2-05. 岩波資という名の男

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   * * *  旧江戸城外堀の内側部分が明治の世に入ってから麹町区と名付けられ、旧幕臣が手放した大名屋敷の多くが新政府高官の住居となっている。時宮の邸も外交官だった祖父が主のいなくなった武家屋敷のうちのひとつを明治政府から買い取ったという経緯がある。  政治の中枢と化した麹町区一帯には司法庁や外務省など諸官庁の庁舎をはじめ東京裁判所やかつては鹿鳴館と呼ばれ欧化政策のシンボルとなっていた華族会館、日本初の洋風オフィス街と名高い一丁倫敦に、大正三年に鉄道の中心となるべく開業した東京中央停車場(東京駅)など、国家三権力の集中だけでなく商業と交通の要所としてももてはやされている。  明治中期まではこの麹町区の日比谷や丸の内で陸軍の施設も機能していたが、資が陸軍学校時代から今日まで過ごしているのは麹町を払い下げた後に移設された青山の練兵場をはじめとした陸軍施設の方だ。
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