1-14. 冬薔薇が散るその前に

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 暦の上ではとっくに春を迎えている帝都は、弥生を前にようやく穏やかな日差しに恵まれるようになっていた。庭先に植えられている花木も、黄色い蝋梅だけでなく、白梅や桃の花が蕾を綻ばせている。  昨日も多嘉子と同じ道を歩いていたにも関わらず、音寧は嬉しそうに有弦の手を握りしめ、ゆっくりとした歩調で四阿に向かっている。 「たぶんあの四阿で鏡を落としてしまったのだと思います。有弦さまのことであたまがいっぱいになってしまって、落としたことに気づかなかったものですから」 「あたまがいっぱいになるくらい、俺のことを想ってくれたの?」 「……だって。岩波山の五代目有弦さまは震災による損害を挽回すべく精力的に復興に携わっていたから、身代わりの花婿だったなんて信じられなくて」  地面に落ちている乙女椿の花を横目に垣根を抜ければ、太陽のひかりを反射した観鏡池がふたりの前に現れる。昨日散歩した時間より早いからか、心持ち池の水の色が明るく見える。  青く煌めく水面には、手をつないだふたりの姿が鏡のように映し出されている。
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