1-03. 岩波山の五代目有弦

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   * * *  日本国政府による帝都復興計画の大網が決定したのは震災からおよそ三ヶ月経った十月二十七日のことだった。その後予算の都合上計画策定は翌十三年二月まで長引き、以後は特別都市計画委員会関連会議を繰り返した後、内務省復興局へと引き継がれ、区画整理事業をはじめとした区域、運河、公園、市場等を順次再開発していくとの指針が出されていた。焼け野原と化してしまった日本橋区一帯も区画整理の対象となったため、岩波山本店は一時閉鎖され、比較的被害の少なかった千住元町の製造工場に翌年三月より仮店舗を置くことになった。本店の復興にはまだまだ時間がかかるだろうが、提携している全国各地の茶農家やそれを楽しみにしている顧客を思うと、いつまでも休店状態にはできないという三代目の判断だ。  必然的に資も岩波山の経営を手伝う側にまわることになり、時折足の弱い三代目に代わり日本橋の区画整理や再開発計画に携わる国の関係者とやりあったり、埼玉の狭山にある直営の茶農園まで足を運んだりと忙しなく働いた。父親である四代目有弦と異母兄で五代目になるはずの傑の安否は年が明けてもわからないままだ。
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