1-03. 岩波山の五代目有弦

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 日本橋本町にて江戸の時代から茶の商いを行っている老舗「岩波山茶園」、通称「岩波山」。  江戸幕府が正式な儀礼として茶の湯を扱っていたこともあり、武家をはじめ、庶民のあいだにも嗜好品としてお茶を飲む文化が一般的になりはじめたのを初代岩波有弦が見出したことが起源とされている。  それ以前より日本橋には元禄期より茶の製造販売を手がけ、天保期に玉露の製茶法を発案した山本山の存在が目立っていたが、全国各地の茶農家と提携し独自の販売路線を手がけた岩波山も、鎖国体勢が解かれ世界中に日本の茶を輸出する際に長崎の女性貿易商大浦慶や茨城の商人中山元成とともに名を轟かせ、大正の世に入ってからも一部の顧客から贔屓にされる老舗豪商となっている。  明治後期より日本茶の輸出量は減少傾向にあるものの、元文三年に京都宇治の農民である永谷宗円によって編み出された綺麗な薄緑色のお茶を抽出する方法、通称「青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)」が全国に拡がったこともあり内需が拡大した。また、手作業が主だった製茶工程も大正時代に入ってからは徐々に機械化され、量産が可能になった。
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