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それはあまい秘密
「はい。どーぞ」
コーヒーの香りと共に、目の前に現れた湯気の立つカップを受け取る。
「ありがとー」
椿さんはソファの隣のスペースにゆったり腰を下ろした。
「ねぇねぇ、あっくん。去年のバレンタインデー……覚えてる?」
「なにを?」
椿さんはコーヒーを飲みながら、ニヤニヤとなにやら思い出し笑いしてる。
「なに? 気持ち悪いんだけど」
淹れてくれたコーヒーを口元に運びフーフーと息を吹きかける。椿さんは唾を飛ばす勢いでまくし立てた。
「だからー! バレンタインの日! 焼肉屋さんでさー、バッタリ会ったじゃん!」
顔が近いし、耳がキンキンする。
出会って初めてのバレンタインの日。やっぱりあの時も、俺たちは偶然出くわしていた。
「また!? つってさー。あっくん覚えてないの?」
「覚えてる覚えてる。バッタリばっかしてたもんね。俺達」
「ふははは。ねぇー!」
楽しそうに笑う椿さんを横目で見ながらコーヒーをすする。
ふわりと口内に広がる風味。ほのかな苦味とまろやかなコクが喉を通り過ぎ、お腹がじんわりと温かくなる。
ひと段落して、今度は俺がプッと吹き出す。
「え? なになに?」
椿さんはワクワクした様子で体をこちらへ向ける。
「えー? だって、ひでぇーバレンタインだったなぁ~って」
「……ひゃははは……だってねぇ。……うん。いろいろあったんだよ!」
「そりゃいろいろあったけど、だからってねぇ?」
初めてのバレンタインの日、俺たちは初めてキスをした。それも衝撃的で、なのにグダグダな、ロマンティックの欠片もない実に俺たちらしいキスだった。
両手で包み込むように持っていたカップをテーブルに置くと、椿さんは更に俺に詰め寄った。
「……諦めないで良かったな。って思ってるよ」
さっきまでの声とは一変。甘く優しく響く声。
椿さんの片手が、俺の頬を手のひらで包むように触れてきた。ポカポカした手に、ふわんと体温が上昇したような気がして焦る。この慈愛のこもった眼差しには未だ慣れない。なぜならこのモードに入った椿さんは男前すぎるから。胸のところが苦しくなって、いたたまれなくなる。だから、つい意地悪したくなっちゃうんだよ。
そんな胸の内とは裏腹に、俺はしれっとした表情で、つっけんどんに言葉を返した。
「諦めかけてたんだ」
「うーん……なんてゆーか。ダメでしょ? ダメでしょ? そりゃマズイでしょ? つってね?」
「えらくストップかけまくってたんだね」
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