を鳴らす。
何故こいつは、こんな時間に電話をしてくる? いくら急ぎの仕事だと言っても、元旦の、まして丑三つ時。あまりにも非常識が過ぎる。
いや、もしや。泥棒の思考はさらに発展した。
もしやこの会社は、元旦も、ひいては深夜も営業をしているのではなかろうか。ありえない話ではない。設備の更新すらままならぬような子会社だ。銭を稼ぐチャンスとあれば、いくらでも飛びつくだろう。この電話の相手も、ひょっとしたらそれを知ったうえで、こちらに電話をかけてきたのではなかろうか。だとすると、今ここに人がいないのは単なる偶然で、いつ誰が戻ってくるか、わかったものではないじゃないか……!
「わ…っかりました。ちょっとすいませんが、今担当の者が席を外していまして……」
『あぁ、わかりました。では後ほど、改めてかけ直しますので……』
折り返しを頼まれなかったのは幸いだった。電話を切り、即座に予定を変更し、急ぎ足でその場を退散する。違和感を消し去るのは諦めた。捕まるリスクには代えられない。
警備員は、呑気に仮眠室で寝入っている。それも今の泥棒には、身内が近く戻ってくるが故の安心からのものに見えた。
「全くなんて会社だ、正月になってまで働くだなんて……!」
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