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如月の冷たい池に自分から飛び込み沈んでいった妻を連れ戻すため、有弦も飛び込もうとしたが、見えない壁にぶつかって追いかけることが叶わない。ふたたびパキッ、というガラスが割れるような破砕音が耳元で響き、同時に観鏡池の手前に投げ捨てられていた花鳥の鏡が煌めきだす。
「な」
慌てて鏡を手に取れば、さきほどまで何も映していなかったのに、曇りが晴れたかのように明るい鏡面に、恋しいひとの姿が見える。
『――有弦さま』
「おとね? おとねなのか?」
『ごめんなさい、わたし行かなくちゃ』
「行くってどこへ? 綾音嬢、そこにいるんだろう!?」
『いるわよ?』
同じ顔をした双子の姉がひょこっと顔を出せば、有弦はうっ、と唸る。
確かに見た目はそっくりだが、よくよく見比べれば、大正十二年の文月を生きる十八歳の綾音の方が真っ黒な瞳をくりくりさせていてあどけない雰囲気がある。有弦に嫁いだ十九歳の音寧は、謎めいた青黒い虹彩に、彼をときめかせる色気と愛らしさが溢れている。これが惚れた弱みというものなのかもしれない。
黙り込む有弦を見つめて、綾音がくすりと笑う。
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