1-03. 岩波山の五代目有弦

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 それゆえ富裕層のみならず、庶民も手軽に飲めるようになった日本茶の勢いは今もなおつづいているといえよう。  岩波山の岩波有弦という名は、襲名という形で代々受け継がれ、大正十三年の春には四代目の長子である岩波(すぐる)が日本橋本店にて旧公家華族の流れを汲む時宮家のご令嬢である綾音と祝言を挙げる際に五代目となる予定だった。  だが、大正十二年の夏に親族一同による顔合わせと結納を済ませた直後……翌月の一日に起きた巨大地震によって、すべては灰燼に帰してしまう。 「(たすく)」  目の怪我によって日本帝国軍を退役し帝都で療養にあたっていた岩波家の庶子、資は震災当時、隠居している祖父の三代目有弦とともに西ヶ原の別邸にいたため無事だった。  ぐわんぐわんと大地が揺れ、地響きが鳴り、建物が蠢く恐怖をやり過ごして数日。  ようやく落ち着いたと思った資だったが、被害の現状を祖父から報告され、愕然とする。 「本町の店舗と深川の工場が被災したようだ。四代目と傑をはじめとした従業員と連絡がつかない……鉄道も止まったままで被害を把握することが難しい。悪いがお前の足で確認してきてくれ」
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