1-04. 嘆きの花嫁人形

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   * * *  大正十年に古屋信子が朝日新聞に『海の極みまで』を連載した際に挿絵を担当したことで一躍有名になった叙情画家の蕗谷虹児が『令女界』大正十三年二月号にて発表した『花嫁人形』。  少女のみならず大人をも魅了したその不可思議な詩と美しい絵をはじめて見たときに感じた物悲しさを、音寧は自身の境地に当てはめて、ため息をついていた。  ――泣くほどのことではないけれど、こんな形でお嫁入りするなんて思わなかったな。  五代目岩波有弦に花嫁として迎えられ、車で帝都入りした音寧は、震災から完全に復興しきれていない街中を抜けて北上した先に位置していた洋館の応接間で待たされていた。  西ヶ原と呼ばれるそこはもともと田畑が一面に拡がっていて、目立つ建物は数件の洋館のみ。そのうちのひとつが震災で家を失ったひとたちの避難先として広大な庭を開放している古河財閥のお屋敷で、それよりも規模が小さい伽羅色煉瓦の洋館が、音寧の新しい住処となる岩波邸だった。
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