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茉莉は青ざめ、俺のことを兄の名ではっきりと呼んだ。
「あなたのうちはここだよ」
茉莉は顔を歪め、目に涙が溜まっていく。ぼろりと落ち、茉莉は両手で顔を覆って嗚咽を漏らした。
両親と別れるまでは俺のことを昴太と呼んでいたはず。二人で空港へ向かい、飛行機に乗るまでも特におかしな様子はなかった。そういえば空港から移動するあいだに一度だけ俺を彗と呼んだ気がした。答えるべきか迷い茉莉を見たが、間違えたという素振りも見せなかったので、俺のほうが聞き違えたのだろうと片付けていた。あのときすでに茉莉の中では変化が起こっていたのか。
葬儀が終わっても茉莉は枯れることなく涙を流し続けていた。溢れ出る感情が流れを違え、俺を兄にしようとしている。
茉莉の気持ちは理解できた。彼女にとって当然のように続くはずの日々が突然途切れたのだ。俺でさえ気を抜くと兄のことばかり考えている。感情の波も収まりつつあったが、前触れもなく強い悲しみがこみ上げる。号泣したくなり、誰かの気配で波を静める。この数日はその繰り返しだった。兄がまだここにいれば。名前を呼び返事をしてくれるなら。そう思わずにはいられなかった。
俺は自分のスーツケースを玄関に入れ、そっとドアを閉めた。
「そうだね。少し休もうか。疲れただろう」
俺は彼女を肯定することにした。兄のいなくなったこの部屋で独り過ごす茉莉を想像した。このまま帰ることはできなかった。
帰り道で買った弁当を二人で食べた。俺が座るのは兄の席だ。茉莉が急須でお茶を淹れ、兄の使っていた湯飲みに湯気が立つ。茉莉はそれを差し出し、疲れた表情で微笑んだ。俺は兄の姿を脳裏に描き、できるだけ自然に見えるようにお茶を啜った。
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